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雑記

日常のあれこれ。雑記いろいろ。関心があること。個人的な話。とても長い

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アメリカで男性が警官に不当な扱いを受け殺害されてしまった事件。男性は黒人で警官は白人だった。black Livesmaterのハッシュタグが流行っていて人種差別や延いては全ての不均衡な体制について世界各地で様々な声が上がっている。一定の旋風になることで声を上げやすい好機だとも思うし、今まで押し黙っていたこと・抑圧されて上げ辛かった声がもう本当に我慢できなくて咳を切ったように飛び出しているようにも感じる。情けないくらい気が弱い自分にとっては、ハッシュタグが流行し情報を集めやすく声を上げやすい環境になることは、はっきりと好機だ。ハッシュタグを使うようになって、意味は諸説あるし自分の言いたいことを安易に全てを示してくれるものではないことがわかった。けれど一定のムーブメントになることが巨大な変化の渦を作ることには協力の姿勢を示したいと思った。しかし事件をきっかけにムーブメントが起きるようでは遅いとも思う。こんなことが頻繁に起こる世の中であってはいけない。許してもいけない。

私はどうしても感情が先に高まって言葉が出てこないタイミングがすごく多い。ニュースやツイートを見て憤ってはいたけど、どう口にすればいいのかわからなかった。SNSで黒い画面を投稿して意を表している人達を見て、言葉よりも早く出来る手段として勢いのままに黒い絵を描いた。怒っていた。悲しかった。許せなかった。祈っていた。
Black Lives Matter

https://www.instagram.com/p/CA78yq2FdFn/?igshid=14cw33nad3fyj

人種差別について調べて、黒人だからという理由で受ける差別的な扱い・日頃から気を付けなければいけない項目を知る度に、想像を及ばせることさえおこがましいんじゃないかと思う程、不当すぎることが浮き彫りになる。色々な方がシェアしていた日本国籍でアメリカ在住のLizzyさんという方の動画を見た。「暴動が起きるほど、人々の我慢が耐えられなくなっている。もうそういうところまで来てしまっている。」というのを聞いてはっとした。どうしても街のショーケースを叩く映像のインパクトを先に受け取っていたけど、そうせざるを得ない鬱憤は明らかに当事者達の心に蓄積している。

lizzyさんの動画
https://www.instagram.com/tv/CA7TyTeF8Jb/?igshid=ycmmiob9640a

もうそれが世代を超えて200年近いかもしくはそれ以上前から続いているという。分からないことにぶち当たった時、どうしても世界のどこかで起きていることだからと、自分がしてきた経験の方へ一旦引き寄せてから、分かることがあるか点検しようとする癖があるけど、そんな物を通用させてはいけないと分かる。他の問題とリンクさせて考えることはできない・すべきことではないと沢山の人が各所で言っていて、それが調べる程に身に染みて分かる。全く個別の問題であるとしつつ、自分の身や身近なところに起きる差別について明確に声を上げたい気持ちも同時期にふつふつと沸いてきた。もう黙っていられない、という感じ。

調べる事は体調が芳しくなくてもできた。記事を読んだり其々の声を聞くことをしたくても自分の体調が優れないが故に受け付けることが困難で煩く感じてしまうこともあるが、知りたい事なのでやることはいい。自分の隙を見ながらではあるけどゆっくりでも続けていきたい。

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仕事が再開して二週間が経とうとしている。身体も心もずっと疲れていて、人と話すにもとても声が暗く口調や話す内容が下向きになるのが嫌で、人と話すことを避けたり、とにかく家に帰ったら即寝る、みたいな生活をしていた。6日の満月を境に、気分は良くなってきたと思う。少し上向きに。身体はまだぐったり疲れていて、仕事が終わればバタンキューなのは変わらず。余裕がない。余裕が欲しい。

仕事は、好きだし得意だと思うから続けているが、やはり自分には合っていないと思う。というか組織の中で働くことが合っていないと思う。よく辛くなる。
会話の中で、本気で答えているつもりがどうやら的を得ていなく突拍子がないようで、不意に笑われる。「天然」という言葉で片付けられたりもするが、こちらは真面目に答えているつもりなので笑われる度に驚く。体調が良ければその見られ方を使って持論を展開させることも楽しめるが、体調が良くないと本当にうんざりしてしまう。あの、笑うところじゃないですし、真面目です、と言ったところでそれが返って笑いに変わる。そんな変な目立ち方がしたいわけではない。本意ではない。

勤務をしていると頭痛が発生する機会が多いと分かった。これは梅雨時期の低気圧の日が多い影響かもしれないからはっきりとした確証はないけれど、頻度は休んでいる日々よりも多い。
一度、頭痛を薬で治す習慣を身につけていたことがあったけど、それをやめてみたことがあった。痛みを感じながら過ごすとどのくらいで自然治癒するか実験することが目的で、だいたい2〜3日も経てば酷い痛みもゆっくりと治っていくことがわかった。そのことを発見してからはなんだか心強い。以前は薬が飲めないと、苛ついて余計に痛みを助長させていたが、自分が治るまでの尺度が把握できたからかそんな事はなくなった。そのことを下敷きにして、今は薬で治す生活に戻っている。薬が飲めないタイミングがあっても、以前のように苛つきはない。良くなった。
しかし薬で治すこともどうなのか。痛みは、身体からの何かしらのサインだと思っているので、強制的に消去させるようなやり方で治していることを自覚していたい。発生しないことが自然かなと思うし、無理かもしれないけれど自然な状態になるべく近くありたい。

客の中に、セクハラ発言をするクソジジイというのがある一定数いて来店もある。年配の男性客に多い。まま頻繁に。それに対する対応について、私は許せないの一択しかなく、自分が応対する事はどうにか避けたい。とにかく逃げたい。しかし店的にはどんな客にも平等な対応が求められているし、スタッフの認識もそうあるべきとされている。あまりに酷いと男性スタッフにすぐ代わるよう体制はできているが、その客に対して「仕方ない」「寂しいんだよ」という庇い方が職場あるいは社会に蔓延していることについても、私は正面からNOを突き付けたい。なぜ寂しいから仕方ない、のか?仕方ない理由など微塵もないと思う。寂しいから人を傷つけていいのか?寂しいから、女性蔑視が許されるのか?
寂しくなくてもなんでもどうにしても許されないでしょ。人の命を勝手に奪うことが許されていないことと同じように、人の尊厳を勝手に奪うことなどあってはいけないと思う。心は少しでも傷ついたら治る術が目に見えないし、とても時間がかかるんだよ。いちばん繊細で脆い身体の組織。
分からない人が許されていることが悔しい。声を聞き入れてほしい。今は明らかに私の方が少数派だ。インターネットの自分が好きでフォローしている人々の中では女性蔑視について声を上げる方も多く散見されるし、当たり前の感覚として根付きつつある感触があるが、一般社会の中ではごくごく僅かだ。身近な職場での割合を見ても10分の1にも満たないんじゃないか。少なくとも職場でこの話を出来る人はいるかいないかくらいだ。庇う声がどうしても出てくる。
勝手だけれど、女性の中でも庇ったり仕方ないと丸め込むことが当たり前だと認識している人が多いことも悲しい。しかし私も仕方ないと思っていた時期があった。黙らないといけないことだと、見て見ぬふりをすることだと思った経験もいくつかある、悲しいけど。その上で、今許せないことを許せないと言いたい認識に変わったのだとも思う。
その人がどう思うかは勿論当人の勝手だけれど、良しとしないでくれと思う。貴方の尊厳を大切にして欲しいとどうしても願ってしまう。
かつての自分に言ってるのかもしれないけど。

そして近い将来に、声を上げなくとも大多数の認識が差別をなくすことが当然になる世の中に明らかに転換することを強く求めたい。

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お金がないから身体的に無理だと分かりながらも仕事をしている体制を変えたい。それってどうなのか。お金って要るんだけど、お金の為に、を優先させると本当に心も身体も磨耗する。今は引っ越しがしたくて、その資金を貯めたい。移住がしたいので、候補地をいくつか巡って何泊かしながら探したいからその資金も。趣味でやってる登山で、テント泊が出来るようになりたいからテント類諸々の費用もとか考えると卒倒する。新しいパソコンも欲しい。
身一つで世界を縦横無尽に飛び回りたい。職場とか家とか、場所に縛られる生活を終わらせたい。絵を描いたり、ピアノを練習したり、YouTubeにupして、散歩してその延長で山に登って、自由に過ごしたい。ずっと同じことを何年も前から言っているので、いい加減夢を叶えないと気が済まないので少しずつでもやってく。

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