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[小説]ながれながれて(前編)

ほりごこち
仏像が日本にやってきてから1500年の間、御像の数だけあったであろう幾多のエピソード。仏像を造ったり修復したりする造佛所で、語り継がれなかった無数の話。こぼれ落ちたそんな物語恋しい造佛所の女将がつづる、香りを軸にした現代造佛所私記。

前回の記事:木の香り、木の声、仏のうた (前編)

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「ねぇ、この蔵がなくなったあとは何ができるの?」
飴色の土壁に揺れる影をぼんやりと眺めながら、少女は母親に訊ねた。

「さぁねぇ、じいちゃんたちが菊畑でも作るんじゃないかしら。──あっちの方で使えそうなタンスとかない?」手ぬぐいを姉様かぶりにした母親は、掃除の手を止めずに答えた。

 200年前にはすでに建っていたというこの土蔵は、外壁が崩れ、瓦は不規則に波うっている。数年前の大雨で浸水してからは、目に見えて老朽化が進み「通りに崩れて人様に何かあっては」と家主が取り壊しを決めた。

とはいえ、いつ決行するのか、中のものの処分はどうするか、具体的なことは何一つ決まらぬまま、ひとまず家人が蔵の中をあらためることになった。

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ずっしりした入り口の土扉は端からボロボロとこぼれつつあるが、蔵内の温湿度を健気に守っており、穀物の匂いや発酵臭で満ちている。米や味噌など食糧の保管庫としては現役なのだ。

ただし、活きているのは三畳ほどのスペースで、あとは古い建具や家具、土壁にもたれかかった民具で足の踏み場もない。

 母親は、空にした整理棚を拭きあげていた。

 この土蔵の主である少女の祖父は、子供達が何かいたずらをするたび「蔵へ入れるぞ!」と脅した。母娘ともご多分にもれずそう言われて育ったが、このフレーズは時代と共に子供たちに「家長ネタ」として扱われ、土蔵も家長とともに威厳を失ってしまった。

 少女にとっての土蔵は、怖いどころかむしろ、冒険心をくすぐるアミューズメントスポットといえた。

裸電球の揺れる光に浮かび上がる陰影は、まるで生き物のようでドキドキしたし、不思議な形をした昔の道具たちは少女の目に新しく、想像を無限に掻き立てた。

「そうそう、こういう家具もいいんだけど、うちには合わないのよね」

 いつの間にか後ろに立っていた母親が、よっこらしょと隅の小箪笥に手をかけた。ガタガタと引き戸を開け、かがんでゴソゴソしていた母親の手元から、灯りを鈍く照り返す物体が顔を出した。

「道具箱かな……?あ、何か入ってる」

金属製の何だろう、線香立て?と、燭台、木の筒、あとは巾着…母親は一人でブツブツ呟くと、少女の方に向き直り

「ご先祖様のかな、あとでじいちゃんに聞いてみよう。はい」

身を乗り出していた少女は、突然手渡された箱で胸をこつんと突かれ、舞った埃でくしゃみをした。

少女が高校に進学する直前の春休みのことだった。

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尼僧の文箱

「あぁこれは……むかぁーしからご先祖様が捨てられないでずっと蔵に置いてあるものらしい。」

 祖父は(なんだそれか)とでも言いたげに箱を一瞥し、グラスにビールを注いだ。

「へぇ、そんなものがあったの。そういえば”開けちゃいけない玉手箱”があるなんて、昔聞いたっけ。それのこと?」少女の横で母親はタラの芽の天ぷらをつまんだ。

「どうして捨てられないの?」母親の問いにかぶせて少女が言った。

「さぁね。ご先祖様のどこかの世代に尼僧さんがいて、その人の持ち物だったとかなんとか……で、捨てたらバチが当たるとかで皆そのまま触らずに置いてきたらしい。」刺身をつまみ、ビールを一口飲んで祖父は続けた。

「本当かどうか知らんけど別に置いといても邪魔にならんかったからな、すっかり忘れとったわ。もう蔵もつぶすし欲しいんだったら持っていくといい。それより、高校の部活は決めたのか」

「まだ……」と小さく答えながら、少女は「ニソウ」という知ってはいるが耳慣れない言葉を心の中で反芻した。

 母親が「玉手箱」と言ったその箱は、上品な光沢をもつ漆塗りの文箱であった。

 夕食を終え、少女は自分の部屋に文箱を持ち込んだ。蓋に残る埃を遠慮がちにぬぐった。古いもの特有の匂いがたちのぼる。しばらく文箱と対峙したのち、意を決した。

「もう、私のものだよね……!」

少女は背筋を伸ばして居ずまいを直した。そっと蓋を持ち上げ、出来るだけゆっくり息をしながら開けた。

意外なほど、中は綺麗だった。ほとんど開けられないまま放置されていたのだろう。

(これがお母さんの言ってた、お線香立てと、ろうそくを立てる台と、それから……)

 木の筒を開けると「ポン」と小さく弾けるような音がして、中から数本の線香が出てきた。

胸がますます高鳴る。震える指で木の筒を元どおりに閉じ、細長い巾着に手をかけた。思いがけず硬いものが入っている。

するりと出てきた色あせた古布。おそるおそる包みを開けると小刀だった。見たことのない細く薄い刃はくすんではいるが、ステンレスやセラミックとは全く違う。15歳の目にも良いものと映った。

 尼僧が残したというこの箱がなぜ畏れられ、残ってきたのだろう。少女は目を輝かせ、想像をふくらませた。

(これがニソウさんのお道具箱だとすると、ろうそくに火をつけて、お線香を立てて、何かを切ったり削ったりしてたってことよね……)

 少女の頭に、誕生日のケーキについていたロウソクが浮かんだ。たしか余りが台所にあったはず……そうなると居ても立っても居られない。階下のキッチンキャビネットを探った。バースデーキャンドルはすぐに見つかったが、燭台には立てられない形状だとわかりしばし逡巡した。

(あ、仏様のロウソクがある……一本だけならいいよね)仏壇用のロウソクを一本、ライターを一つ拝借した。

 忍び足で自室に戻り、机に文箱の中身を広げた。

 手のひらにちょこんと乗るくらいの燭台は、意識しないと掌が沈むほどずっしりとして少女を緊張させた。仏前用のロウソクを立てて火を灯し、次に線香を手に真鍮製らしい道具に近づいた瞬間──

「あっ」

線香がたやすく折れてしまった。

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線香の思いがけない脆さに、少女はすっかり恐れをなした。

(遊び半分で使ったらニソウさんは怒るかもしれない。ごめんなさい、ごめんなさい……!!やっぱり明日、このまま蔵に戻そう)

その時、階下から母親が呼ぶ声がした。

「早くお風呂に入りなさーい。上がったらお湯のスイッチ切っておいてね」

少女はホッとして、はーいと返事をしながら尼僧の道具をもとどおりにしまった。

********************

湯船に浸かりながら、少女は尼僧のことを思った。

いつの時代の人なのか、どうして僧侶になったのか、いくつくらいで亡くなったのか、どんなものを食べていたのか、友達はいたのか、そもそも本当にそんな人がいたのか、後から後から知りたいことが出てきた。

(……折れたお線香だけでも、使ったほうがいいかもしれない……ご先祖様だもんね、お線香が燃え尽きるまでお仏壇の前でするように手を合わせよう)

そう思い至ると心が軽くなった。

後編に続く

吉田沙織
高知県安芸郡生まれ。よしだ造佛所運営。看護師と秘書を経験したのち結婚を機に仏像制作・修復の世界へ飛び込んだ。夫は仏師の吉田安成。今日も仏師の「ほりごこち」をサポートするべく四国のかたすみで奮闘中。
https://zoubutsu.com/

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