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ヘルシンキでヘアサロンをオープンした話、のはじまり。

早速、戦いに負けそうじゃないですか、私。いかんいかん。

ヘアサロンをオープンしたのは今年の5月半ばです。予定では4月8日がオープンの日でした。全然間に合っていません。しかも私は当日ヘルシンキに居らず・・。そんなオープンでした。そもそも何もかもが計画をベースに動いていません。ベースにあるのは強い思い(つき)だけです。最初の最初から記録しておきます。

「怒髪天を衝く」っていう故事成語がありますよね。これを初めて習った時、「おじいちゃんのことかな」とイメージがとても具体的に浮かんだのを覚えています。怒ったところは見たことのない優しい祖父でしたが、彼の美しい銀髪はいつも空へ向かって真っ直ぐ力強く伸びていました。この髪質を母経由で譲り受けた私の髪も、プチ怒髪。ものすごいコシと太さが自慢です。ポニーテイルにするとヘアゴムがバッチーンと飛んでいっていたほど。

なんの話ですか。そう、ヘアサロンです。
ヘルシンキに暮らして14 年ほどになりますが、このプチ怒髪のおかげで引っ越した当初からヘアサロン問題は割と切実でした。

ちょこちょこ日本に帰ることはできなかった交換留学生時代、どうしようもなくてひたすら伸ばしていました。今写真を見ると、ヒッピー風な装いです。少し余裕ができてきた大学院生時代、お金を貯めて張り切って訪れたヘルシンキのとあるヘアサロンで中森明菜風Desire仕上げになってびっくり仰天しました。切りたいけど切れない。整えたいけどやってくれるヘアサロンがない。薄暗い自宅の玄関で姿見を見ながらハサミでジョキジョキ自分の髪を切った感触、無残な仕上がりを前に心を覆った惨めな気持ちは今でも覚えています。

怒髪は怒髪なりに努力しなければ道は拓けないと覚悟を決めたのはこの頃です。日本に一時帰国する度に新しいヘアサロンを訪れ、「フィンランドで髪切りませんか?」と美容師さんを口説くことにしました。少しでもフィンランドに関心がある方に近づきたくてフィンランド語の店名を探して訪れたこともありました。とはいえ、そこはTOKYO。業界の最先端で鎬を削る美容師さん達が、日本を離れフィンランドで切る可能性を真剣に受け止めてくださるはずもありませんでした。そりゃそうですよね。今なら納得です。

この期間中にフィンランドで素敵な美容師さんに出会ったのも事実です。お友達の紹介で出会った現地の美容師さんは「梳く」という技術について私の話を真剣に聞いてくれ、出来る限り上達するように研究すると言ってくれました。私の頭を練習台に彼女と一緒に歩めば、いずれ怒髪も報われるのでは・・とチラリと期待した瞬間もありました。が、彼女は長い産休へ・・。怒髪のヘアサロン問題は振り出しに戻ったのでした。

院生だった私も社会人になり、職場も変わり、気がつけば独立していました。ありがたいことに仕事も忙しくて怒髪も振り乱すに任せる状態が続いていました。「美容師さん、美容師さんっ」という必死な気持ちを手放し始めていたある日に、一通のメールが私の元に届いたのです。

「ヘルシンキでヘアサロンを見てまわりたいのですが、お手伝いしてもらえますか?」

へ、へ、ヘアサロン!!
この人、誰?なんでヘルシンキ?なんで見てみたいのですかー!!

色々な思いが渦巻きながらやり取りは進み、秋のある日にこの人、梅沢さんと直接お目にかかることになったのです。今から4年近く前のことです。


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