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「This コミュニケーション」8巻 なぜ正論なのに話を聞いてもらえない人と、悪人なのに信用して貰える人がいるのか

「Thisコミュニケーション」という作品に吉永くんというキャラがいる。

吉永くんは自称正義の味方だ。

人のために役に立ちたいという心は持っている。一般的な環境であれば普通に善人と呼ばれる人だろう。にも関わらず、本作品における彼の立ち居振る舞い全てが独善的で鼻に付く感じで描写される。

実際、作品中でもだれにも彼は信用してもらえないし頼ってもらえない。


これについて、

「悪人なのに少女たちから信用されている」ホストや女衒よりタチの悪い悪魔ことデルウハ殿が吉永さんに説教するシーンが有る。


何気ない会話だけれど、私はここの部分がめちゃくちゃ好きなのでぜひ読んでほしい。


というかThisコミュニケーションはマジでいいマンガだから皆読もう。
ちょうど5/2に連載が完結&最終巻が出たばかりなので、全部一気に読めます。


なぜ相手から信用されないか=「自分が正しければそれでいいだろう」と「積み上げるべき誠実さ(後で説明する)」を端折っているから



そう、デルウハ殿は、別に自分が正しいとは思っていない。

しかし、だからこそ信頼を得るために「誠実さ」を積んでいる。


では誠実さとはなにか。少なくとも信用を得ようとしている少女たちにとって間違っても「正直であること」とか「己の信念に忠実であること」ではない。 過酷な戦いの中に身をおいて、競争意識の中で心身ともにボロボロの彼女たちにそんなものはなんの役にも立たない。


吉永は自分のことを誠実な人間だと思っていたが、少女たちにとってはただの自分勝手で自分のことなんか興味がないやつ、としか認識されていなかった。


「信頼を得るために詰むべき誠実さ」とはなにか① 相手のことを良い点も悪い点も含めて「認識」しようとすること


understanding(理解)というよりはanalysis(分析)とかassesment(測定)するという感じ。

理解っていうと、なんかこう最近フェミがよく違うのでネガティブイメージがつきまとう「寄り添う」のイメージになってしまう。

それではだめで、冷酷に「見極める」感じが必要。たとえ自分のおもったとおりでなくても正しく受け止める。これができるかどうかがデルウハ殿と吉永くんの最大の違い。

吉永は、全くむつのことを理解しようとしていなかった。正しく認識できていなかった。

理解していないのに勝手に「この子はこんな感じだろう」「この子は私の仲間だろう」と信じて、勝手に裏切られたつもりになっている。

だから、むつからしたら「こいつはダメだ」と判断されてしまった。


「信頼を得るために詰むべき誠実さ」とはなにか② 彼女たちの抱えている問題をしっかり認識したうえで、必要としている言葉をかけてあげること


どれだけ胡散臭くても宗教を信じる人がいるのはなぜか。

少女たちだってデルウハ殿が悪人で自分を利用しようとしていることなんか知ってるのに、それでも吉永くんよりデルウハ殿を信じるのはなぜか。

ひとえに、「デルウハ殿のほうが自分たちを正確に理解してくれている」からだ。それ以外なら吉永くんのほうがいい人間なのに、それでも吉永くんではダメなのだ。

少女たちは吉永くんと一緒にいても何もプラスなことは起きない。なんの関係も発生しない。メリットがない。


一方で、デルウハは自分たちが何を必要としているか理解しようとしてくれる。それだけでなくそれを与えてくれる。

たとえデルウハ殿の動機が不純であっても構わない。デルウハ殿が自分を利用しているとわかっていても構わない。偽善で構わないのだ。むしろ動機だけ善で、自分を正しく認識しようとしない、自分のために何もしようとしてくれないやつなどゴミでしかないのだ。

偽善であれ、利用しようとする意志があれ、ギブアンドテイクで自分たちのメリットがデメリットをうわ待っていることのほうが大事だ。


デルウハ殿は少女たちを騙して利用としようとしているまごうこと無き悪人だが、だからこそ少女たちのことを誰よりも真剣に、正確に認識しようとした

このように、信用を得ようとするのであれば、まず何よりも相手のことを正しく認識しようとしなければいけないのだ。 相手にとって、自分を理解しようとしてくれないやつというのはいてもいなくてもどっちでも良いのだ。

優しくするとか、正義とかそんなことは二の次だ。

まずはどれだけ相手が何を求めているかを把握しようとするかが大事なのだろう。 それを与えるか与えないかは別として。

しっかりと理解しようとできる限り努めたうえで、自分が相手が必要としているものを与えられるのであれば、胸を張って付き合えばよいと思うし、無いなら与えられる存在になろうとしなければいけないと思う。

理解しようともしない、与えようともしないで愛してもらおうとか考えるのは、小学生の算数ができないと言っているのと変わらないと思う。


そういう要素をひっくるめて一言でいうと「相手にとって必要な存在になる」ということなんだろうな

このテクニックは、見事に吉永にも適用されている。

誰かを救いたがっていた吉永に対して「助けを求める」ということで吉永の心を掴んだ。

一般的にはむしろおねだりみたいなものだが、「これこそ私が求めていたものだ」というものを与えてくれる人に、人は喜んで対価を差し出すのだ。

“This is it.” =「こうでなくっちゃぁ~」という、何かスゴいもの、素晴らしいことを指す。 物事の終わりや何かがなくなる時に使うと、「これで最後」「これで終わり」という意味。

「This is it!なコミュニケーション」を出来たのはデルウハ殿の方だ。


敵ですら味方してくれるし、りりちゃんに3500万貢ぐおぢもいる。

そう考えたらめちゃくちゃ怖いよねえ・・・。


これと同様のことを書いているマンガとして
・アスペル・カノジョ
・夏目アラタの結婚

などもすごく面白いのでぜひ読んでほしい


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