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有給休暇の過ごし方

 有給休暇を使って引っ越しをした。
 年を取ると若い時のようにいかず、土日は荷造りになる。ゆっくりじっくり荷造りをして、つづく月曜が引っ越し日になる。平日なので有給休暇を取ることになる。これで引っ越しは何度目になるのだろう。両手で数えてみる。九回目か。すっかり引っ越し貧乏になってしまった。もうそろそろ終わりにしたいものだ。
 浜中雄一、六十七歳。妻のるり子、六十九歳。雄一は、以前の会社を定年後、友人の会社で働いている。CGデザイン会社の営業である。最近はパソコンを使ったリモートでの商談も増えてしまい、対面での営業が長い雄一は話すタイミングがつかめずに当初はとまどった。
 夫婦は、池袋から東武東上線で三つ目、大山駅近くのURの団地に住んでいる。ここに来てかれこれ五年になる。大山駅南口に長く伸びるアーケード商店街が有名だ。
 雄一とるり子の一人息子は、昨年、結婚して家を出た。会社の転勤で今は明石にいる。URの団地とはいえ、池袋に近いので家賃が十五万円もする。二人暮らしにはもったいないので郊外へ引っ越しを決めた。敷金が引き継げるし、更新料もないし、高齢者は民間アパートにはどうせ入れないだろうから、今回もURの団地にした。
「所沢かあるいはちょうど北に位置する上福岡のどちらかだね」
 二か所に絞って、それからはひと月かけて毎週末に見学に出かけた。炎天下に歩きまわったのでだいぶ日焼けした。結果、所沢に決めた。決め手は、所沢駅を発車した時に聞こえた駅メロだった。♩トトロ、ト、トロ♬ ちょっと楽しい気分になった。
 引っ越しを何度もやってきたが、引っ越しが終わると「ふう」とため息をつくのと同時にリセットしてしまうので、毎回やり方を忘れてしまう。今回は五年ぶりの引っ越しなのと年齢のせいもあってとくに。
「ガスは東京ガスじゃないらしいぞ。東京は埼玉にはガスを売らないのか」
「何をぶつぶつ言ってるの。早くURに退去届を出してきなさいよ」
 雄一もるり子も埼玉県には初めて住む。神奈川県に住んだことはあるが、その後は東京都下か二十三区だった。
 URの所沢の管理サービス事務所で鍵をあずかり内見した。あらかじめネットで確認した物件と、もうひとつ空きが出た物件の二か所を見た。新しく出た物件は六十五平米あって広いが、駅から十五分歩くのと、一万円高いのであきらめて、駅近の当初予定していた部屋に決めた。築二十六年だが家賃は十万円だし六十平米もあれば十分だ。
 それからはけっこう忙しくなった。池袋の営業センターで今の住居の退去届を出し、退去時の立会いや鍵の渡し方などを聞き、区役所に転出届を出しに行き、そんなことを日々繰り返していたらあっという間にひと月近くがたった。
 URの紹介で引っ越し業者も決めた。担当者が見積もりにやってきた。うちはどうやら荷物が多い部類に入るようだ。「え?」という見積もりになった。「三十万円?!」
「最近は働き方改革の関係で残業もあまりできませんし、燃料費や人件費などもろもろ高騰してますので」という説明だった。雄一はポカンとなった。
大山の住居は九階だったが、今回の住居は一階。夫婦で新居の部屋の寸法を測りに行った。メジャーをのばし、端を雄一が押さえる。家具の置き場所を決める参考にするのだ。
「富士山が見えないなあ」と雄一。
「大山で死ぬほど見たんだからもういいでしょ」とるり子。
「フェイスブックに富士山をUPできないなあ」
「何がフェイスブックよ。じじいの証拠ね。若い子はインスタらしいよ」
 夫婦で漫才みたいな会話を繰り返す。
 やがて引っ越し当日を迎えた。この日は、家財の搬出で終了。四時間かかった。その夜は、予約しておいた新居近くのビジネスホテルに宿泊した。
 二日間にわたる引っ越しは無事に終わったが、二日目は、寝る場所を確保するだけでせいいっぱい。結局、夫婦とも疲れてしまって、翌日から二日間、さらに有給休暇を消化してしまった。有給休暇の疲れを有給休暇を使って癒すなんて、我ながら何をしてるのやら。
 それにしても有給休暇が減ると不安になるのはなぜだろう。まだ今年は二十日も残っているのに。新居の風呂につかりながら、雄一はしみじみ考えた。
「それはそうと、このポリバス、べこべこ音がするんだけど」
「管理事務所に早く報告して!」るり子が叫んだ。  了

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