見出し画像

仙台城下の旅1 米ヶ袋 縛り地蔵

仕事で米ヶ袋へ。

縛り地蔵を発見!

お地蔵様が縄で縛られている・・・

伊達騒動のとき伊達兵部を斬ろうとして捕らえられた伊東七十郎重孝。




米ヶ袋の刑場で斬首に処せられたが、牢を出るとき床板をドウドウと踏み鳴らした気力は33日間断食した人とは思えなかったという。


鹿の子清水の坂から捕縄をとっていた獄卒を横倒しに引きずったまま駆け出して刑場に向かった重孝。

土壇場に座ってから斬首役の小人萬右衛門に

「人は首をはねられると前にのめるが、おれは仰向けになるだろう。さすれば兵部殿を3年のうちに亡き者にしてみせよう」

といい、萬右衛門が切り損ずると後を振り向いて「おちついて、よく斬れ」といい、果たして後に倒れた。

萬右衛門は翌日、小人頭をやめて仏門に入り、七十郎の供養に立てたのが縛り地蔵だと言い伝えられる。


この地蔵は人間の苦しみなら何でも除いてやるといわれている。

自分が縛られてお上を救ったことから願掛けに顔も身体も縄でグルグル巻きにされて、縄束が立っているように見える。

毎年夏の縁日のときだけ縄を解くのでお顔はこの日だけしか見られない。

そして広瀬川のこの地蔵があるほとりは260年この方1人も溺死者を出さなかった。

ある年に若い娘が川に飛び込んで死のうとしたときに、地蔵さんが川の中から現れて

「お前はここで死んではならぬ」と言って家に帰したということである。

伊東重孝の名前を聞いてふと伊東重信の血族か?と思ったがなんと孫であった。

伊東肥前重信は伊達政宗決死の合戦、佐竹葦名連合軍との戦で政宗の身代りになったあの肥前重信である。


伊達騒動の主役、伊達兵部宗勝。

政宗の遺伝子を多く引き継いだと言われ、忠宗なきあと伊達六十二万石を乗っ取ろうとした男だ。

母はあの和賀兵乱の和賀の血を引く(和賀の分家)多田吉広の娘の勝女。

政宗と衆道の関係にあった只野作十郎は勝女の弟である。

勝女も美貌であったが弟の作十郎もイケメンであったようだ。

なんの因縁か、和賀の血が入った勝女姫から政宗十男、怪物と呼ばれた兵部宗勝が誕生する。

若き日の政宗を彷彿させる傑物である。

この男の出現に伊達騒動を予見した人物が二人。

茂庭綱元と古田重広。

古田重広はあの国分盛重の四男で忠宗の家老を務めた男である。

伊達政宗をめぐるこの因縁はなんなのであろうか。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?