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父のために小説を書きたい

先日、父と会った。

その日は父と夫と居酒屋で飲むことになっていた。けれど、夫が納期前で仕事が立て込み、私だけ行った。

町田駅の改札前で父の姿を見つけ、「おーい」と手を振る。父はスーツにリュックで、若者みたいだ。

駅を離れて店の多い通りを歩く。

「すごいな、町田ってこんなに都会なのか。札幌駅と変わらないな」

「西の新宿だから」

「そうなのか」

わからない。カツセマサヒコさんがそう書いていた。

「今日、羽田から来たの?」

父は札幌に住んでいる。今日は勤めていた会社のOB会が横浜であり、そのためにわざわざ飛行機で来たのだ。

父が40年以上勤めた会社は横浜に本社がある。父はもともと札幌支社勤務で、私が16のときから本社勤務になった。それから定年までの10年以上、横浜で単身赴任生活をしていた。

「暑いな」

「今日寒いよ」

「札幌はもうストーブたいてる」

そんな話をしながら適当な焼き鳥屋に入った。

私は遅い子どもなので、父は71歳。今は定年退職し、母とふたりでのんびり暮らしている。

父は読書以外に趣味のない人だ。いつも家にいる。家ではだいたい、本を読んでいるかテレビで野球を見ているか、ソリティアをやっているか。

「仕事、忙しいの」

「わりと」

「cakesの山小屋のやつ以外にも書いてるのか」

ギョッとする。

「よく知ってるね」

「読んだことあるぞ」

「……」

たしかに、cakesコンテストを受賞したことは両親に話した。けれど、父も母もネットがあまりできない。ヤフーニュースを読む程度だ。だから検索できないだろうと侮っていた。

父は、人さし指で「け い く す」と打ったのだろうか。よく見つけられたなぁ。


話していると、父がライターという職業をよくわかっていないことが判明した。

父の中では、ライター < コラムニスト・エッセイスト < 小説家という序列になっている。

どうやら、「小説家を目指している人が下積み時代にライターをしている」というイメージがあるらしい。

「まぁ、そういう人もいるね」と適当に流す。

「ライターは小説家の下位概念ではなくて、別の職業だよ」と説明してもいいけど、めんどくさい。これはあれだ、「舞台役者はテレビに出るための下積み」と思っている人に、演劇界と芸能界は微妙にかぶってるけど別物と説明するのと同じくらいややこしい。

「雑誌で書けることはないの」

「今のところはない」

「週刊文春とか」

「ないない」

まさか、ライターと聞いて文春執筆陣を連想しているのだろうか? 中村うさぎさん、林真理子さん、阿川佐和子さん、クドカン……そりゃあ、作家と混同するよな。

昔は、父のこういった「わかってなさ」に腹を立てることがあった。

「今はそういう時代じゃないから!」

「お父さんの常識は私の非常識なの!」

そんなことを、よく思っていた気がする。

だけど、もう腹が立つこともなくなって、ただただ「お父さんとあと何回こうやって会えるんだろう」と思う。

父は8年前に癌の手術をした。快復したけど、よくポリープが見つかる。昨年も、一昨年も入院した。

後悔しないように、今のうちにたくさん会っておきたい。

「今は、あれだな。修行中の身だから。修行中はとにかく書いて書いて書きまくらなきゃ。そのうち売れてきたら、小説の本も出せるようになるから」

出版業界の何を知ってるんだ、とちょっと笑いそうになる。

だけどたぶん、父は私に小説を出版してほしいんだろうな。

父は小説が好きだ。父の書棚にはたくさんの小説があり、私は(勝手に)それを読んで育った。

私が小学校2年生のとき、父の本棚から勝手に阿刀田高の小説を抜き出して読んでいるところを父に見つかった。

怒られるかと思った。ベッドシーンがあったので、子ども心に「大人が子どもに読ませたくない本だ」とわかったのだ。

「内容、わかるのか」

頷くと、父は「すごいな。お兄ちゃんやお姉ちゃんはまだ赤川次郎だぞ」と褒めてくれた。

そして、「これも面白いぞ」と、遠藤周作と佐藤愛子の本を貸してくれた。

我が家は旅行も外食もしない家だった。子どもの頃は、遊園地やプールに連れて行ってもらえる友達が羨ましかった。

だけど、大人になって「実家に一冊も本がない家庭に育った人もいる」と知った。

本を与えてくれた父に、とても感謝している。


父の残り時間はどのくらいだろう?

その間に、私は「これ、私の本だよ」と父に小説を見せてあげることができるだろうか?


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