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燕雀の志07

 2018年8月7日、ついにMリーグのドラフト会議が開催された。
 かねてよりの発表通り7チームが計21名を指名し、麻雀業界史上、世間を含めもっとも盛り上がった瞬間ではなかったろうか。会場には指名リストに名のある者、そうでない者を含め、たくさんの競技選手が列席していた。
 私はといえば、ドラフト会議の当日は実家のある島根県に帰省していて、家族で温泉施設に宿泊していた。ドラフトに関心がなかったわけではない。帰省の日程は数か月前から決まっていたし、施設を予約していたのも偶然その日であったのだ。
 AbemaTVで会議の様子が放送される20時、私は家族で温泉街のお祭りを回っていた。娘を連れて、露店を巡る。無論携帯でドラフトを見ることもできなくはないが、その瞬間優先するべきものは、娘との時間だった。
「万が一須田に指名があったら、電話はするよ――」
 協会理事の二見さんからそのようには聞いていた。
「企業が知的スポーツとしての麻雀の認知度を上げたいと考えているなら、東大卒で書籍も出している、雀王も獲得している須田を指名することもあるかもしれないだろう?」
 なるほど、好意的に私の選手個性をとらえれば、一般には多少の興味を引く存在ではあるのかもしれない。しかし、私はそういう安直な理由で自分が表舞台に上がることには、申し訳ない気持ちがあった。目を見張る成績も功績も残していない者が、突然超一流選手の末席に名を連ね、脚光を浴びるような資格などないと思っていた。
 娘は射的で3等を撃ち倒し、ダーツでは特賞を射止めた。その間、幸か不幸か二見さんから電話が鳴ることはなかった。
 露店で得たたくさんの景品を持って旅館へ向かいながら、ツイッターで指名された選手たちの顔ぶれを確認した。麻雀界最大の祭りの方には、自分の役割がないことは自覚していた。
 平成最後の夏を、娘はどのように覚えているだろうか。家族で旅館に泊まり、露店で遊び、温泉に入ったことを、楽しい思い出として残しておいてくれるだろうか。
 父は妙に複雑な心情で、それでもこの時間を大切に過ごそうと思っていたことを、いつか知ることがあるのだろうか。
 東京に戻ってすぐの8月12日、雀王戦Aリーグの第8節の対局が行われた。私は7節終了時には127.1pの5位。決定戦ボーダーの3位の選手は、236.4pであった。今日が正に剣ヶ峰であり、今日の成績次第で残り2節の戦い方が全く変わる。しかし、この日の対戦相手が、トータルダントツ首位の仲林圭、昨年の最高位戦クラシック覇者の堀慎吾、そしてこのたびMリーグへの参加が決まった鈴木たろうと、大変厳しい面子であった。
 私は初戦の東1局、南家で
※三三⑥⑦⑧45567 ポン南南南 ドラ四
の形でテンパイする。※3※6は生牌である。東家堀は2フーロ、序盤で※7、※2と切っていた。北家のたろうの河にも※1※7があり、自分から見て※4は双方に打ちやすく、また※3※6は親に対し周りが打たなそうだと思っていた。※5※8待ちに変化した方がアガれそうな感覚はあった。
 そこに北家たろうがドラ表示牌の※三を放つ。瞬間、ポン――の声を飲み込んだ。※5※8待ちの方が良さそうだが、ドラの※四を引いたときに対応しやすいのは今の形だ。
 すると案の定、というか※四を持ってくる。
※三三⑥⑦⑧45567 ツモ四 ポン南南南 ドラ四
 仕掛けている東家堀に打てないので、今通った打※三とする。同巡北家たろうがリーチ。
 私はすぐに※五をツモり、我が意を得たり、とたろうに中筋の※4を切った。
「ロン――」
 ※4がシャンポン待ちに当たり、リーチ一発トイトイ三暗刻のハネ満を献上。※3はそこに暗刻であった。私はこの放銃が響いてラス、結局この日は浮上の機会なく、4333の△121.1p、トータルは+5.9pにまで落ち込んでしまう。

 この日はたまたま協会の17期後期のプロ試験があり、合格を決めた新人のうち何名かが、その足でAリーグの観戦に来ていた。
 対局を終えて、新人たちと少し話した。よくあそこの牌止まりましたね、どうしてですか、やはりAリーグは凄いですね――。私がこの成績ながら耐え忍んでいた様子を見ていてくれたらしい。
 私は、Mリーグどころか、雀王決定戦も見えないような位置に落ちてきてしまった。17年、毎節苦しみ抜いて、かろうじて今ここにいるのが自分だ。未来への希望と不安のある新人選手たち、諸兄が歩もうとしている道は、こういう世界だ。
 それでも家族との折り合いをつけながら、まがりなりにも麻雀プロとして生きている。これが精一杯の自分であり、そんなに悪い人生でもない。
 憧れと、苦しみに満ち、そしてわずかな瞬間の喜びを享受する。麻雀プロの世界へようこそと、心の中で呟いた。
 

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