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「そんなに旺盛に生きなくていい」

長嶋有さんの小説でこの言葉に出会ったとき、「あ、この言葉だ」と思った。

若い頃、周囲から「あなたもより良い人生を送りたいと思ってるでしょう?」という前提で話をされるたび、違和感を覚えた。けれど、それをうまく言語化できなかった。

私はそんなに旺盛に生きなくてもいいんです。

あの頃の私はそう言いたかったのだ。

noteに連載していた『ゲストハウスなんくる荘』は23歳のときに書いた小説だ。

主人公のミカコは、自分の人生に対して貪欲さがない。

住み込みのバイトなどをしながら日本各地を転々としていて、周囲からはその生き方についてさまざまな憶測をされる。

けれど、本人は「なんとなく興味本位に生きてたらこうなった」というだけで、特にこだわりもない。

ミカコは思う。

どうしても欲しい暮らしなんて、あたしにはない。そのときどきで行きたい場所に行けて、酒と音楽があれば十分だ。刹那的だと言われるし、「やりたいことがわからない若者」なのかもしれない。

それでも、あたしは悩んでいないし、困っていない。

地元にいた10代の頃、幼なじみの恵理に「ミカコのその向上心のなさが腹立つ!」と言われた。

旅を始めてから少しだけ付き合った男には、「無欲がかっこいいって思ってんだろ」と言われた。「貪欲に足掻いてる奴をバカにしてんだろ」と。

そんなことない。あたしは本当にわからないのだ。

いったいこれ以上、自分の人生に何を望めばいいの?

ゲストハウスなんくる荘6 自由って淋しい

上記の部分は、今の私が加筆しているものの、23歳の私も概ね同じようなことをミカコに言わせていた。

私は23歳のときから、「そんなに旺盛に生きなくていい」と思っていたのだ。

また、ミカコはこんなことも思う。

世間一般で言われる「勝ち」に興味を持てない人間がいることを、あたしは伝えられる気がしない。

「人間に勝ち負けなんてないよ!」といった正論めいたことを言いたいのではない。仮に勝ち負けがあったとして、あたしはどうしても、勝ちにこだわれないのだ。

理由は自分でもわからない。とびきりに怠惰なのかもしれない。

ゲストハウスなんくる荘7 勝ち負け

自分の人生に多くを望まず、他者から見れば「低い到達点」で満足してしまう。

良く言えば「身の丈を弁えている」。悪く言えば「志が低い」。

ミカコのような人間は、ストレングスファインダーで「最上志向」が出るような、常に「今よりもっと良い自分」を目指して努力する人からすれば、イライラするだろう。

だけど、仕方ないのだ。

ミカコは(そして私は)そういうふうにしか考えられないし、そういうふうにしか生きられないのだから。


私は旺盛に生きる人を否定しない。

「上」や「勝ち」を目指す人に、「上を目指すばかりが人生じゃないよ~」などとは言わない。その人にとっては、それが大切な価値観なのだから。

同じように、旺盛に生きられない人間のことも、許してほしい。

多くの人と同じものを欲しがらない(欲しがれない)人間のことも、「そういう人もいるんだね」とほっといてほしい。

共存したいんだよ。


ゲストハウスなんくる荘、読んでね。


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