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もう努力するのはやめなさい。

 日本人として育ってきた私達にとって「頑張ること」や「努力すること」は、美徳であるとされてきたし、自動的にそれは「良いこと」だと信じてきました。

 ところが、どうもそれだけではないらしいぞ?ブラック企業の問題や、顧客優先による疲弊など、

ただ、単純によかれと思って努力することは、良いことかどうかわからない

という事例が増えてきたのも事実です。


 結論から言えば、「努力すること、頑張ること」というのは「限定的な場面において、良いことである」と言えます。

 それは、「自分自身の何かを伸ばす場合にのみ、努力は有効である」ということなのです。

 勉強でも、何かの技能でも、あるいはスポーツでも、「自分の何かを伸ばしたい場合」に努力すると、それは相応の結果となって帰ってきます。くだけた言い方をすれば、「筋肉は裏切らない」というのもソレです。

 しかし、「周囲の事態によって状況が変わるもの」や「自分ではどうしようもできないこと」については、はっきり申し上げますが

努力は無駄

であることもわかってきました。

 たとえば、日本の電機メーカーがこれからスマホを売る努力をしたり、製糸メーカーが繊維業で結果を残そうとしても、確実に外国の企業に負けてしまい、努力は実らないであろうことは想像できると思います。

 あるいは、「中国がこの20年で躍進したのは、中国人が日本人よりも数倍努力したからで、日本人は努力しなかったから中国に追い抜かれたのだ」とは誰も思わないと思います。

 もちろん、努力して結果を出した中国の人たちもいくぶんかはいるでしょうが、全体として中国が発展したのは「国際経済における周囲の状況」であって、中国自身の努力の結果が直結しているわけではありません。

 つまり、努力というのは、「周囲に決定権がある場合には、どうしようもなく」、逆に「自分に決定権があることのみ」有効だ、ということが判明してきたわけです。

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 そうすると、努力というのは、基本的には「自分のためだけにするもの」であって、誰かのために努力するというのは、無駄かもしれないからやめておくほうが「コスパ」がよい、ということになってしまいます。

 これまでの私達の常識からすれば、「努力を捨てる」ことはまるでコペルニクス的な大転換に感じられるかもしれませんが、「相手のために無駄な努力をし続けて疲弊してきた」のが、失われた20年における日本人の悲しい姿なのかもしれません。

 会社のために、上司のために、あるいは顧客のために、とやってきたことが、「どうも実を結んでいないばかりか、自分たちを追い詰めているぞ」ということが明らかになってきたのが、今の日本だということでしょう。

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 興味深い記事がありました。

https://www.dailyshincho.jp/article/2019/07170558/

  簡単に言えば、資生堂がホテル向けのシャンプーやら化粧品やらの供給をやめてしまって、ホテルや宿泊研修施設などが混乱に陥っているということでした。

 何が起きているかは、とても簡単です。資生堂ほどの大企業ですら「もう、安い価格で買い叩かれてまで供給しない、つまり、もう頑張らない」ということを言い始めた、と解釈できます。

 もともと資生堂のシェアは大きく、ライバルよりもすでに優位であったのに、物流費の増加などいろいろな要因で「利益が取れない」と判断したら、

もう、やーめた!

となったわけですね。

 コスト増に対して、価格を上げるという対抗策もあったでしょう。しかし、たぶん、本当にきちんと利益を残すには

「ものすごい値上げ、業界では通常考えられないほどの値上げ」

が必要だったのかもしれません。そうなると、業界慣習やら他社とのすり合わせの中で、

「そんなら頑張らない」

という選択が、正解とされたのではないでしょうか。

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 わたしが今勤めている建築業界のすみっこでも、同じことが起きています。住宅建材というのは、大企業もあれば、小さな部材のみをつくっている小企業までさまざまなメーカーがありますが、10年前までは

「倒産」

で無くなってゆくメーカーが大半でした。それが、ここ5年くらいはまったく様相が違うのですが、どのメーカーも、事業停止をするときは、

「廃業」

を選択しています。そして、大企業である資生堂がアメニティから撤退したように、

資産があり、どちらかといえば優良であったメーカーから先にやめてゆく

ことが続いています。

 これもまた「がんばらない」選択です。資産を食い潰さないうちに、利益確定をして、安値レースからは早々に降りてしまう。そうすると創業者一族は、悠々自適に暮らせる、という理屈です。

 つまり、頑張らなくては生きていけないのは下々の者たちで、賢い人たちは、

「負ける勝負はしないし、逃げる」

ことができる、というわけですね。

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 そうなると、そうした会社で働く従業員も、いつ操業をやめるかわからないのであれば「頑張る」ということが無意味になってしまいます。

 結果として我らが建築業界では「借金まみれでそうそうやめられないし、銀行が許してくれない」会社が、ひいこらお金を返しながら頑張っている、なんてことが起きているわけです。


 さあ、あなたはまだ、誰かのために疲弊しながら努力をするのでしょうか?










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