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恐竜といっしょ。

 半年ほど前、巨大彗星が、地球の近くを通過した。
 小学六年生になったばかりの阿部祐樹(あべゆうき)は毎晩、家のベランダから南の空の彗星を眺めていた。
 最接近は十日間続いた。
 その間、地上では千九百十年のハレー彗星大接近以来とか言って、地球に激突するのではとぎりぎりまで大騒ぎになっていたが、幸い、軌道がそれてほとんど被害を受けることなく、無事に騒ぎがおさまった。
 研究者の中には、恐竜が絶滅したと言われる六千五百五十万年前の白亜紀末の巨大隕石衝突を引き合いに出して人類絶滅を唱える者も出た。連日テレビのワイドショーに出ていたその人たちは、その後SNSでかなりたたかれて今では表に出てこなくなった。
 彗星の通過後、何事もなかったといえばうそになるかもしれない。少し変わったことも起きていた。
 世界各国の古い地層から、まるで浮き上がってくるように、これまでにない勢いで続々と恐竜の化石が発掘されるようになった。アルプスの永久凍土や北極や南極の氷が溶けたり、がけが崩れたり、工事現場だったり、あちらこちらで恐竜の化石の発見があいついだ。
 祐樹は、池袋から東部東城線で三駅目の犬山駅でペットのまさ男と住んでいる。
 ペットと言っても、恐竜だ。小学校は、近くの板橋区立犬山第一小学校に通っている。
 二十年ほど前になるが、アメリカの学者が恐竜の化石から恐竜のDNAを採取、遺伝子操作によって恐竜を復活させることに成功した。しかも十年ほど前、日本で開発された新技術によって小型化に成功し、家庭用のペットが普及した。ペットの恐竜の大きさは、国で管理されていて、一メートル二〇センチ以下になっている。各個体は登録制で、これも国の獣竜省が管理している。ペット恐竜の首の裏の皮膚の下には、極小の鑑札プレートが打ち込んであってスマホで読み込むことができる。鑑札には、恐竜の種類、誕生日、性別、血液型や飼い主の住所氏名などが記録されている。
 今では近所のペットショップで恐竜の購入が可能となった。祐樹の家のまさ男も、家の近くの川越街道沿いの「ペットのオジマ」で買った。
まさ男はティラノサウルスのオスで、肉食。ティラノサウルスというとこわいイメージがあるが、まさ男は、性格はやんちゃな子どもみたいで、むしろかわいいブルドッグの様。
「まさ男、テレビのリモコンを返せ。かむんじゃない」と祐樹。
 かむ力がとても強く、一度かみついたら離さない。番犬(竜)にはもってこいだが、テレビのリモコンが好きなのか、壊すたびにリモコンを取り換え、今は四台目だ。
 足は長いが手が短くてかわいい。推定の元の大きさは体長十二メートル、体重は七トン(活動期間は、白亜紀後期)だそうだが、まさ男は、体長一メートル、体重は八十キロだ。年齢は一歳十か月。肉食系。とげとげのついた黒いスタッズ首輪をしていておしゃれだ。育ちざかりはとうに過ぎているが、よく食べる。最近はおなかも出てきた。
「一日に五食はやめて」
 祐樹のママが、まさ男の食費に頭を悩ませている。
 オジマへ行くとわかるが、最近は、犬や猫に代わりペットと言えば恐竜となった。店内では、各メーカーが競争で、さまざまなペットグッズを売り出している。ペット恐竜用の服や、靴もある。ブランコやシーソーなど専用の遊具もある。
 ペットなので、朝、祐樹が学校へ行く前の三十分、帰宅してからの三十分がまさ男の散歩タイムだ。外では犬と同じで首輪に鎖をつないで散歩する。家の近所を散歩していると、同じ小学校のクラスメイトの神戸るみのペットのラベンダー、同じく、秋彦のペットのナギトワと出くわすことが多い。近所の犬山公園でよく出会う。
 ラベンダーは、ステゴサウルスのメス。赤いバンダナと赤い首輪をしている。かわいい。ナギトワは、トリケラトプスのメスだ。ピンクの首輪で頭の角にピンクのリボンをしている。美形だが愛想はよくない。
「〇✖▽■」
 ラベンダーが居合わせた他の恐竜たちに恐竜語で声をかける。
 ラベンダーがやってくると、ペット恐竜たちがケンカしているのが止まったりする。
 ラベンダーは、近所のペット恐竜の飼い主たちからも一目置かれる存在で人気者だ。
 秋彦の大学生の兄の春彦がナギトワの散歩をしていることもある。春彦はナギトワをとてもかわいがっていて、「つかれちゃったのー?」とか“赤ちゃん言葉”でささやいて、散歩のさいごは抱っこして家に帰っていく。抱っこされているナギトワは、春彦の顔を長く細い舌でペロペロするが、なついているふりのような感じがする。
 春彦は大のゲームオタクで、最近は特に「恐竜ハンター」のゲームにはまってしまって、時間がないとかでときどきナギトワの散歩を秋彦に頼む。春彦はゲームとコンビニのバイトで忙しく、最近は大学へ行っていないらしい。先日、授業に出ていないことが母親にばれて、かなりしかられたらしいが、懲りてはいないみたい。
「秋彦、おまえが母さんに告げ口したんだろ」
「ボク、そんなことしてないよ」と秋彦。
 春彦は秋彦のおでこを指ではじいた。
 スマホで遊ぶ「恐竜ハンター」のゲームは、恐竜のペットを飼っている人はほとんどがスマホにアプリを入れている。オンラインでつながっていっしょに恐竜ハンティングの冒険に出るのだ。ゲームの中で、仲間と音声チャットで会話ができたりする。ゲームと関係ない日常のたわいない会話もしてけっこう盛り上がる。ゲームの中なのに人生相談をしてくれる人もいる。
 兄に比べて秋彦は、ナギトワにそれほどなつかれてはいないようで、首輪をひっぱっても言うことを聞かないことが多くて、難儀している。
「もう帰ろうよ。ナギトワ、頼むよ」
 祐樹の家は、普通の戸建て住宅なので、散歩に出るし、まさ男は、ペットというより番犬みたいなものだ。玄関先に犬小屋みたいな竜小屋を持っていて、その時の気分で祐樹のベッドの横で寝ることもあるが、通常は小屋で寝る。
 マンションによっては、ドッグランよろしく恐竜ランの設備を持っているところもある。るみのマンションには恐竜ランがあるが、外へ散歩するのが好きらしい。
 るみのラベンダーは、ステゴサウルス。本物は推定で全長九メートル、体重三トン、(活動期間は、ジュラ紀後期)で巨大だが、ラベンダーは体長三十センチ、体重五キロ。
 一歳のメスで草食系。子犬ほどの小ささでかわいいが、それでも一人前にしっぽに鋭い角が四本付いている。
 秋彦のナギトワは、トリケラトプス。本物の大きさは、推定で、全長九メートル、体重七トン(活動期間は、白亜紀後期)だが、ナギトワは体長四十センチ、体重十キロ。一歳八か月のメスで草食系。頭に伸びる三本の鋭い角が特徴。
 先日、犬山公園で散歩中に二回り大きい秋田犬とけんかして勝った。秋彦はそれが自慢だ。ナギトワの頭の鋭い角で秋田犬はおしりをちくりとされて尻尾を巻いて逃げた。秋田犬の飼い主は、「もう犬はやめだ」と嘆いた。
「うちのナギトワが一番!」何が一番かわからないが、秋彦の口癖になっている。
 恐竜のエサは、ペットショップのサウルスフードだが、肉食系と草食系とで種類が異なる。中には雑食系のエサもある。間違うとおなかを壊したりするので、飼い主が気をつけてあげないといけない。
 サウルスフードの業界内の競争は激しい。赤ちゃん恐竜のための離乳食から専用ほ乳器はもちろん、紙おむつまである。ハーブや食物繊維を加えて栄養バランスを整えた専用フードから、ビタミン・ミネラルたっぷりのおやつまで多種多様だ。
 さらに、気候の変化にも気を配らないといけない。白亜紀(約一億四千五百五十万年前から約六千五百五十万年前まで。気温は高い)、ジュラ紀(約一億九千九百六十万年前から約一億四千五百五十万年前まで。現在よりも暖かく、降水量も多く、湿度も高い。緑が豊富)、三畳紀(約二億五千百万年前から約一億九千九百六十万年前まで。気候は高温で乾燥気味)といった出身時代ごとで気候が異なるので、季節の変わり目はとくに体調を崩すので気をつけたい。
 部屋の温度や湿度調整が大切で、室内で飼うのが原則なので、エアコンの使用は必須である。なぜか祐樹のところのまさ男は、昭和の番犬のように玄関先の小屋に住んでいるが。
 さて、ここ数年でペット化恐竜はかなり増えた。
 散歩中に、たまに犬の散歩に出くわすこともあるが、最近は、犬が恐竜を怖がって、散歩に出なくなってきた。猫もそういえば外で見かけることが少なくなってきた。
 千葉の房総や、湘南では、海竜のペットを飼っている人も最近は増えてきた。
 ヨットや、サーフィン、ダイビングなど海のレジャーに海竜を連れていく人も多い。
 家にプールがある富裕層が中心で、家では海水を入れた大き目のプールで飼っている。
 登山が趣味の人や山の別荘に住む人は、翼竜のペットを連れていく人も増えている。
 鎖で引っぱるわけにもいかず、海竜や翼竜のペットは、赤外線に反応して微弱電流が流れる特殊な首輪や誘導装置を身体につけている。飼い主は手元の赤外線リモコンで、右とか左とか上とか下とか、止まれ、進めなどの指示を恐竜たちに与えている。トレーニングセンターで一週間ほど飼い主と恐竜がいっしょに講習を受けると大体できるようになるそうだ。
 高速道路で、山へ向かう車の上をペットの翼竜が並行して飛んでいく姿を見ることも増えた。行楽シーズンになるとテレビでよく中継している。
 ニュースの解説で言っていたが、最近は、都会のカラスが減ったのはペットの翼竜が増えてきたことと関係があるらしい。
 山間部では、動植物の生態系に影響を与えないようにと、翼竜や恐竜の放し飼いはご法度で、エサもサウルスフードを与えるのが原則となっている。森林警備隊が常に見回りを行っており、違反すると罰金だ。
 祐樹たちが近所に住む板橋区の犬山ハッピーロード商店街は、ペットをつれて買い物もできる全長五百六十メートルの巨大アーケードだ。
 以前は、自転車がショップの前によく駐輪されていたが、最近は、その横に、駐竜スペースが作られて、ペットの恐竜がつながれて、ご主人様の買い物が終わるのを待っている。待っている間、恐竜同士で何かしゃべっているようにも聞こえるが、
「〇✖▽■」
 で意味はわからない。
 半年前に彗星が通過してから恐竜たちの会話が盛んになってきたような、気がする。
 彗星が発した電磁波が作用したのか、恐竜たちが急速に進化を始めている。ひょっとするとかなりの数の恐竜たちが、人間の言葉を理解できるようになってきたかもしれない。
 犬山ハッピーロードの駐竜場で待っている間、人間たちにわからないことをいいことに、ペットの恐竜たちは恐竜語で話し合っているみたいだ。政治や経済のことや、芸能界のスキャンダルや、飼い主の悪口や、だんなさんの浮気のことや、奥さんがウーハーイーツの配達員と仲良くしていることや、それはもういろいろと。
 ご主人様が買い物の帰りにペットを取り違える事件は、種類でだいぶ見かけが違うし、着せている衣装も違うので、きわめて少ない。もちろん、腕に抱けるくらいの小型の恐竜は、抱いて店内で買い物してもいいのだが。
 ただし、人気の高い恐竜は、盗まれることがあるので気をつけたい。ペット恐竜はたいがい首の後ろにGPS機能のついた超小型の鑑札プレートを埋め込んでいるが、どろぼうは磁気装置で簡単にこの鑑札プレートを破壊してしまうので追跡はまずできない。盗まれた恐竜たちは、闇のマーケットで高い値段で取引されて海外へ売られてしまうようだ。
 とか言っているうちに、るみのラベンダーがいなくなってしまった。
 るみが散歩の途中で犬山ハッピーロード入り口のエクセルシヨーネカフェでゆっくりお茶を飲んでいたときに、トイレを借りようと席を立ったのがいけなかった。
「あら、かわいいこね、いいわよ、見ててあげる」
 隣に座っていた知らない人が声をかけてきた。親切そうな三十代半ばの女性だった。
 髪が長くて黒髪の化粧の濃い女性だった。るみはラベンダーをうっかりこの人に預けてしまったのだ。
 もどると、その人もラベンダーもいなくなっていた。
 ラベンダーは、ステゴサウルスの中でもとくに賢くてかわいいと近所で評判なので、誘拐されないように気をつけていたのだが。
「ラベンダー、ラベンダー」
 るみは店の表で半泣きだった。
 そこへ、ペットの散歩中の祐樹と秋彦が通りかかった。
「どうしたの?」
 まさ男が見上げる。ナギトワは秋彦に抱かれたまま、るみの様子をうかがう。
「ラベンダーがいなくなったの」
 三人は犬山駅前の交番へ届け出た。
「わたしが悪いの、ラベンダー、ごめんね」
 るみの涙が止まらない。祐樹と秋彦はなぐさめようがなく、おろおろするばかり。
 おまわりさんの紹介で、歩いて十分ほどの板橋警察署に専門部署があると聞いたので、三人で出向いて獣竜課の刑事さんに相談した。四十歳くらいのおじさん刑事だった。
「いなくなったって? 早く見つけないと、海外へ持ち出されてしまうからね。急ごう」
 出前を食べた後みたいで、おなかのベルトを緩めた刑事さんは、爪楊枝でシーハーしながら言った。餃子のにおいが強かった。
 三人は、警察へ届けると同時に、自分たちでも行方不明のラベンダーを探し始めた。
 写真を貼りつけてSNSで呼びかけも行なった。
「うちの子を探しています」
 商店街の店舗や電信柱に張り紙したりもした。るみは一晩中、SNSの情報を確認していた。
 翌日の夕方。
 寝不足で目を真っ赤にしたるみのもとへ、ラベンダーがひょっこり戻ってきた。犬山駅南口に近い茶色のタイル壁のおしゃれなマンションの入り口に、だれかが車で運んできて、ラベンダーをおろしたのだ。
 ラベンダーはオートロックの玄関から自分で部屋にピンポンして、るみを玄関まで呼び出した。るみは転びそうになりながら五階から階段を駆けおりた。
「ラベンダー、どこ行ってたの? とても心配したよ。お帰り、ほんとよかった」
 るみはラベンダーを抱きしめた。枯れたはずの涙がふたたびあふれた。ペロペロとラベンダーがるみの頬をなめた。
 祐樹と秋彦もるみから電話をうけて、
「ほんとによかった、よかった」
 秋彦の横で兄の春彦が、
「ぼくはおまえを絶対に離さないぞ」
 ナギトワをぎゅうと抱きしめた。
 帰ってきたものの、ラベンダーの様子がその日からおかしかった。元気がないのだ。
 るみは、おじさんの神戸幸四郎(かんべこうしろう)教授に相談をすることにした。
 おじさんは東協大学獣竜医学部教授で、恐竜のペット化技術を開発した国内どころか海外でも著名な学者だ。そもそもラベンダーは、一年前におじさんの実験室で生まれた。
 ラベンダーは一年前におじさんからもらったのだ。
 次の日。
 るみは、文京区にある東協大学獣竜医学部で神戸教授の診察を受けた。前回、おじさんにラベンダーの健康診断をしてもらってからちょうど半年がたっていた。
「元気にしてたか、るみ。ラベンダーも大きくなったね」
 そう言いながら、るみに抱かれたラベンダーの頭をやさしくなでた。
 神戸教授は五十代なかば。背は高くなく、小太り体形。白髪で口ひげをはやして少し偉そう。おじさんは、るみの父親の兄で、独身。毎年お正月にるみの家で祝う新年会にやってくる。そのときはただの飲んべえのおじさんだが、今日のおじさんは、眼鏡をかけて白衣姿で、いかにも立派な教授に見えた。
 神戸教授は、ラベンダーをMRI(磁気共鳴画像診断装置)にかけた。そして、この半年間にラベンダーの脳が異常に大きく発達していることにおどろいた。以前の検査結果とくらべれば明らかだ。ラベンダーが生まれた一年前から、おじさんはラベンダーの脳の容量が通常のステゴサウルスやほかのペット恐竜たちの赤ちゃんと比べて抜きんでて大きいことに気がついていた。『それにしても身体に占める脳の比率が高い』
 るみが家に電話するとか言って診察室を出たときに、神戸教授はラベンダーに静かに話しかけた。ラベンダーは、教授の机にちょこんとすわって教授の目を見て聞いていた。
「きみは、わしの話がわかるね。この半年間でずいぶん成長したね」
ラベンダーが答える。その言葉は発音として「〇✖▽」で聞こえるが、言葉として神戸教授の脳に入ってくる。
「教授。おひさしぶりです。
 今日は教授にお伝えしたいことがあります。
 実は、教授の研究が悪いことに使われようとしています。戦闘恐竜の開発が行われているのです。
 このあいだわたしを誘拐した串名洋子(くしなようこ)さんに聞きました。串名さんは、教授の元お弟子さんだそうですね。串名さんは、わたしの脳が進化していることを知っていました。串名さんの話から推測するに、おそらく教授の研究室に盗聴装置がしかけてあると思います。わたしがこの研究室で生まれたことを串名さんは知っていて、以前からわたしをマークしていたそうです。
 スパイダーと名乗る悪の秘密結社が乙名下内(おとなげない)教授と組んで、あ、乙名下内教授も教授の元お弟子さんだそうですね。恐竜を巨大化させて戦闘能力を強化した戦闘恐竜の開発を、スパイダーが今、日本のどこかで進めているそうです。育てた戦闘恐竜を世界での覇権をもくろむ国々や組織へ売るのだそうです。それを阻止しないといけません。まもなく戦闘恐竜の開発が終わるという情報が串名さんのもとへ届いたそうです。わたしは串名さんが所属する国際環境保護推進組織ローズの活動へ誘われましたが、誘拐や暴力まがいの過激なやり方にわたしはなじめません。お断りしました」「そうだったのか。
 串名君は、わしの部下だったんだ。わしの研究に反対してね。十年ほど前にわしのもとを去った。恐竜をペットにしたり、動物園で観賞したりするのは、人間のおごりだと、きつく言われたよ。当時のわしは恐竜のペット化を実現したい、その思いだけで研究をしていた。
 たしかにそのスパイダーとかいう連中の暗躍は、わしにも責任の一端があることは認める。今は恐竜復活の技術を平和利用してもらいたい。その思いでいっぱいだ。
 串名君は、今はローズとかいう国際組織で活動しているとは聞いていたが、そんな過激な活動をしていたとは。乙名下内君もわしの下にいた。悪い連中と付き合っていたので、三年前に辞めてもらったのだ」
 遺伝子操作によって恐竜を小型化したり、能力を高めた大型の戦闘恐竜にもできる技術。これは東協大学の神戸教授が開発したもので、本来、国家で管理して外部へ持ち出せないはずだが、神戸教授の元部下の准教授が技術を持ち出して、悪の秘密結社・スパイダーへ売り込んだ。神戸教授に追われ、今は、東桜大学の教授となっている乙名下内教授だ。
 スパイダーとは乙名下内教授が准教授時代から付き合いがあり、研究資金を援助してもらっていた仲だった。
 そこへるみが戻ってきた。
「ママに電話したら、これから夕立が来るから早く帰っておいでって」
「食事に気をつけてあげればすぐに元気になるよ。心配いらないよ」と教授。
 るみはラベンダーを抱いて診察室を出た。ラベンダーは抱かれながらもドアが閉まるまで、教授の目をじっと見つめていた。
「ところで、どこに盗聴器が仕掛けてあるんだ?」
 ラベンダーにちゃんと聞けばよかった。神戸教授は診察室を見渡した。
西多摩市の百ヘクタールもの広大な敷地に遊園地と併設して動物園がある。多摩パークだ。ここは、東京都と民間の鉄道会社が共同で経営している。
動物園の隣に二年前に恐竜館ができた。そこには神戸教授が開発した遺伝子操作技術により、ペットより大きめの、サイやカバ、象のサイズの中型恐竜たちがいる。
 この中型恐竜たちを逃がしてやりたいと考える活動家がいた。国際環境保護推進組織ローズの活動家・串名洋子だ。ローズの本部はスイスだ。世界中に支部がある。串名は部下二十名を率いて日本支部長を任されている。支部の場所は秘密だ。ローズは恐竜館に反対している。動物園の恐竜たちを逃がそうと計画していたのだ。
 ある日の深夜。
 多摩パークの恐竜館の檻が破られた。中型恐竜たちがのっしのっしと逃げ出した。
 肉食恐竜ギガノトサウルス、タルボサウルス、草食恐竜のブラキオサウルス、アルゼンチノサウルス、など十頭ほど。
 重機を持ち込んで檻を壊したのは、串名洋子率いるローズの面々だった。最近は、やり方がさらに過激になっていた。パトカーや消防車が駆けつける。
 しかし、中型恐竜たちはいったん逃げ出したものの、結局のところ、夜明けには元の檻に戻ってきて飼育員にえさをせがんだ。
 中型恐竜たちもペット恐竜と同様に実は彗星通過後のこの半年でだいぶ脳が進化していた。人間の会話もわかるし、特に行きたいところもないし、飼育員さんたちにだいぶお世話になっているし、かわいがってもらっているし、お客さんも会うのを楽しみにしてくれているし、で、思い直して深夜の散歩から戻ってきたのだ。
 翌日、中型恐竜が逃げ出したもののなぜか自主的に戻ったニュースは、テレビやネットで大きく報道された。
「え、どういうこと?」
 串名洋子たちは恐竜が戻ったと聞いて、とても残念がった。
 スマホのニュースを見ているるみの横でその様子を知ったラベンダーは、これからさらに悪いことが起こる予感がして暗い表情になった。
「だいじょうぶ? 元気の出るスープを作ったからね。駅前の町中華『ひろちゃん』でテイクアウトした野菜スープがベースだよ」
 るみがラベンダーの頭をなでた。
 千葉県房総半島、東京湾をのぞむ丘陵地帯に三百ヘクタールの広大な敷地を持つファザー牧場の地下施設で、乙名下内教授が陣頭指揮を執っていた戦闘恐竜の開発が最終段階を迎えていた。しかし大型恐竜は、まだ開発できたのがスピノサウルス、プテラノドン、エラスモサウルスの三体のみ。 
 スピノサウルス・・・全長五十四メートル、体重二十七トン(恐竜・白亜紀前期から中期出身)
 プテラノドン・・・翼開長二十七メートル、体重百キログラム(翼竜・白亜紀後期出身)
 エラスモサウルス・・・全長四十二メートル、体重七十五トン(海竜・白亜紀後期出身)
 これらの戦闘恐竜を東京で暴れさせて、スパイダーが世界へアピール。覇権の拡大をもくろむ国や組織に売り込むのだ。テレビやネットで暴れている様が中継されれば大きな宣伝効果がある。今回は人殺しが目的ではない。大型施設の破壊だ。
 だが、
「どうしても足りないものがある」と乙名下内教授。
 戦闘恐竜を操作するのに、ある周波数の声が必要だというのだ。それはラベンダーの声だ。ラベンダーの声で命令すると恐竜たちが指示に従うのだ。ラベンダーの声には、人望ならぬ恐竜の人望みたいなもの、生まれ持ったリーダーシップを感じさせる何かが備わっているようだ。周波数だけではないプラスアルファの何かかもしれない。
 ラベンダーや恐竜たちに関するさまざまな情報を、乙名下内教授は神戸教授の研究室に仕掛けた盗聴装置によって得ていた。
 神戸教授の研究室の壁には、教授が子供時代に大好きだったあるロボットアニメの絵がかかっている。その主人公のロボットの目のところに盗聴盗撮用超小型カメラが仕込んであった。
 ロボットの右目に乙名下内教授のカメラ。左目には串名洋子のローズが、カメラを仲良く仕込んでいた。神戸教授はかつての部下たちがこのような仕掛けをしていることにまったく気がついていなかった。
 スパイダーの手下が、乙名下内教授から指示されて、犬山公園でラベンダーを見張っていたときに、ペット恐竜同士がけんかしているところへラベンダーがやってきて何か話すとケンカがおさまるところを目撃した。それも一度だけでなく何度も。
 その報告を受けた乙名下内教授は、ラベンダーを戦闘恐竜たちの司令官にしたいと考えて、ラベンダーの声が届くように戦闘恐竜たちの身体に特殊なコントロール受信装置を埋め込んだ。
「ラベンダーをここへ連れて来い」
 教授はスパイダーの手下にラベンダー誘拐の指示を与えた。
 この日も祐樹たちは夕方から犬山公園に散歩の途中に集まっていた。
 ペット恐竜といっしょに滑り台やブランコをして遊んだ。
「まさ男は運動神経ゼロだな」
 滑り台から転げ落ちたまさ男を見て、秋彦が笑った。
「やっぱりうちのナギトワが一番だ」
 ナギトワはブランコがうまい。
 祐樹は、滑り台の下であおむけに転んだままのまさ男のおなかをなでながら、くやしそうに唇をかんだ。
「しっかりしろよ、まさ男」
 少し離れて公園の近くに怪しい黒塗りの大型ワゴン車が停まっていた。窓がスモークガラスになっていて車内が見えない。
「五時三十分になりました。外で遊んでいる子どもたちは、気をつけておうちへ帰りましょう」
 防災無線のスピーカーから「夕焼け小焼け」の音楽と一緒にアナウンスが流れると、ペット恐竜たちと遊んでいた小さな子供たちも親と一緒に帰宅を始めた。祐樹とるみと秋彦三人が、ペットと一緒に残された。
「ぼくたちもそろそろ帰ろうか」
 そのときだった。
 三人の目の前が真っ暗になった。スパイダーの手下たちが三人に黒い布をかぶせて押し倒したのだ。ペットたちも鳴き声をあげたが、何かを吹き付けられたのか、すぐに鳴き声がやんだ。三人も何かを布の上から吹きかけられて、気を失った。
「ふたりは置いていきましょうか」
 手下のひとりが祐樹と春彦を指さして言った。
「ばか、かえって怪しまれるだろ。ここは全員連れて行くほうがいい」とリーダー。
 三人と三頭は気絶したまま、ワゴン車に乗せられてどこかへ連れ去られた。公園はひっそりとして誰ひとり目撃者はいなかった。
ワゴン車は都心を抜け、東京湾アクアラインを東へ走った。
 黒のワゴン車は、沈む直前の夕陽を浴びてひた走る。眼下の波は静かだ。走る車たちのヘッドライトが灯り始め、房総半島へ向けて海の上に光の直線が延びていく。
「むにゃむにゃ」と秋彦。
「ここはどこ?」と祐樹。
「静かにしろ」
 手下の男からおでこにパンチを食らった。祐樹と秋彦はふたたび気絶した。
 千葉県に入った。あたりはすっかり暗くなった。
 山道に入った。車は道幅に気をくばりながらゆっくり進んでいく。
 鈴虫が泣いている。すすきの穂がゆれて、秋の気配がただよう。周囲には何もない。
 街灯の電球がばちばちと点滅し、今にも切れそう。蛾が周りを舞っている。
 雨上がりの泥道を抜け、草の匂いがただよう牧場地帯を過ぎ、やがて目前に大きな鉄の扉が現れた。牧草で覆われてふだんは見つからない。
 ぎいーー、車を感知して重い扉が左右に開いた。
 車は鉄の扉を抜けて急斜面を地下へと潜っていく。ここは千葉県ファザー牧場の地下に広がるスパイダーの研究施設だ。
 車が停まり、正面に髪の薄いぎょろ目でやせぎすの中年の男が現れた。乙名下内教授だ。白衣姿だ。
「待っていたよ」
 もうろうとする三人と南京袋に押し込められたペット恐竜たち。彼らは施設の奥へとひきずられていった。
 教授の研究室らしい部屋が現れた。
 三百平方メートルほどのスペースに研究機材が乱雑に並べられていた。十名ほどの研究員がブースに仕切られた机の前で各自研究を続けていた。
 部屋の中央に古い革張りの応接セットがあり、ソファの周りに置かれたパイプいすに乱暴に三人は座らされた。いすの背に縛り付けられる。
 三人はまだもうろうとしていた。
 ペット恐竜三頭も目の前の冷蔵庫二台分くらいの大きさの鉄製の檻に入れられた。
 教授の助手がラベンダーに近づき、腕に注射をした。ラベンダーは目覚めた。他の二頭はまだ眠ったままだ。
「きみがラベンダーだね。人間の話がわかるそうだね。神戸教授から聞いているよ。といっても勝手に盗聴したんだがね。
 説明するまでもないだろう。きみはすでに知っているだろうが、我々はここで戦闘恐竜を育てている。三頭がスタンバイしている。だが残念なことに戦闘恐竜に指示を与えることがむずかしい。そこできみの力を借りたいと思っている」
「わたしは知らない。そんな力をわたしは持っていないわ」とラベンダー。乙名下内教授の脳に懸命に話しかける。音声では「〇✖▽■」と聞こえる。「きみが恐竜たちを動かす特別な能力を持っていることはすでに確認済みだ。隠してもだめだよ。公園できみが他のペット恐竜たちのけんかの仲裁をしているところをわたしの部下が何度も目撃しているからね。
 わたしはおそらくきみの声に何か秘密があると考えている。
 そこでだ。わたしに協力してくれたら、きみのお友達を無事に家に帰してあげるよ。協力を拒むのなら、みんなの命はないものと思いたまえ」
「わたしは知らない。そんな力はないわ」
「協力しないだろうとは思っていた。大丈夫だ。実は今のきみの声のサンプルを録音した。
 きみの声質にヒントがあると思っていたからね。
 きみたちの恐竜語は公園で録音して、ここにある量子コンピュータですでに解析してある。あとはきみの音声サンプルを合成して、我々の命令装置に吹き込むだけだ。
 ありがとう。十分に声のサンプルをいただいたよ」
 乙名下内教授は自信たっぷりに言い放った。
「そこで見ているがいい。これから始めるわたしの仕事を」
 ラべンダーは目を細めてくやしそうな表情をした。
 研究室のスタッフがラベンダーの音声を分析、編集、合成作業を始める。
 そして二時間が経過し、
「教授、できました」
 教授がヘッドホンを両耳に当てる。
「おお、みごとだ。これでわたしの仕事が始められる」
 研究室の壁の大型モニターに地下の育成施設の戦闘恐竜たちが映しだされた。
 戦闘海竜のエラスモサウルス、戦闘翼竜のプテラノドン、戦闘恐竜のスピノサウルスの三頭の姿が現れた。数十メートルはある見たこともないビッグスケールだ。元の大きさを超えている。
 教授がモニター越しにマイクに叫ぶ。
「発進」
 その声は、マイクを通してラベンダーの声「〇✖▽」となって、それぞれの戦闘恐竜たちの脳へ響いた。
 戦闘恐竜たちも彗星飛来以来、脳の急速な進化が見られ、人間の言葉を理解していた。
 しかし、理解することと指示に従うことは異なっていた。それがなぜかラベンダーの声には素直に反応した。
 戦闘海竜のエラスモサウルス、戦闘翼竜のプテラノドン、戦闘恐竜のスピノサウルスの三頭が発進した。
 エラスモサウルスとスピノサウルスは、東京湾へつながる地下水路へもぐりこみ、プテラノドンは地下の育成施設から垂直に伸びた筒状のトンネルを羽根をたたんで一気に上昇してファザー牧場の円筒形の巨大サイロから飛び立った。
 各戦闘恐竜の身体には、ラベンダーの指示を受けるコントロール受信装置が仕込んであり、遠隔操作が可能だった。
「おい、秋彦」と祐樹が小声で。
「おう、祐樹」と秋彦がささやき。
「起きてた?」とるみ。
 三人は目が覚めていたが、いすに縛り付けられたまま頭を垂れて、まだ目を開けずに眠ったふりをしていた。
「きついよ、このひも」
「腕がしびれてきた」
 祐樹と秋彦はおでこにたんこぶをこしらえていた。
 少し離れた巨大モニターの前で、教授は戦闘恐竜たちに指示を与えていた。一生懸命なので振り向く間もない。
 るみのかたわらにはラベンダーたちが閉じ込められた檻が置かれていた。 まさ男は、いびきをかいて寝たままだ。ナギトワも眠っている。
 ラベンダーがこちらを見上げた。るみと目が合った。
「るみ、スマホを私に渡して」
「話せるの?」
 ラベンダーの声がるみの頭にひびいた。るみは一瞬、ラベンダーの声に驚いたが、驚いている場合ではないと考えなおした。るみは、肩に斜めがけしている小さなポシェットからスマホの頭がのぞいているのに気がついた。
「わかった」
 るみはいすごと身体をゆすって檻に近づく。そしてわざといすごと転んだ。がしゃっ。
「何してるんだ」
 手下の男が近づいて、るみを起こした。るみは寝たふりをしていた。
「仕事がおわるまで、寝てろ」
 るみが転んだときに、ポシェットからスマホがとびだし、うまくラベンダーの近くへ落ちた。るみはラベンダーにウインクした。ラベンダーは檻の格子から両手をつき出してスマホをつかみ、手下に見つからないように操作を始めた。
 ついに世間にアピールする日がやってきた。研究室の乙名下内教授は興奮していた。
 真夏の深夜。
 全長四十二メートル、戦闘海竜のエラスモサウルスが、東京湾に出現。海上防衛隊の潜水艦SS800「たいりゅう」と遭遇した。
 潜水艦は正当防衛ということで魚雷を発射したが、エラスモサウルスの海底での急降下、急上昇のテクニックに追い付けず、魚雷は海底の岩に激突して爆発した。
 一部始終を目撃したイカ釣り漁船の船長は、
「日本の防衛はまだまだだな」愛犬よろしく愛竜プレシオサウルスの長い首をなでながら嘆いた。
 同じ頃。
 左右の羽根の長さが広げた状態で二十七メートル。戦闘翼竜のプテラノドンが、東京スカイツリーの上空に出現。六百三十四メートルのてっぺんのアンテナに停まり、思い切り羽根をはばたかせて、破壊した。アンテナが、北に少し傾いた。都内のテレビの映りが悪くなったとの問い合わせが、各テレビ局の視聴者センターを賑わせた。
「受信料を返せ」
 公共放送の電話が鳴りやまなかった。
 少し遅れて。
 全長五十四メートル、戦闘恐竜のスピノサウルスが東京湾から上陸して山手通りをのっしのっしと北上、新宿副都心に出現した。
 いったい何体やってくるのだろうか?
 消えぬ不安の中、テレビを見ていた人々のストレスはかなりのもので、救急車の出動回数が大幅に増え、都心だけでなく郊外の病院でもストレスで倒れる人々であふれた。
 深夜なので昼間よりは人出は少ないが、それでも新宿はかなりの人たちがいた。
 スピノサウルスは高さ二百四十三メートル、都庁第一本庁舎ビルのてっぺんによじのぼり、そびえたつ二本の尖塔のうち一本をかじった。バリバリバリバリ。
 航空防衛隊のUH100Jヘリ部隊が出動。スピノサウルスめがけて麻酔弾を放ったが、薬が効く気配がない。
「キングゴングのようにはいかないな」と防衛隊パイロット。
 ビルから逃げ出した人々が半ばパニック状態で街中を逃げ惑っていた。それでも見たことのない恐竜に、
「ガジラなの?」「怪獣なの?」
 巨大すぎて、みんな恐竜とは思っていない。
 マスコミのヘリも数十機が飛び交った。テレビとネットでライブ中継が行われた。SNSも盛り上がった。
「地球温暖化の影響だ」
「彗星と関係あるの?」
「ハリウッド映画の撮影か?」
 幸い、スピノサウルスはビルを壊しただけで、人々に直接危害を加える攻撃はいっさい行わなかった。
 そのころ、檻の中のラベンダーが、るみのスマホを操作してテレビ中継に見入っていた。
 現在の状況を把握したのち、スマホで人気のゲーム「恐竜ハンター」のアプリを立ち上げ、オンラインでペットの恐竜たちに呼びかけた。ゲームの中のキャラクターとなって呼びかけた。音声チャットだ。
「わたしはラベンダー、今からみなさんにお願いがあります」
 音声では「〇✖▽■」と聞こえていた。
 手下の男が、
「うるせいぞ、恐竜、しずかにしろ」
 檻をゆすった。
 ラベンダーはスマホを思わずまさ男の背中に隠した。
 まさ男は腹を出してあおむけで眠っていた。いびきをかきながら、こっそり薄目を開けて。
「おまえはいい身分だな」と手下の男。
 ナギトワも目を細めて男をにらんでいた。
 ラベンダーは、ゲームの中では「女王」と呼ばれていた。
 人気のゲームアプリなので、恐竜のペットを飼っている人なら、まずはこのゲームのアプリをスマホに入れている。これが噂の恐竜通信だ。ラベンダーはゲームをやり慣れている風だった。おそらくふだんから、るみのスマホでこっそりやっていたに違いない。
 東京および周辺のペットの恐竜たちが、ご主人がゲームアプリを立ち上げて遊んでいるときに、戦闘恐竜を阻止しようとの「女王」の呼びかけに呼応し、主人のもとを離れて、戦闘恐竜のもとへ駆けつけた。
 巨大彗星の通過以降、この半年間で急速にペットの恐竜たちの頭脳が発達していた。
 首輪のベルトくらい器用に指を使ってはずせるし、主人のスマホくらい操作できるし、人間たちに脅威を与えないように従順なふりをしていたのだ。
 超古代。恐竜たちは、巨大隕石が地球へ激突したことによって滅んだと言われているが、今回は、彗星の放った強力な電磁波が、恐竜たちの知能を目覚めさせたようだ。
 ペットの恐竜たちは、簡単に首輪をはずし、ご主人様からクレジットカードを拝借して、タクシーに乗ったり、ヒッチハイクをしたり、走ったり、泳いだり、飛んだり、いろいろな手段で駆けつけた。主に東京と近郊のペット恐竜たちが駆けつけた。
 三畳紀の恐竜・・・・・アリゾナサウルス、プラテオサウルス、ヘレラサウルスほか。
 ジュラ紀の恐竜・・・・・プレシオサウルス、ユタラプトル、ディモルフォドンほか。
 白亜紀の恐竜・・・・・ヴェロキラプトル、マイアサウラ、ペレカニミムスほか。
 海竜は、荒川、江戸川、墨田川、多摩川を泳ぎ、東京湾へ出。
 翼竜は、東京上空を飛んでスカイツリーを目指し。
 恐竜は街道を走って新宿副都心をめざし。・・・
 そしてペット恐竜たちは数千頭の束になってスカイツリーや東京湾や都庁の戦闘恐竜たちに襲いかかった。それぞれの戦闘恐竜たちはペット恐竜たちにその巨大な全身を覆われ、中からくぐもった苦しみの叫びをあげた。
「ぐごおおうおうおう」
 コントロール受信装置は、スピノサウルスの背中の突起、プテラノドンの巨大なトサカ、エラスモサウルスの長い首の裏に仕込まれていた。
 ペット恐竜たちは、コントロール受信装置を戦闘恐竜たちの分厚い皮膚の上から次々にかみついて破壊した。深夜の東京に恐竜たちの咆哮がこだました。
「ぐごおおうおおおおおおう」
 戦闘恐竜たちは、コントロール受信装置を破壊されて、乙名下内教授の支配下から解放された。それは戦闘恐竜たちのよろこびの叫びにも聞こえた。「くそ、おまえたちどうしたんだ?」
 研究室で乙名下内教授はくやしそうに叫んだ。
「〇✖▽■」
 ラベンダーはかみついていたペット恐竜たちにある指示を与えていた。
 その指示は、それぞれの戦闘恐竜たちにも伝わった。
 急におとなしくなった戦闘恐竜たちは、やがて数多のペット恐竜たちに導かれ、西多摩方面へ移動を開始した。戦闘海竜のエラスモサウルスは多摩川を北上し、戦闘翼竜のプテラノドンは空を西へ飛び、戦闘恐竜のスピノサウルスは甲州街道をのっしのっしと西へ移動した。道路のアスファルトにひびが入り、相当傷んだことがのちにわかった。マスコミのヘリが執拗に彼らを追いかけた。
 千葉県警が、戦闘恐竜たちのコントロール受信装置が受信した電波の出どころを探っていき、ついに戦闘恐竜のアジトであるファザー牧場の地下施設を特定した。
 乙名下内教授は、施設の研究員たちとともに逮捕された。
「わしは死すとも、スパイダーは死せず」
 教授がかっこつけてマスコミのテレビカメラの前で発した言葉だ。
 祐樹と秋彦とるみ、そしてラベンダー、ナギトワ、まさ男は救出された。
 これでスパイダーの日本の拠点は崩壊した。しかし、海外のどこかにあるというスパイダー本部に戦闘恐竜の開発技術は流れたとも聞く。
 騒動から三か月がたった。
 西多摩市の多摩パーク恐竜館に、戦闘恐竜が三体、収容されていた。
コントロール受信装置が外されているし、もともとペット化技術で作られているので、超大型なのに性格はおとなしく、観客によくなついた。
 戦闘海竜のエラスモサウルスが、流れるプールで子供を長い首や背に十人ずつ載せて泳いだりするのは、子供たちに大人気で、親子で長い順番待ちもできた。
 戦闘恐竜のスピノサウルスが観覧車を回した。ゴンドラをのぞきこむスピノサウルスの顔のどアップは迫力満点だ。きゃあきゃあ悲鳴もあがるが、観客は大喜びだ。
 戦闘翼竜のプテラノドンがジェットコースターを引っ張る。ときどき軌道をはずれて空中に舞い上がるのは愛嬌だ。今や名物となった「空中コースター」だ。大迫力過ぎて、観客は悲鳴もあげられないという。
 各戦闘恐竜たちのトサカや突起には、ペット恐竜たちにかみつかれたときの傷跡を隠すために大きな絆創膏が貼ってあった。
 三頭とも食欲が旺盛で、東京都から恐竜の食費の援助が出ている。
 ファザー牧場の育成施設から収容した中型の戦闘恐竜も五頭、檻に入った。こちらも食欲旺盛で、大きくなりそうだ。
 戦闘恐竜たちは人間の言葉を理解していた。
 子どもたちが連れてきているペット恐竜と戦闘恐竜がときどき会話していた。戦闘恐竜たちは、ペット恐竜たちが持ってくる世間の情報を楽しみにしている風だ。彼らがときどき発する恐竜語「〇✖▽■」を理解できる子供たちはいなかったが。
 板橋区犬山地区にも平和な日々が戻っていた。
 祐樹たちは、いつも通り、夕方の散歩中に犬山公園に集まっていた。
「四時三十分になりました。外で遊んでいる子どもたちは、気をつけておうちへ帰りましょう」
 防災無線のスピーカーから「夕焼け小焼け」の音楽と一緒にアナウンスが流れた。
「まだいいよな。俺、子どもじゃないし」と春彦。
 今日は秋彦に代わって兄の春彦がナギトワの散歩だ。冬の日没は早い。祐樹たちや恐竜たちのはく息が真っ白だ。三十代半ばの女性が近寄ってきた。串名洋子だ。
「かわいいわねえ」とか言ってラベンダーに近づいた。
「まだあきらめてないわよ」
 小さな声でラベンダーにささやき、国際環境保護組織ローズへ誘った。
「〇✖▽■」
 ラベンダーは鋭い目で串名を見据え、誘いを断った。ラベンダーは、るみの腕に抱かれて甘えた。
「おねえさん、嫌われたみたいよ」とるみ。
 きっ、とるみをにらんで串名はその場を去った。るみは、串名洋子が、髪形をすっかり変えてマスクをしていたので、以前、ラベンダーを誘拐した犯人とは気がつかなかったようだ。
 そんな中、さらに進化を始めている恐竜がいた。秋彦の家のナギトワだ。
 ラベンダーがファザー牧場の地下施設でとらわれているときにナギトワと話してわかった。ナギトワは、人間に代わって恐竜が地球上の主になるべきと考えている。ナギトワは、家のテレビで情報を得ていた。もちろんスマホも操作できる。
 春彦が、
「秋彦、おまえ俺のスマホに触ったか? 勝手に見るんじゃないぞ」
 秋彦はおでこを指ではじかれた。
「ぼく、そんなことしてないよ」
 秋彦は思わずナギトワを見た。ナギトワの右目がウインクしたような気がした。秋彦は少し寒気がした。
 はたしてこの先、人間は永遠に地球の主でいられるのか。あるいは恐竜と立場が逆転してしまうのだろうか。
 祐樹は、夜明けに夢を見た。
 主人がまさ男になっていた。そして自分が首輪をつながれたペットになっていた。
「そんなバカな」
 祐樹は、ベッドの中で、汗びっしょりになっていた。
 ベッドの横では、ティラノのまさ男が、ぐっすり眠っていた。
「ぐごううー」
 いびきをかいて幸せそうだ。腹を出して、あおむけで、無防備なやつだ。
 こっそり薄目を・・・開けていなかった。
 おなじ恐竜でも、ラベンダーやナギトワとは違うなあ・・・。   

 

                               〈了〉

 

 

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