気持ちに名前をつけたい

友人の恋愛を見聞きしたとき、呼吸困難に陥ることがある。

と言っても、すべての恋愛に対してそうなるわけじゃない。そんな変態では断じてない。

友人の恋心が私の琴線に触れたときだけ、なんとも言い表せない気持ちが心に充満して「クーッ……!」となるのだ。

と言うと、だいたい「それ、どういう気持ち?」と聞かれる。

そして、みんな私の気持ちを言語化しようとしてくれる。

「こっ恥ずかしくていたたまれない感じ?」
「キュンキュン? ときめき?」
「切なくて胸が苦しいってこと?」
「萌え?」
「尊すぎてしんどい?」
「エモい?」

わからない。

たぶん、全部正解だ。そのすべてをまるっとひっくるめての呼吸困難だ。

だけど、この気持ちにはまだ名前がない。

「尊すぎてしんどい」だと、その気持ちを積極的に摂取したいようなポジティブな印象になる。かといって「こっ恥ずかしくていたたまれない」だと、その気持ちを遠ざけたいような印象になってしまう。

うーん……どちらでもないような気がする。だからやっぱり、この気持ちにはまだ名前がない。

だけど、名前がないのは不便だ。「クーッ……!っとなって呼吸困難になる」と言っても伝わったためしがない。

そういえば最近、芸人さんのトークでも「それ、どういう気持ちやねん」とか「それ、どういう気持ちになればええやつやねん」といったつっこみが増えてきたと感じる。

みんな、気持ちに名前をつけたいんだなぁ、と思う。

◇◇◇

先日、自分が恋に落ちることを予言した後輩の話を書いた。


「もしも今日来る新人さんが有村架純に似てたら恋に落ちますね」と軽口をたたいていた後輩が、その日来た有村架純にまったく似ていない新人スタッフに恋した話だ。

その中で、後輩が彼女への想いを語っているのを聞いてしまったときのことも書いた。

ふすま越しに思いがけず聞いてしまったサイコの恋心が尊すぎて、しばらく動悸と呼吸困難が治まらなかった。

すると、Twitterで交流のある西川さんから「吉玉さんの呼吸困難うけるw」という感想をいただいた。

あ、伝わった……! と思った。

私の感じた「クーッ……!」の温度やかたち、手ざわりを、私以外の人がまったく同じように受け取れることは、ないと思う(それを期待するのは傲慢だ)。

だけど、私が言いたかったものと、西川さんが読み取ったものの間には、たぶんそれほどの差異はないんじゃないだろうか。かなり「そのままの状態」で手渡せたように感じる(わかんないけど)。

ちなみに、この記事は2300文字くらいある。

私がこの名前のない気持ちを表現するには、2300文字が必要なのだ。

◇◇◇

綿矢りささんが『蹴りたい背中』で芥川賞を受賞したとき、文芸ゼミで感想を言い合った。

そのときに、後輩の男の子が「主人公の感情は結局のところ恋なのか?」と言い出した。

『蹴りたい背中』の主人公・ハツは同級生のにな川と親しくなり、彼の背中を蹴りたいと思う(実際に蹴ってもいる)。しかし、作中でその感情が恋だと、ハツ自身は認めていない。一人称の小説なので、主人公が認めない限り読者にはわからない。

たしかに、恋なのかもしれない。「本人が気づいていないだけでそれは恋という名前の気持ちなんだよ」と言うこともできる。

だけど、作中でしつこく書かれている「愛しさよりもっと強い蹴りたいという気持ち」だけが真実なんじゃないか、とも思う。

それ以上でも以下でもない、という言い回しがあるけど、この場合は「それ以外ではない」だ。

人によっては恋にカテゴライズするだろうその感情を描くのに長編一冊分の言葉を使っているのであって、だからあの作品がまるまる答えで、あえてその感情を端的に言い表すなら「蹴りたい」になるのでは……。

私はそういった内容の発言をした。

すると、後輩は言った。

「それはわかるんですけど……でも、気持ちに名前をつけたい!

心からの叫び、という感じだった。

なんかいいなぁ。

名前をつけられない気持ちに対して言葉を尽くすのが文芸だろ、と総つっこみされるようなゼミで、わかっていても「名前をつけたい!」と言い切った後輩。その正直さは、なんだかとてもいい。

◇◇◇

名前のない気持ちは、言葉を尽くさないと伝えられない。

私は別に、すべての気持ちを伝えたいわけじゃない。伝えなくてもいい思いは、言語化せずにもやもやのまま仕舞っておく。

だけど、誰かに伝えたい気持ちは、どれだけ言葉を尽くしてでも書く。

それでも伝わらなかったりもするけど、他にやりようがないのだ。

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吉玉サキ

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