夫の自意識
自分のことをずっと、自意識過剰だと思っていた。
けれど、どっぷりとインターネットをするようになって一年半。ネットで出会う人たちの多くは、自分が他者からどう見られるかをとても意識していて、「なーんだ、人目を気にするのは私だけじゃないんだ」と思うようになった。
それどころかむしろ、「私ってあまり人目を気にしないのでは?」と思うことがあった。
LINEのアイコンをイラストから自分の写真に変えたときのこと。ある友人から、「アイコンを自分の写真にするのって、友達から何か思われそうで嫌じゃない?」と言われた。
考えたこともなかった。私の友達には、他人のアイコンにいちいち興味持つほど暇な人はいない気がする。私も、友達のアイコンを気にしたことがない。
それにもし「うわ~、自分の写真にしちゃってるよw」とか思う人がいたとして、それはその人が「そう思っちゃう人」なだけで、私がその人の価値観に合わせる必要はないと思う。
……ってことを本気で思い、そう思った自分に少し驚いた。私も昔は、アイコンひとつとっても「痛いと思われたらどうしよう」と考えるタイプだったからだ。
いつの間にか、自意識が薄れている。年齢のせいか、山小屋の影響か、はたまたnoteに自分のことをさらけ出し続けたからか……。
理由を考えてみたのだけど、もしかしたら夫の影響かもしれない。
◇
最近、ずっと一方的に憧れていたライターさんとお会いする機会があった。そのとき自意識の話になり、「自意識薄いなって思う人いますか?」と尋ねられ、私は自分でも意外なほどするっと「夫ですね」と答えた。
話していて思い出したのだけど、付き合ったばかりの頃、彼の「人からどう思われるかを気にしない性質」に驚いたことがある。
ある日、彼は私の本を持ってバイトに出かけた。その本は、中村航さんの『絶対、最強の恋のうた』。可愛い女の子のイラストと、タイトルがでかでかと書かれている。
帰宅した彼が「この本面白かったよ」と本を返してくれた。本にはブックカバーがかかっていない。私は、本を読み終えると書店のカバーをはずして本棚に並べる。彼はそのまま持って行ったのだ。
「これ、電車の中でカバーなしで読むの恥ずかしくない? この表紙だよ? 恋愛小説読んでるの、周りの乗客にモロバレだよ?」
すると、彼はさらっと言った。
「誰も僕の本なんて見てないよ。もしも何か思ってる人がいたとしても、別に殴られたりお財布取られたりするわけじゃないから困らないよ」
かっこいいな。
彼の基準は「困るかどうか」で、困らないならどう思われようとかまわない。
その軽やかさと潔さたるや。なんていうか、魂と呼ばれるものがミスト状だったとして、それがふわーっとどこまでも広がっていく感じ。一方で、私は矮小な容器しか持ち合わせてないからもくもくに充満している。
魂が広がってく人間のほうが、どうしたってかっこいいよな。
◇
このときのやり取りから、たぶん11年くらい経っている。その間に私も少しずつ、夫の感覚に近づいていった。
自意識過剰は悪いことだとも痛いことだとも思わないけど、それで自分自身が窮屈な思いをするのなら、変えたほうが楽だ。
自意識の薄め方なんてわからないけど(あまり薄まっちゃうのも味気ないだろうし)、価値基準を「困るかどうか」に置くのはいいかもしれない。
困らないなら、別にいいじゃん。
そう言い続けているうちにそう思う人間になったし、魂も少しはふわっとしてきたと思う。
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