名前が変わる、ということ
東京都立大学を訪れて
こんばんは。
先週のことになりますが、仕事で東京都立大学に行ってきました。
まずは腹ごしらえ。
駅の改札を出てすぐ、フレンテ南大沢(新館)の5階にある
「南大沢駅まえダイニング 東京ミートレア」へ!
肉料理を中心に、いくつもお店があるフードコートです。
BBQ KITCHENでミックスグリルをいただきました!
ご飯を食べ終えて、いざ大学へ!
真新しい「東京都立大学」の文字。
そういえば、以前仕事で訪れた時は、「首都大学東京」という名前でした。
ちょっと気になったので、駅まで戻ってみました。
駅前には、周辺の案内図があります。
こちらは「首都大学東京」のまま。
しかも、よく見ると、元々あった地図の上に、「首都大学東京」という文字を貼り付けているのです。
私が大学生の時、この地にあったのは「東京都立大学」でした。
その名前が変わり、「首都大学東京」になった。
上書きされた痕跡が、確かに残っていた。
僕が初めて南大沢を訪れたのは、大学時代に友人の演劇を見に来た時でした。少なくともその当時か、もっと以前からこの案内図はあったということになり、街の変化をずっと見守ってきたのでしょう。
この地図の管轄が、京王電鉄さんなのか、八王子市役所さんなのかは、私もわかりません。いずれにせよ、大学の外にあるこの案内図を、更新するところまで手が回っていない、もしくはそのインセンティブがない、ということなのでしょうか。
そして、もし修正する場合、この貼り付けた「首都大学東京」の上に「東京都立大学」を貼るべきなのか、もしくはこのシールを剥がすべきなのか。
剥がしたとて、そこにもとの「東京都立大学」が綺麗に残っているのか。
そんなことを、余計なお世話と思いつつもつらつら考えてしまいました。
かつての東京都立大学関係の方は、
「馴染のある名前に戻った!」と喜ばれている方も多いことと思います。
でも、一方で「首都大学東京」時代に学ばれた方にとっては、
自分たちの時代を否定されたようにも感じられるのではないでしょうか。
何が正解、という話をしようというつもりはありません。
ただ、名前を変えるというのは非常に重いことだと言いたいだけです。
名前をつけるということ
編集者をしていると、本のタイトルを決めなければなりません。
綺麗にスパッとタイトルが天から降ってくることもごくまれにありますが、
大抵は悩みながら、一生懸命考えて、これでいいのかな?と悩んでつけています。
名前を決めるということは、そのもののイメージ、特性を決めることに他ならないからです。
私が大学生になった年、『千と千尋の神隠し』が上映されました。
映画の中で、主人公の千尋は油屋の主人である湯婆婆に名前を奪われます。
そして、同じく名前を奪われていたハクから、本当の名前を忘れるともとの世界に戻れなくなると忠告されるのですが、こうした設定が非常に印象に残りました。
名前を付ける、奪うということは、極めて政治的な、権力の行使なのだな、と。
当時、現代思想にかぶれていたこともあり、ミシェル・フーコー関係の本を読み漁っていました。
その中で、『言葉と物』という書物を知りました。
凄くざっくり言うと、世界の認識の仕方が歴史的に形成されてきたということをなぞった本なのですが、当時、とりわけ印象に残ったのがリンネの仕事です。
リンネは、「分類学の父」と呼ばれる博物学者で、動植物の分類を整理して分類表を作り、階層構造を持つ分類体系を作ったのですが、このような整理は、要は世界を分節化し、体系化することに他なりません。
名前をつけることでその物が他の物と区別され、違って見えてきます。それまで意識していなかった違いに気づかされるわけです。
そしてそれは、人間を分節する側、自然を分節される側として、人間と自然を切り離す作業でもあります。こうして人間が自然から切り離されることで、近代は成立したと言えるのでしょう。
そういう意識を学生時代からもっていたので、
植物分類学者の牧野富太郎が朝ドラで主人公になる、と知った時には非常に驚いたのです。
植物に名前をつけるということは、世界を解き明かすことなのだから。
朝ドラ『らんまん』の中で、そのことに万太郎が自覚的であるシーンが何度も出てきます。
特に象徴的だったのは、「オーギョーチ」の学名についてでしょう。
万太郎は台湾に出張して、新種の植物を見つけます。そしてその植物に現地の発音を活かした学名をつけようとしますが、助教授の細田が反発。帝国大学の人間として国の仕事をしにいったのだから、そのために貢献せよ、と。
しかし万太郎は反発します。
田邊教授に出禁を言い渡されるときの動揺とは全く違う、確固たる意志に基づいた発言。
名前をつけるということの重さを重々承知しているからこそ、現地の言葉にこだわったのです。
無論、細田の言い分にも理はあります。この作品の素晴らしいところは、誰かを完全な悪にするのではなく、立ちはだかる側にも理があることを示していること。当時の日本の国力が欧米に比べて劣っているため、日本人は海外に行くと不当な扱いを受けていた。
その扱いを身を持って体験した徳永と細田は、日本に強くあって欲しいと願っている。イチョウの精子の発見も、日本人の地位を高めるために役立つと喜んだ。その流れから、新たに支配した地域には、日本の言葉を浸透させることで支配を強固にしていくことに役立つと考えたわけです。
物事の両面をしっかり描いて、その上で立場を明確にしている万太郎に、心を打たれるのではないでしょうか。
ここで、私が編集を担当した光川康雄著『牧野富太郎 草木を愛した博士のドラマ』の話を。
本の帯のコピーは担当編集が考えることが多いのですが、この帯のコピー、「君の名前は何ですか?」は、まさに天から降ってきました。恐らく万太郎は、名前を草木に尋ねたのではないかと思ったからです。「お前の名前はこれだ!」と、いきなり決めつけるのではなく、対話をしながら想像するのではないか、と。
実際の台詞は「おまん、誰じゃ?」だったので土佐弁は予想できませんでしたが、そういう想いがありました。
ちなみに、都立大の構内には、牧野富太郎博士の標本館があります。
残念ながら休館日でしたが、建物の前まで足を伸ばしました。
ここで何か政治的な主張をしたいわけではないので、
都立大の名前の変遷についての是非は議論しません。
ただ、その年輪というか、歴史を上書きしていった記憶は、街と大学に刻まれている、ということに思いを馳せてみました。
名前を変えた時の意図、戻した時の意図。
それぞれの時代を過ごした学生、卒業生。
それぞれの正しさがあるから、人は悩むのでしょうし、
だからこそ、それを言葉にして整理することが大事なのかもしれません。
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