僕が読書をする理由がやばい

こんにちは。みなさんお久しぶりです。阿部です。

脳内を言語化することが苦手ですが、書いてみます。

感覚で捉えることが多すぎて人にそのまま説明しちゃうタイプです。笑

この景色、「青い丸と黄色の四角が重なってるなー」とか。笑

そんなことはさておき、今回のテーマは読書をする理由。

それは、日常生活において"語彙力"のなさを感じているから。

僕たち世代は、「やばい」とか、「ギコい」とか

これだけではないけど、数個の言葉だけで会話が成立することが多い。

なんなら、なんでも「やばい」とかで済ませちゃう。

筆使いが繊細で、色の混ざり具合いが独特で、被写体が絵を見ている自分

にもはっきりとイメージできるような綺麗な絵を見ても

「この絵やばい」とか。笑

僕も今でも使うことが多い。だけど、その絵を見て、何を感じたのか

どんな想いを抱いたのか、どのような部分に心を打たれたのか

「この絵やばいね!」からは何も掴めない...。笑

自分が感じたことを、「やばい」だけで片付けてしまうのが

勿体無いし、仮に何人かで絵を見に行っているのであれば

会話の膨らみも限りなくなっていく気がする。

絵を見た瞬間に感じたものを、「やばい」で片付けちゃうと

経験として蓄積されていかない。全ての行動が台風みたいな

一過性の時間・経験になると僕は思う。

そんな大事な日常を「やばい」で片付けてしまわないように

僕はこれからも読書を続けていく。

何をしても、何かを感じても「やばい」で片付けてしまう

「やばい」人間にならないように...。




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