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最期に見つめるのは青空か、それとも・・・

稲垣栄洋著『生き物の死にざま』という本を手に取った。ある経営者から勧めてもらった本だ。まだ20ページも読んでいないが、心を揺さぶられる本だと冒頭で感じた。蝉(セミ)は最期に何を見つめるのか。考えたことがあるだろうか。

* * *

僕の認識

最近、朝晩はめっきり涼しくなった。ついこの前まで時には耳障りなくらい蝉が鳴いていたと思ったのに。

正直言って、僕はあまり虫が得意ではない。特に脚が4本以上あるものは受け付けない。蝉は6本である。・・・まぁ、ギリセーフか。

“蝉は1週間くらいしか生きられない”という話はよく聞く。1週間力を振り絞って鳴き続け、いずれ力尽きてその一生を終える。

僕の蝉に対する認識は、その程度のものだった。好きでもない虫のことを詳しく知ろうとも思わなかった。この本に出会うまでは。

生き物の死にざま

稲垣栄洋著『生き物の死にざま』という本を手に取った。ある経営者から「面白いから読んでみな」と勧められた本だ。僕が読む本を選ぶ基準は色々あるけれど、多くは誰かが勧めくれた本か、本屋でビビッときた本である。(今どき、「ビビッと」なんて言わないか・・・世代がバレる)

まだ冒頭しか読んでいないが、この本は様々な生物の死に様について書かれた本だ。その一番最初の話が蝉の話だった。この章のタイトルは『空が見えない最期』だ。

僕が“蝉は1週間しか生きない”と認識しているのは、僕が知っている蝉は翅(はね)の生えた成虫だけだからだ。実は蝉は土の中で幼虫として生きる期間がとても長いらしい。本書には7年とも書いてある。

ちなみに最近の研究では、成虫でも1ヶ月くらい生きるという説もあるらしい。昆虫の生態はまだまだ謎だらけなのだ。

そんなにも長いあいだ土の中でひっそりと生き、そしてわずかな成虫の期間はメスを惹き寄せるためにオスは鳴き続け、そして繁殖活動を終えれば最期を迎える。

夏の終わりには蝉が道端で息絶えている様子をよく見かけると思う。そのほとんどは、仰向けの状態になるらしい。あまり気にして見たことなかったが、言われてみれば確かにと思う。どうやら最期を迎える時には脚が縮こまってしまい、自然にひっくり返ってしまうらしい。

初めて知った。蝉の最期のこと。

何を感じるとるか

蝉の死骸が道端に転がっている。虫が苦手な人は

「うぇぇ〜、キモチワル!」

と思うだろう。僕みたいにギリセーフくらいの感じの人は特に何も思わないかもしれない。僕も今まで道端に転がっている蝉に対する特別な感情はなかった。でも、2歳の息子が転がっている蝉を触ろうとした時には、

「やめといて〜!」

とちょっといつもより大きな声を出してしまう。本音は、ギリセーフじゃなくてギリ、アウトかもしれない・・・

ところで、この本の著者である稲垣先生の感性は素敵だ。

“その生命は静かに終わりを告げる。死ぬ間際に、セミの複眼はいったい、どんな風景を見るのだろうか。” 【生き物の死にざまより引用】

蝉はほとんどの場合、ひっくり返った状態で最期を迎える。ということは、地面を見つめて最期を迎えることになる。蝉の眼は背中側についているから。

わずかな期間しか生きなかった成虫の間に眺めた眩しく青い夏空ではなく、長年暮らしてきた母なる大地の方を見つめて最期を迎える。

そこに意味はあるのか。いや、蝉という昆虫の死のメカニズムとしてひっくり返ってしまう確率が高いだけだから、意味はないのかもしれない。

でも、意味があるようにも思えないだろうか。

そんなことを考えさせてくれる本に出会えたのが、嬉しい。身近な生物の知らなかった世界を垣間見て、ワクワクと、哀愁と、様々な感情がこみ上げる。

良いか悪いか、僕にはなんでも感情移入してしまうクセがあるらしい。この先、涙せずに読みきる自信がないのは、ここだけの話である。

このnoteは、日々の暮らしの中の気づきや学びを短い文章で綴っています。僕の何気ない気づきが、あなたの気づきや行動のきっかけになれば嬉しく思います。

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