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【シン・ウヨク論2】ボクらがウヨクになる理由 ~もっと言ってはいけない~


 いわゆる右翼でも、ネトウヨでもない新しいウヨクの形、として「シン・ウヨク」というスタイルを提唱している吉家ですが、その理論的なバックグラウンドを説明したいと思います。

 前回の第一回では、私のシン・ウヨク者としてのスタンスをある程度お伝えしましたが、今回からはもう少しその内容を掘り下げていこうと思います。

↓ 前回の記事はこちら


  さて、先日刊行されたばかりの「もっと言ってはいけない」(橘玲・新潮新書)を拝読して、興味深い内容を発見しました。

 この本は、簡単にまとめれば「遺伝と人種」がこの文明社会をどのように築いてきているか、を多くのデータと多数の学者の論考を引用しながら見つけてゆこうとするものです。

 その中で、いくつかの要素で見たときの私たち「日本人」の成り立ちについて考察がありました。

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『わたしもあなたも天皇家の遠縁』 

 (略)この理論を日本の歴史に当てはめれば、(つい最近移民してきた少数を除き)すべての日本人が継体天皇の子孫であり、飛鳥時代の天智・天武天皇の遺伝子も、その系譜がなんらかのかたちで続いているとすれば、共有していることになる。

 戦前の天皇制国家・日本は国民を「天皇の赤子」とした。これは政治イデオロギーとしてはまちがっていたが、遺伝学(DNA)的には正しかったのだ。(後略)

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 橘さんのスタイルは、客観的な証拠(エビデンス)に基づきながら論を立ててゆく、きわめて冷静なものです。だからこそ、この話はこの話で、いわゆる戦後の帝国日本の否定論からみれば、たいへんに不都合な真実だと言えるかもしれません。

 さて、この話から発展しますが、実は私も橘さんと異なった道筋から、も全く同じ結論にたどりついているのです。

 私は別名で、依頼があった人たちの苗字調査とルーツの探索を行っていますが、その家系を伝承、記録、歴史的にたどってゆくと、その大半が

◇ 苗字の成り立ちの上では、天皇家から出たか、その側近である藤原氏などの朝廷貴族から出たものが多い

◇ 多くの苗字が、辿れば辿るほど、戦国武将や庄屋などのいわゆる名家に到達する

◇ 名家とは、すなわち天皇家から出た源氏であったり、平氏であったり、中央貴族の末裔であったりする

◇ 苗字単体では、名家につながらないものもあるが、両親・両祖父母のように系統樹が増えてゆくと、必ずといっていいほど上記の名家に行き当たる

ということに気づかされるのです。


 橘さんの論考では、DNA的にすべての日本人は天皇家に繋がることになります。私の論考でも、系譜的にすべての日本人は天皇家もしくはその側近に繋がることになるのです。

 もちろん、大陸からの渡来人(秦氏・東漢氏など)から生じた苗字もありますが、どこかの段階で、天皇家由来の氏族と姻戚関係を結んで、そしてその子孫が私たちである、ということなのです。


 このことは、一見すると「僕たち私たちは天皇家の子孫なんだ!」というきわめて良さそうな、ほこらしそうなイメージを持つ言説だと思いますが、実はそう単純ではありません。

 ここには、「もっと言ってはいけない」とんでもないことが2点ばかり潜んでいるのです。


 その「言ってはいけない」ことの1つめは、

”庶民は絶滅する”

ということです。天皇家というのは、かなり早い段階で飽和し、直系で子供たちを養ってゆくことができなくなっています。そのため姓のない天皇家から「源氏」「平氏」などと姓を創設して、臣籍降下という処遇で本家を継がない弟たちの貴族の身分を剥奪してゆきます。

 同じことが源氏の中でも、その下流の苗字の家でも起きます。家を継承できるものとできないものが次々に分かれてゆくわけです。

 そうして、最終的には私たち庶民が出来上がるのですが、「私たちの家系に天皇家、貴族、戦国武将、庄屋の痕跡が残っている」ということは、「奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代の庶民の子孫はどうなっているのか」という逆の疑問を思い起こさせます。

 結論から言えば、おそらくそうした庶民の系統は、貴種(貴族的な氏族)との姻戚関係を持たない限り、死に絶えていると推測できます。

 つまり、家系調査においては「最初から最後まで、あなたは庶民中の庶民ですね」という人は、いないのです。とすれば庶民は、貴種との結婚がない限りは、消滅していると思われるのです。

 このことは、江戸時代の研究者にとってみれば、納得できるエビデンスが多少あります。詳しくは検索してもらえばわかりますが、世界有数の大都市でもあった江戸において、庶民の男子の大半は子孫を残さず単身で死んでいます。そこへまた地方から人の流入があって、都市機能は維持されているものの、江戸の人たちの多くは、絶滅しているのです。

 ですから、私たちの家系の大半は、そのとき地方にいて、偶然地方の長男の家系などで、土地や田畑を所有していたちいさな領主の分家や子弟であった可能性が高い、ということになります。

 現代においてもこれとおなじことが起きています。非正規雇用などの理由もあって都市部では結婚せず単身で死んでゆく男女が増えています。つまり、庶民は死に絶えてゆくのです。


 言ってはいけないことの2つめは、

”俺だって天皇家の子孫だぜ”

ということです。天皇家の子孫であるということは、『僕も私もその権力を手に入れる権利資格を有する』ということでもあります。

 これが、歴代の支配者にとっては、たいへんに都合が悪いことになります。なので、これを徹底的につぶそうとしたのが江戸幕府で、そのために「庶民は苗字を名乗るな」と自分の家系に関する伝承を取り上げてしまったのです。

 戦国時代というのは、実力主義の時代でありながら、その背後に「その力の理論的バックグラウンド」を探して時代でもありました。徳川家康が松平氏から得川に復姓したのは「源氏の子孫」でなくては征夷大将軍になる権利がないと考えたからです。

 織田信長という旧体制を無視する大物が現れなければ、甲斐源氏の本流であった武田氏が「征夷大将軍」の職を得てもおかしくないと思われていたのもそうです。

 つまり、

天皇家の子孫(特に源氏)であるからこそ、権力を持つ資格がある

と考えてきたのが、日本人であるということです。

 そのためにこそ、

◇ すべての日本人に天皇家の血が流れているがゆえに、権力簒奪の理由付けになる

◇ しかし、本家は常に天皇家であるために、天皇家は廃されない

ということが起きているのが、日本の国体だということです。


 こうしてみてゆくと、吉家孝太郎の唱える「シン・ウヨク」論が、これまでの右翼論説とはかなり中身が違うものであるとわかると思います。

 しかし、望むと望まざるとに関わらず、私たちはDNA的にも系譜・歴史の上でもこれから逃れることはできません。

 従ってこうした国体観の上に、これからの日本のありようを再考する必要に迫られている、というわけです。

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