いま、求められる「編集」

「編集」が消えていく世界に という記事を読んだ。

「『編集』が消えていく」、ぼくも10年くらい前には、同じように思っていた。ネットの時代になると、造り手がダイレクトに表現していくようになり、いわゆる編集者の仕事は減っていくだろうと。

ネットの原稿は、校正の専門家によって校正されていないことも多いし、文章の精度の低いものも少なくない。もちろん、クオリティの高いものもあるが、文章的にある程度クオリティが低くても許容されているという面もある。速報性を重んじていたり、個人の意見がダイレクトに発信できるという意味では、それはむしろネットの強みですらある。このような状況では、文章の専門家としての編集者の役割が、紙メディアほど求められていないように見えてくる。

でも、今は別の意見を持っている。むしろネットの時代こそ、編集が必要になると。編集というものの形が、これまでの本や雑誌と少し違うだけなのではないかと思っている。

例えば、デイリーポータルのような面白さは、Webならではだと思うし、ウィキペディアのように、固定化されない集団で編集されていくという形も模索されている。noteのようなサイトも、それぞれの記事だけでなく、全体としての編集がされていることが感じられる。そう考えると、編集というものが、コンテンツを作りあげるだけでなく、コミュニティマネジメントを含んだような感覚も必要になり、これまでの単に本や雑誌を作るだけではない能力が必要とされるようになっていることがわかる。

これまで「編集」が意味していたことも、単にクオリティの高い原稿を作っていくだけではないはずだ。誰にどんなことを伝えていくか。制作物が存在する意味、社会的・歴史的な意義・価値を作り出していくことが重要だったはず。そして、今、すべてとは言わないけれど、いくつかのウェブメディアは、それを行っていると言っていいと思う。そして、それはまさに「編集」と呼ぶべきものだと思うのだ。

これから、もっと「編集」が重要になっていくと思う。それは、著者の原稿を直したりとかいうレベルではなく、情報の本質を捉えて、社会のなかで適切に存在させていくという仕事として。

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