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乾杯する相手のいない、無駄にギャルだった唯一の夏

新宿で打ち合わせがあり、帰りにルミネエストに寄る。ほとんどが若い子向けのショップだけど、ひとつだけ好きなショップがあるのだ。

夏休みだから、すれ違うのはほとんどが大学生や高校生くらいの女の子。

夏服はわりとカラフルなものが多いし、大ぶりのピアスやイヤリングが流行っていて、みんな華やかだ。彼女たちのエネルギーがまぶしい。

ふと、強烈な懐かしさに思わず立ち止まった。

この夏の、この感じを私は知ってる。


思い出したのは、高校一年の夏のことだ。と言っても、私はすでに登校できなくなっていたのだけど。

その夏は、浮かれた服が流行っていた。

トロピカル柄、ハイビスカス柄、原色のタンクトップやキャミソール、厚底サンダル、半透明のプラスチックのアクセサリー、頭につけるデカい花……。

お若い方はなんのことかわからないと思うので、「1999年 ギャル」で画像検索してみてほしい。めちゃくちゃ馬鹿っぽいし、めちゃくちゃ楽しそうだから。

私はそういうファッションが大好きだった。いろいろとうまくいかなくて世を拗ねていたわりに、楽しそうなものには弱い。

ギャルファッションにもジャンルはいろいろあって、私は鈴木あみが好きだったから、髪形もメイクもそれっぽくしていた。ガングロやヤマンバから見ればぜんぜん地味な部類だけど、父からのウケは悪かった。

だけど、意外にも母は、私が髪を染めたり化粧をしたりすることを止めなかった。

たぶん、それが私の唯一の楽しみだと気づいていたからだと思う。


あの夏、私は暇を持て余していた。

高校にはすぐ行けなくなったから、高校の友達はいない。中学時代の友達はいて、たまに遊んでいたけど、みんな部活や高校の友達と遊ぶので忙しそう。

毎日、犬の散歩と読書と、深夜ラジオへの投稿しかすることがなかった。あとはプチプラコスメを買ってきてメイクの練習をしたり。

海にも花火大会にも、行かなかった。乾杯する相手もいなくて、家でひとり、お母さんの作った水出し麦茶を飲んでいた。

あの夏のことは、ただただ「ギャルっぽい格好をして無為に過ごしたな」と思う。

そのことを、楽しかったとも、悲しかったとも思わない。当時はいろいろ感じていたのだろうけど、忘れてしまった。


その年の秋から、私の生活は一変した。

小説を書いたら、新聞社がやっている中高生向けの賞に入賞した。演劇を見に行ったらハマって、その劇団に入団した。バイトを始め、その翌年は通信制高校に再入学した。

その頃あっさり青文字系に転向し、ギャルファッションはやめてしまった。結局、無為に過ごしたあの夏が、ギャルとして過ごした最初で最後の夏になった。

次の夏は一緒に過ごす友達がいて、河原でみんなで花火をした。乾杯用の缶ジュースを買いにコンビニに行くとき、好きな人とふたりきりになれて嬉しかった。

だけど、ルミネエストで私が思い出したのは、乾杯する仲間のいる夏じゃない。乾杯する相手のいない、ギャルとして過ごした唯一の夏だ。

あの夏、無為に過ごす日々の中で、私はエネルギーを蓄えていたのかもしれない。虎視眈々と、再び歩き出すきっかけを狙っていたのかもしれない。

だってあの夏を思い出したとき、私は妙に前向きで勇ましい気分になったから。


ルミネエストの通路で足を止めた私の脳内に、浜崎あゆみのBoys&Girlsが鳴り響く(そこは鈴木あみじゃないんだ)。

輝きだした僕達を誰が止めることなど出来るだろう
はばたきだした彼達を誰に止める権利があったのだろう

背筋を伸ばし、大股で歩き出す。

この夏は思いきりテンションの上がる服を着よう。好きなことをしてエネルギーを蓄えよう。

無敵だと思い込めば、私はきっと無敵だ。


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