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四月ばかの場所24 慰め

あらすじ:2007年。キャバクラで働く作家志望の早季は、皮肉屋の男友達「四月ばか」と一年間限定のルームシェアをしている。社会のどこにも居場所を感じられない早季は、定住しない四月ばかの生き方をロールモデルとしていた。早季はトリモトさんという変わった男性に恋をし、お互いに距離を縮めるもののフラれてしまう。

※前話まではこちらから読めます。

井の頭線の中で、あたしより若干年上の女の人に席を譲られた。嗚咽交じりに「ありがとうございます」と言うと、ますます涙が溢れた。

家のドアは鍵が閉まっていた。なんでこんなときにいないの。四月ばかのばか。鍵を開ける。もう夕方だというのに温かな陽射しが射しこんでいて、悲しさが膨れあがった。

コンビニへ行き、大量のお菓子とアイスとパンを買い込む。パジャマに着替えて、布団を敷く。それら一連の作業を、あたしはすべて泣きじゃくりながら、でも淡々とおこなった。

ひさしぶりだな、こういうの。絶望しているのに、少しだけわくわくした。

布団にもぐると、まずシュークリームを食べた。握りこぶしサイズが四つ入っている。味は甘いということしかわからなかった。

食べながら、トリモトさんのことを思い出そうとした。思い出せば悲しくなるとわかっているのに、傷をえぐるように、ひとつずつ思い出した。トリモトさんからのメールを全部読み返す。読みながら、カップのアイスとチョコクリームの入ったパンとプリングルスを完食した。もう涙は出なかった。

パソコンのほうのトリモトさんからのメールを読み返しながらクッキーを一箱と板チョコとコロッケパンを食べると、吐き気がした。残りの食べ物をセブンイレブンの袋ごと持ってトイレに行き、吐けるだけ吐いた。指をつっこむまでもない。便器の前に座り込んで、あたしはなおも食べ続けた。

どれくらい経っただろう。ドアが開く音がした。慌ててトイレットペーパーで口をぬぐい、何食わぬ顔で袋を持ってトイレを出た。四月ばかはあたしを見るなり「どうした」と言った。

「何が?」
「何がじゃねぇよ。お前今何した?」

「何も」としらを切ると「吐いてただろ」と言われる。いつになく真剣な、強い口調。

「お前まだそんなことやってたのか」

怒られて、子供のように涙が溢れた。

「ずっとやってなかったもん。すごい久しぶりだもん」

言い訳にならない言い訳をすると嗚咽が込み上げてきて、リビングの床に座り込んだ。四月ばかがあたしの前にしゃがみこむ。フローリングに涙がぽとぽとと落ちた。

「ふられちゃった」
「えっ」
「トリモトさんにふられちゃた。……二回言わせんな」

あたしの泣きながらのつっこみが面白かったのか、四月ばかは小さく笑った。

四月ばかは「よし、じゃあ今日はパーティーだな」とふざけた口調で言ったが、あたしが笑いもつっこみもしないので「いやいやいや。今のうそだから」と言い足した。

パーティーは本当におこなわれた。

四月ばかは鍋とたくさんの酒を用意してくれた。鍋は具沢山で、味付けは醤油。四月ばか曰く「オーロラ鍋」らしい。

「オーロラ鍋?」
「闇鍋は真っ暗な中でするだろ。これはオーロラの中で食うの」

四月ばかが電気を消すと、天井に青白い模様が流れる。

「どうしたの、これ」

光源は直径十五センチくらいの半球型の機械だった。

「今日ヴィレッジヴァンガードで買った」

じっと見つめていると頭の芯がぼぉっとしてきた。今日あったことがすべて遠く感じる。

食欲は感じたのに、一口食べたらもう入らなくなった。せっかく四月ばかが作ってくれたんだからお椀によそったぶんだけは食べようと頑張ったが、四月ばかが「無理するな」と言ったので、お言葉に甘えて酒に専念することにした。

あたしは、今日のトリモトさんとの会話を再現して聞かせた。四月ばかは黙って鍋を食べていた。憮然とした顔をしている。

「ばかじゃない」

あたしが話し終えると、四月ばかはあたしを見ずに言った。

「え?」
「お前もトリモトさんもその彼女も。ばかじゃないの」

あたしは四月ばかを睨む。反論できない、と思った。

二本目の缶ビールを開けようとしたら親指の爪が折れかけた。いまいましくなって爪を噛み切り、灰皿の中にぷっと吐き捨てた。

「トリモトさんは必要とされたいから自分より弱い子好きになるんだよ。自分より強い子だったら必要としてもらえないって思ってんの。守ることでしか必要とされないって思ってんの。トリモトさんのは優越感だよ。自分が弱いから、自分よりもっと弱い子そばに置いておきたいの。あとね、代償行為。ほんとは自分が守ってほしいから、代わりに弱い子守ってあげて満足してんの」

冷静に分析しているつもりなのに、また泣けてきた。

「トリモトさんのは恋じゃないよ。保護欲。ほんとの恋を知らないの。三十にもなってさ。可哀相」

自分がどれだけ傲慢なことを言っているか、わかってはいた。こういうことを言ったら四月ばかに叱られるだろうことも。でも、どうにも止められなかった。ぐしぐしと泣いて、ビールを飲んで深呼吸する。叱られるための心構えだ。

けれど、四月ばかは何も言わなかった。無言でオーロラを見ている。

「怒んないの?」
「なんで?」
「あたし、今すごいばかなこと言った」

四月ばかは「わかってんじゃねぇか」と言って笑った。

「彼女、ずるいよ。弱いからって守ってもらえるのずるい。あたしだって守って欲しかったもん。でもトリモトさんはもっと弱い子見つけちゃった」

四月ばかが鼻で嗤う。昔の、皮肉屋の頃の笑い方だ。

「お前もトリモトさんと同じだよ。トリモトさんの脆さとかコンプレックスとか見て好きになったんだろ。守ってあげたいって思ってたんじゃねぇの」

四月ばかの言葉を頭の中で反芻する。あたしはずっとトリモトさんに対して、どんな気持ちでいただろう。

「違うな」

四月ばかはビールに手を伸ばす。

「守ってあげたい、じゃなかった。元気になってほしい、っていつも思ってた」

いつも、寝る暇もないほど働かされて疲れているトリモトさん。社長に言いたいことを何ひとつ言えないトリモトさん。創作活動をする人を羨むトリモトさん。自分が平凡だと言って嘆くトリモトさん。

あたしはいつだって、彼に元気を出してほしいと思っていた。

どうか、自分に優しくしてあげてほしい。自分を責めないでほしい。自分を好きになってあげてほしい。

幸せでいてほしい。

今でもそう思っていることを実感すると、ますます泣けてきた。あたしは声をあげて泣いた。

「笑っていてほしかったんだよ。あの人、ほんといつも不幸そうなんだもん。あたしはトリモトさんのこと好きだった。あたしみたいな子にこんなに想われるなんて、トリモトさんの人生の中で一度あるかないかの幸運だったのに! ばかじゃねえの!」

泣きじゃくりながら一気に言って、ビールを飲みきった。三本目を開ける。

四月ばかは「ちょっと待って、あたしみたいな子って何」と笑いながら言った。これは前フリに違いない。

「だから、あたしみたいなそこそこ可愛くて性格よくて将来有望な子」

案の定、四月ばかは大笑いする。

「うん。トリモトさんはばかなことした」

四月ばかの腕があたしを包む。

四月ばかにこういうふうに触れるのは、長い付き合いの中でもはじめてだった。




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