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アートと屋台と宮津 1

 私にとってアートや美術というものはとても遠い存在でした。
だって、美術館に足を運ぶこともほとんど無かったし、理解が及ばないものでもアートという言葉だけですべてが素晴らしく、なんでもOKとなってしまうようなイメージがあったので避けてきたというより、別世界のものという印象がありました。
 そんな私が、アートについて考えたかというと、京都市宮津市で行なわれている「みやづブッククラブ」のゲストスピーカーということで代表の大門君に声をかけてもらいったのですが課題本が北川フラムさんの「ひらく美術」だったのです。

 しかし、書籍を読み進めることによって「アート」や「美術」というものは自己表現の方法のひとつであって誰かのために行なうものでもなければ、誰に文句を言われるものではないという一文を読んだことによって私の屋台も私の抱えている問題意識に対する提案であり、伝える手法だったのだなぁと思うことができ、最初に持っていた抵抗感は早めにぬぐうことができました。思いのほか屋台とアートは近いところにあるんだなぁと。

 私の「ひらく美術」の感想文はまた別の機会に書くとして、そんな思いを持ちながら私は東京から深夜バスで一本の京都市の日本海側、宮津市に向かいました。

 人口1万8千人とあまり大きくはない市のなかで、このなかで読書会に参加者が12名(課題本は読んでこなくてはいけない)。間違いなく北川フラム値が京都府全体で見ても一番濃かった瞬間です。
 意見は様々で、「あまりピンとこなかった」という人もいれば「批判はあるけれどコレだけの経済効果を生み出したのはすごい」などブレスト形式でイベントが進行されました。そのなかで私が残っているのは「アートには生産性がない」、「アートは現実の役には立たない弱者」という文章を引用しての発言でした。

 私の屋台も楽しみにしてくれる人はいるかもしれませんが、極論をしたら必要ないものですし、生産性もあるとはいえません。ではなぜ私も含めて多くの人はアートという表現を求めたり、創作活動を行なったりするのでしょうか。北川さんは人を繋げる力があると書いていますが、ソレは結果であって核心ではないように思います。
 どちらかといえばアートだけでは生活がままならない、規模が小さいので、国からの補助金をもらいながら仕事として各地のアートプロジェクトを請け負い「アートではない」というような批判を受けながらも、自分の表現に向き合っているのではないかと思いました。

 では、私はどこに向き合うのでしょうか。屋台をはじめて約一年。いろいろと考えるところはありますが、一日店長含めみんなに必ず伝えようとしているは
「屋台でお金儲けなんてできると考えないでください。
 私はこの空間や地域のなかで屋台という遊びを楽しんでいるのです。
 そこで一緒に遊ぼうという気持ちで参加をしてきてください。」
という言葉です。

 誰かのためにやるのではなく、自分のために屋台をやってきたということが一番大切なことなのかもしれません。

 やはり「屋台という場所」と「屋台という仕事」は別領域で考えるのが必要なことだと思いました。どちらもかけてはいけない両輪として。

後半は「宮津接待編」と「流しのこたつ編」がありますので、乞うご期待。

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