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呟くほどでもない 201213

食生活
9,10月ごろ、思い立って食生活を変えてみる。動機は熊がキャンプ場に現れて人を襲ってしまったニュースだった。コロナ禍の緊急事態宣言が発令した際に山を訪れなくなった登山客に安心してか、普段は来ないような人里に熊が出没するニュースが今夏は特に相次いだ。自粛期間の鬱憤が溜まったことにより、思い付いてアウトドアをいきなり始める人々も多く現れブームになった。マナーを知らないキャンパーが、知らないとはいえ気が緩んだ野生動物を誘き寄せてしまった一面もあると思った。人が悪くなければ熊だって悪くないのに、人を襲ってしまえば何かしらの処分が下されてしまう。駆除した実績がないと、キャンプ場を再オープンできないからだ。あまりにも人間の都合が優先されているように感じて悲しかった。憤った。それがきっかけとなって動物の権利について調べるようになり、菜食や海洋汚染や環境保全の情報にたどり着いた。
まずは卵から牛乳から、を少しずつ始めて肉や魚を絶つようになり、2-3週間ほどで完全に動物性食品を食べない時期を経た。経た、というのは今は完全を貫くことは早々に諦めてしまって、特に気にせず肉や魚を食べる日もあるからだ。お菓子もモリモリ食べている。

完璧を貫こうとするタイミングと、自分の気分と体調が深く落ちてしまったタイミングが重なり、かなり辛くなってしまった。結局2ヶ月ほどの菜食生活は呆気なく幕を閉じ、(食の記録をしていたのが2ヶ月なだけで、実際はもっと短いかも)今や雑食生活に戻ってしまった。とはいえ、以前と比べると微々変化した。毎日食べてた卵は今頻度が落ちほとんど食べていない。牛乳やヨーグルトは全く摂取しなくなった。パンが好きなのでバターがやめられないが、肉魚は食べたり食べなかったり。塊が食べづらくなったけれど、細かい奴は食べてるとか。細かければいい、っていう訳でもないのにね。海鮮はどうしても好きだけど、幸い金持ちじゃないから高価故の低頻度でなんとかクリアー、みたいな。

自分の食べたい物を好きに食べられないこと(唐揚げが私は大好き)、同じような食生活を続けること(納豆ご飯や豆腐、温野菜など)にストレスを感じたし、その動機を「同じ地球上に住む動物のため」という漠然とした他者に置いておくことと自分の気持ちを一致させ続けることが自分にとっては難しかった。動物が好きだし種差別によって剥奪された権利があるならば取り戻して守っていきたいとも思う。動物の優しさとか愛らしさに何度も心打たれているし。しかしそれよりも自分の方が私は大切だった。自分の気持ちが平穏に保たれることの方が大事で、自分の体調が落ち着いて過ごせている方が大事だった。

菜食、続けられている人は凄いな。私は動機があったようだったけれど継続性に欠いていた。自分の身体や健康に気を配る理由で菜食を選ぶ人はいて、イコールそれは自分の身体へ愛を注ぐことと繋がってると思うから、とても素敵なことだと思う。自分はどうしてもお菓子が好きで、唐揚げが好きで、パンが好きで、食べることが好きなのだ。
追ってる情報と自分の生活を対比すれば、全然筋が通ってなくて罪悪感を感じることもままあるけれど、腑に落ちる懐の居場所を探してる途中なのだとなんとか言い聞かせて落ち込みすぎないようにしてる。そんなの見つかるのか分からないけれど。
色々試して都度壁にぶつかって、七転八倒してたとしても、なんとか起きあがってるから倒れたままよりはいいっしょ、ってことで。

消費と断捨離と後悔とリサイクル

一時期断捨離にはまって、毎回ゴミ袋3-5袋分くらい捨てることを何度かやった。当時読んでいた本の何冊かで断捨離を勧める文章がよく現れてきていたし、仕事で嫌なことがあったり昔のことを思い出しても嫌なことばかりだった時期があって、過去を一掃したかった。仕事や思い出が嫌になると、その時着ていた服や持ち歩いていた物も同様に嫌になって捨ててしまった。卒業アルバムも写真も手紙もばんばん捨てた。それなのに今は捨てたことを後悔している。
卒アルや写真は捨てて良かった。思い出は心の中に留めておける気質だったから物質的な情報は不要でokだったが、特に後悔しているのは捨ててしまった服のこと。
最近は、環境保全を訴える情報や溫暖化に対して切迫した危機感を持つ情報に興味があり、関連情報をすぐ追えるように各SNSのTLを設定した。どうしても服が産業廃棄物としても環境に対する負荷が高く、また生産工程においても汚染物質を多く発生してしまうらしい。といった情報を追う毎に、なんであの時沢山捨ててしまったんだろう....と後悔が付き纏う。知らなかった、と言えばそれまでなのだけど。知らなかったから教えて欲しかったけど、斷捨離を勧めるトピックにそんなリスクの記載はなかった。リスクを知っていれば捨てなかったのか?と問えば、当時の私は思い切って捨てたい気持ちが強かったから捨てただろうけど。せめてリスクを知った上で厳格に選別する工程を経ていれば良かったと思ってしまうし、リサイクルできる可能性もあったのにとか思い返せばキリがない。捨ててしまった服たちの中には、とても気に入っていたものも含まれていたのに。今になって淒く惜しい。
そして今そういう訳で、物が容易に捨てられない時期に突入した。好んで集めた情報なのに、その影響と生活を合致させることに四苦八苦していて、悩みそのものが形骸化して部屋に突如現れる。不要だと思われるが捨てられない、というか処理に困って部屋の一角に沈澱している。けれど今は捨てる時期じゃないと思う。捨て方とかリサイクルの情報をもう少し追って、自分の腑に落ちるやり方で処理したいと思う。

元々好きだったけど、新しい衣服の買い物は主に古着がメインになった。趣味の登山用品は主に新品で購入しているが天然ダウン製品はアニマルライツを重視したく購入せず、代用できそうな化繊衣料と持っていた天然繊維衣料の組み合わせを駆使して同等の保溫力を得ることに成功した。その化繊衣料をなるべく長く、できれば生涯使う前提で購入。しかしその化繊も、生み出す工程や廃棄工程には環境負荷がかかることを知っている。買い物が投票だと言われれば、毎回激しく悩んで結局何が良いか分からぬまま時間が来て、選べない中からなるべく納得感の高い選択肢を選んだだけに過ぎない。選挙の投票もこういう感じだっけ。んで時が過ぎて振り返った頃に、それが答えになるのだ。

かなりハッキリしない曖昧な工程だが、こういう悩みを繰り返してることが既に地球保全への道になってると信じたい....。そしてそれでokだということにしてほしい...(したい)。少なくとも完全な無知だった頃よりも「知ってる」ことが進歩だと思う。(思いたい)


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今年の山の記録一覧をnoteにまとめたい。できればとっつき易いお勧め山特集など、トピックに分けて記事を書きたい理想が頭の中にモヤ〜っと、今年始めくらいから持ってるのです。吐き出したいよ!!

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