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続・高校受験

塾の試験を受けてみたら…。


偏差値57。


いいのか悪いのか、全くわかりません。

先生に聞いたら、

「結構いいよ! 頑張れば千葉高狙えるかも!」

え? ち、千葉高?
通っていた塾では、塾内の偏差値が65あれば、千葉高は受かるだろうと。
そもそも自分がどういうレベルの高校に行きたいのか、当時は全くイメージできていませんでした。
90年代当時の千葉高は、浦和高校以上の進学実績(ただし浪人が大半)、自由な校風で校則は一切なし、ラグビー部は花園に出たばかり、周りで目指している人は学級委員さんばかり…。
僕なんかでも目指せるのかなあ。目指していいのかなあ。
いいのか。

じゃあ、頑張ってみよう!!

というわけで、中2の3学期が始まり、部屋にあったスーパーファミコン(世代w)を封印し、勉強を開始しました。塾の成績は順調に上がり、中3の1学期には、塾内偏差値72まで上がりました。

しかし、学校の成績が一向に上がらず。
当時、通っていた中学校はひと学年に230人くらいいて、中2の時、私の順位は20番台。
クラス内順位は4,5番。
それだけならまあ何とかなると思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、

実はワタクシ、内申が破滅的に悪かったのです。

各教科5段階で成績がつき、9教科で45が満点。
千葉高受験生の多くが40以上あるのだと思いますが…。

30くらいしかなかったのです…w
平均3ちょい。

なんでこんなに悪かったのか? 当時はよくわかりませんでした。
(奇妙な話ですが、高校の時は早慶の指定校推薦射程内くらいの成績はとっていましたし)
今となってはわかりますが、授業態度が悪かったり、(提出しなければならない)ノートが雑だったり、運動神経が悪かったり(体育2が思いっきり足を引っ張ってくれましたw)…。

内申も偏差値も、何とか上げなければならない。
流石に中3になってからはもう少し成績がマシになって35くらいまで上がり、何とか一回だけ学年トップ10にも入ることができました(それでも、千葉高志望者としてはかなり下の方だったかと)。

ただ、それでも幸いだったのは、当時は中3の内申点のみが本番の試験に加算されたということと、そもそも内申の比重が低かったということです。
学校によっても違うのですが、90年代後半の千葉高の場合、試験の500点に、内申点の90点満点を単純に加算した点で評価します(他の高校の場合、内申点に数字をかけたりして比重を変えたりしていたようです)。そして、一般入試枠が95%と、推薦枠がほぼなかったのも有難かったです。

そういうこともあり、とにかく本番で点を取れば受かる。
でも、内申が悪い生徒が千葉高を受けようとする場合、
中学校の担任の先生がゴーサインを出してくれない場合があります。
ゴーサインを出してもらうには、難関私立に受かっておかなければなりません。
(その他に一校、「万が一」の時に備えて受けておく学校というのがありましたが、難関私立が全滅して、そこしか受からなかった場合は、そもそも千葉高を受験させてもらえなかったと思います)

そういうわけで、ここから考えたことは2つ。
①難関私立にどこか受かる。
②当日点数を稼ぐ

以降、そのことだけを考えて勉強し続けました。

続く!
(受験noteではないので、次回でラストにしますw)


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