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僕たちは知っている。新・映像の世紀

心が重くなる映像も多く見ることになるのがわかっていたのもあって先送っていた「新・映像の世紀」。

「映像の世紀」はリアルタイムでは見たことがなかったのだけど、気になってはいて頭に残っていたところに「新」が出たのを撮りためていたのをえい、と少し心に勢いをつけて一気に見た。やはり苦しくなるシーンも多かったが、めちゃくちゃよかった。

20世紀における映像という発明がどれだけインパクトが強いものだったことがよくわかる。20世紀は映像の世紀だった。そして、象徴的なコンテンツは戦争と資本主義だ。

一気にこの100年間を映像で振り返ると、「たかが100年」なのにここまで社会、思想、人が変わるのだろうかと本当に思う。おじいちゃんの時代くらい、ほんのちょっと前の話。

高校生までの学校授業では近代、現代史は授業でもすっ飛ばされることが多かったので、私たちはこうやって100年を振り返ることがとても少ないように思う。国家として振り返りにくい事情も多い。「今」につながるところが多いからだ。

政治、経済でもウソ、時代時代のプロパガンダは「今」から見るとそれを解釈、追体験するのに知識と訓練が必要だ。

その中、「映像の世紀」は、時代の解釈ではなく、当時の映像のみで構成することにこだわられていて、時代を超えて見ることができる秀逸な作りになっている。

まだ見てない人はタイミングはいつでもいいので手にとって見ると発見があると思います。

第二次世界大戦中、ドイツ、ブーヘンヴァルト強制収容所で残虐な行いがあった。解放後まもなく、この惨劇を伝え残すために、近隣ドイツ市民が見学させられる映像が残っている。「知らなかったんだ」というドイツ市民から声があがるなか、収容者たちは怒りをあらわにして「あなたたちは知っていた」と叫んだ。

そう、僕たちは知っている

人類史上もっともアクセス可能な情報が増えた。けれど、今の中途半端なアルゴリズムによって見せられる情報だけでなく、より意識的に見に行かなければならない情報がこの過渡期にはある

大丈夫。ファクトフルネスよろしく、世界は良くなって、人間は進化していっている。インターネットは人間2.0になる試練だ。

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