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愚痴を言ってもいいし、愚痴を聞かなくてもいい

人には愚痴を言う自由があると思う。

ただ、愚痴を言うのが自由であるように、それを聞いた人がどうリアクションするかもまた、自由だ。

「わかるー!」と相槌をうってもいい。アドバイスをしても、はたまた聞くことを拒否してもいい。

それは、お互いに保障された自由だと思う。

◇◇◇

私は、家族や親しい友人にはよく愚痴を言う。

キャパシティが小さいので、ひとりでは抱えきれない。愚痴を言うことでストレスを発散し、精神を安定させている。

私のように愚痴で発散するタイプは、溜め込むとつぶれる。溜め込まずにどんどん吐き出したほうが、心の平穏を保てると思う。

だけど、それを聞かされる家族や友人が、私の愚痴を受け止められないこともある。

夫は、ときたま「聞きたくない」と言う。

それを言われては、私も引き下がるしかない。

本音を言えば、聞いてほしいし、よしよしと慰めてほしい。だけど、それを強要はできない。どう反応するかは彼の自由だからだ。

◇◇◇

自分が聞く立場のときもそう。

家族や仲のいい友人の愚痴は、なるべく受け止めてあげたい。

だけど実際は、受け止められない精神状態のときもある。今年に入ってからは、受け止められないときのほうが多い。

「いつでも聞くよ!」と、言いたくても言えないのだ。ない袖は振れない。

また、冷たいことを言ってしまうと、それが誰の愚痴かにもよる。

家族や親しい友人の愚痴なら多少コンディションが悪くても聞くけど、たいして親しくもない人の愚痴は聞きたくない。

だから、たいして親しくもない人に愚痴を言われると、そーっとフェイドアウトする。

「溜め込まないでどんどん愚痴を言えばいい」と発信しておきながら、聞きたくない愚痴からは逃げる。

これは一見矛盾しているようだけど、私の中ではまったく矛盾していない。

人はみんな、愚痴を言う自由も、それから逃げる自由もあるからだ。

◇◇◇

私はすべての人に「愚痴を言うな」とは言いたくない。

他人の権利を侵害したくないからだ。

だから、聞きたくない愚痴にたいしては

「あなたが愚痴を言うのはあなたの自由だけど、私はそれを聞かないよ」

というスタンスをとる。

他人の発言を封じるんじゃなく、自分の耳を塞ぐことを選ぶのだ。

◇◇◇

だから、愚痴を言いたいときはあらかじめ

「ちょっとしんどいから愚痴言いたいんだけど、聞いてくれる?」

「もし聞いててしんどかったら遠慮なくストップかけて」

と言っておく。

ふつうならそんなことを言われたら重いだろう。

だけど、私が愚痴を言う相手(夫か母親か、付き合いの長い親友)は私の性質をわかっているので、慣れた顔で了承してくれる。

そして、実際にストップをかけられることもある。

私はこれを、とてもいいことだと思っている。

「愚痴はちゃんと受け止めてあげるべき」と考えると、聞いているほうがしんどくなる。しんどくなった末に「愚痴を言うな」というくらいなら、はじめから無理に聞かないほうがお互いのためだろう。

お互いに「言いたい」と「聞きたくない」を言い合える関係。

それが私の理想だし、そういった関係をたくさん築ければ、ストレスコントロールはもっと楽になると思う。





あと3分なにか読みたい気分の方はこちらもどうぞ。仕事のモチベーションって自由だよねぇ、という話です。



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