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心がふわっとしてる人、ギュッとしてる人

ものすごく感覚的なことなんだけど、どこまでもふわーっと広がっていくような人と、容器の中でギュッとなっているような人がいる。

心とか価値観とか思想とか、そういったものの話だ。

私はふわっとした人が好き。

雰囲気がゆるふわ系とか、そういう意味ではない。ハイテンションでうるさいけどふわっとしてる人とか、無口で根暗だけどふわっとしてる人もたくさんいる。

私の思う「ふわっとしてる人」はこんな人。

・読解力がある
・自分と違う考えも頭から否定せず、とりあえず聞く
・自分を謙虚だと思い込んでいない
・自分の考えを「本当にそうかな?」と立ち止まって疑うことができる
・自分が神(絶対的に正しい存在)ではないことを理解している

一方で「ギュッとしてる人」は、これらに当てはまらない人だ。

先月、note友達のるんみちと初めて会ったとき、彼女の言葉がどこまでもふわーっと広がっていくことに驚いた。

彼女は別に、壮大なスケールの話をしていたわけではない。「自分が今書こうとしている小説」という、非常に個人的なものごとについて話していた。

なのになぜか、「魂がでかい」と感じたのだ。ものすっごい感覚的だけど。

彼女は完璧さと妥協を白と黒の石に喩え、私は長嶋有さんの小説に出てきた「そんなに旺盛に生きなくてもいい」という言葉を引用し、「最上ではないものを求めたっていいよねぇ」という話をした。

とても心地よくて、私は自然に呼吸ができた。

実はるんみちと会う少し前、用事があってある人と会っていた。

その人は自分に絶対的な自信を持ち、違う意見を持つ人を「私に言わせりゃ○○とか言ってる奴はバカですよ」と貶していた。

私は「○○とか言ってる奴」ではないので、その人からバカにされたわけじゃない。

だけど、その人と話している間ずっとモヤモヤしていて、左の鎖骨の下が痛かった。

自分の価値観が絶対だと思っている人、他人を貶すことで自分の正当性を示したい人は、なんだか「ギュッとしてるな」と感じる。

別にその人の自由だけど、私は一緒にいたくない。左の鎖骨の下が痛くなるから。


ここ数年は対人運がよくて、出会う人のほとんどがふわっとしている。

だからたまにギュッとした人に会うと、心が肉離れを起こす。対人ストレスの免疫が弱まり、以前より傷つきやすくなっているのを感じる。

後日そう言うと、るんみちは

「吉玉さんがここ数年人に恵まれてるのは、偶然ではなくて、積み重ねてきたものの結果なんだろうな」

と言った。

嬉しい、嬉しい、嬉しい。

偶然じゃなくて必然だと、これからもふわっとした人に囲まれて生きられると信じたい。

そのためには、私がふわっとした人になろう。



7/27(土曜日)、上野で出版記念イベントやります!

トーク相手のオゼキカナコさんも、心がふわっとした人です(会ったことないけど、noteとメールでわかるよね)


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