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編集さんがいないと書けない。

noteの定期購読マガジンで連載予定のエッセイ「スナック山小屋」、第1話の構成案を作った。

一応できたんだけど、これでいいのか不安になる。ライターとして致命的にダメなんだけど、私はエッセイの構成が本当に苦手だ。

cakesなどのメディアで記事を書くときはだいたい、ざっくりした構成案を作って編集さんに見せて、OKをもらってから書き始める。なんなら、構成案を作る前に編集さんとチャットしてアイデアを引き出してもらったりする。

だけど、noteは編集さんがいない。

自分で構成を作って、書いて、校正して、公開しなきゃいけない。

ふだん毎日書いているこの雑文に関しては、「ひとりで書く」ことがそんなに苦にはならない。っていうか、構成も考えずに垂れ流すように書いている。

だけど、「スナック山小屋」はちゃんと「読み物」として楽しんでいただけるものにしたい。

メディアで書いているものと同じくらいのクオリティにしたいし、「仕事」という意識で取り組みたい。

「私のための文章」じゃなくて、「読者のための読み物」にしたいのだ。

しかし。

まだ第1話の構成が終わった段階だけど、正直、

「これ、毎週できる……?」

と不安になった。

私がふだんメディアに書いている記事は、編集さんの存在によってクオリティが保たれている。編集さんなしでそれに近いものを作るのは、私には無理かもしれない。

構成を作ってみて、あらためてそう実感した。

編集さんの中には、ほとんど赤を入れない人もいる。

けれど、「もしかしてこの文章って変かも?」と悩んだとき、「まぁ、もし変だったとしても編集さんがチェックしてくれるから大丈夫!」と思うと、安心して書き進められる。

ひとりで書いているとその安心感がない。

「この構成、わかりにくくないかな?」「この文章、堅すぎるかな?」と不安になっても、相談に乗ってくれる人がいない。それが、とても心細い。

まだ第1話すら書けていないけど、すでに編集さんの存在のありがたさをめちゃくちゃ思い知った。


甘ったれたことを言うと、

「あーあ、プロの編集者さんじゃなくてもいいから、構成見て意見くれたりしないかなぁ」「誰か、壁打ち付き合ってくれないかなぁ」

などと思う。

けれど、スナック山小屋は有料にする予定で、私以外の人に手伝ってもらうのなら協力者にお金を支払うのが筋だ。今は家計のことを考えるとお金を出せない状況で、それなら私ひとりでやるしかない。


「スナック山小屋」の内容は、月1でスナックのママをしている私がお客さんの相談に乗るというもの。

今まで、noteやメディアの記事で何度か「女友達の相談に乗った話」を書いたことがあって、そこそこご好評をいただいた。

これらの記事は自分でもかなり気に入っている。

なので、この雰囲気を踏襲したい(相談者は「女友達」から「お客さん」に変えるけど)。

なるべく深刻にならないように、軽いタッチで書きたいのだけど、最近の私が書くものはどうも重くなりがちだ。

それに、文章も淡々としすぎていて味気ない。

もうちょっと会話や情景描写入れて小説っぽくして、「ここぞ」というところで印象的なフレーズを差し挟めば少しはエモくなる。

……と理解していても、今までずっと心のままに書いてきたから、計算して書くことができない。計算してエモを演出しようとすると、どうにもわざとらしくなる。

あぁ、編集さんがいればアドバイスをもらえるのに……!

やっぱり、思考はここに戻ってきてしまうんだよな。


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