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ほんとうの幸福に近づくひとあしずつ。

「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づくひとあしずつですから。」

これは、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の燈台守のセリフ。

なにかうまくいかないことがあると、決まって頭に浮かぶのはこの言葉だ。


正しい努力を続けられる人は天才だと思っている。

私からすると、”努力”が出来ること自体が天才の証なのだ。

私は努力したいというより、なるべく楽しくやりたいと思ってしまうし、わりと三日坊主だ。

つまり、私は天才ではない。

だから、”才能のない努力”を、それでもやっていかなければならない。

無い知恵を、振り絞っていくしかないから、つらいときもある。


私は登山が好きだ。

人に登山が好きと話すと、「なぜ山に登るの?」といういきなり核心に迫る質問をされることがほとんどだ。

「楽しいから。」

とか、

「頂上の景色が見たいから。」

とか、なんとなく答えてやり過ごしているが、登山している人にとって「なぜ山に登るか」は永遠のテーマなので、深くツッコまないでほしい。

ただ私にとって、山に登ることのひとつの理由は、「自分ができうる努力(それを努力というのかわからないが)でも、それが報われることがあることを知ったから。」なのかもしれない。

岩手山に初めて登頂したときは、麓から見えたピークがあまりにも遠く辿り着けそうにないように思えた。

けれども、地道に歩み続けたらこんな凡人の私でも頂上に到達することができたのだ。(もちろん、体力のない私には大変な道のりだった。)

登山は、私にとって一番の成功体験となったわけだ。


私が人よりうまくできることなんて、そんなにはない。

けれども、毎日のたった一歩の歩みを止めないでいたい。

そう思えるのは、登山をしているからだ。

これから行く道には、きつい急登も、岩場もあるかもしれないし、きれいな花が咲いているのかも。

いくつものトライ・アンド・エラーを続ける先には、理想の自分がいる。


「ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づくひとあしずつですから。」


私の今日の小さな努力は、「ほんとうの幸福に近づくひとあしずつ」だと信じている。

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