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(乳腺科医の)やさしさに包まれたなら

乳がんになってしまったので、乳がんについていろいろ書こうとは思うのだけど、残念ながら人様のお役に立てる情報はまったくない。なぜなら、乳がんは患者さん一人ひとりでがんのタイプが異なることが多く、他人の体験があまり参考にならないと聞いたからだ。

なので、私の乳がんの話を役立てたいなら、私になっていただくしかない。40代半ばの太りやすい体と面倒な息子を抱え、「これはマイナスカロリー食品だから食べるほど痩せる」と唱えながらバスチーを食べる私になるしかないのだ。そんなの嫌でしょう? 私だって嫌だ。

なので、乳がんについては、くだらない私によるくだらない話しか書けません。乳がんになったところで、私のくだらなさは変わらないし治らない。それに、体がしんどいときこそ、心と頭は明るくくだらないままでいたい。

しかし、時にはくだらないままでもいられない。そのタイミングが先日訪れた。手術をする予定の大病院に行かなければならなかったのだ。『白い巨塔』で見たような大きな建物に圧倒されつつ、執刀医のH医師とお会いした。窪田正孝似の細身長身イケメンだ。

「がんと判明して、さぞかし驚かれたことでしょう。よく眠れていらっしゃいますか?」

H医師の第一声がこれだった。静かに、だけど強い思いやりを含んだ声。……やさしい。言葉も声もすべてがやさしい。「がんの告知以降も毎晩爆睡しています。なんなら昼寝もしています」とは言いにくいほどのやさしさだ。

紹介状を参考にして、H医師は現在の私の乳がんの状態について説明してくれた。その後、H医師が直接エコーで診察することになった。

胸にエコーのプロープが当たった瞬間、「あれ?」と気づいた。プロープに塗られたジェルが、程よくあたたかいのだ。……やさしい。ジェルは結構冷たくて「ヒャッ!」と声を上げたくなることが多いのに、なんというやさしさだろう。

「これでジェルをふき取ってください。少し熱いですので、冷ましましょうね」

診察後、H医師は丸まったおしぼりをそっと開いて、私に渡してくれた。……やさしい。おしぼりを開いて渡してくれるとは、なんというやさしさだ。この人は本当に医者なのか。おしぼり開いて渡す男なんて、ホストしかいないぞ。じゃあここはホストクラブなのか。ドンペリを開けるべきなのか、私。

「飲んで飲んでー」というホストのコールが脳内に響くのを感じながら、H医師が話す手術の説明を聞いていた。

「この手術によって、左胸のボリュームが右胸より少なくなってしまうと思います」

ボリュームかぁ……。私だったら「左胸、ちっちゃくなるよ」で済ませてしまいそうなことを、患者が傷つかないように言葉を選んでいるのだろう。

……やさしい。本当にやさしい。このやさしさは、歌舞伎町の全ホストが見習うべきものだ。ドンペリの代わりに生理食塩水を100本開けたくなるじゃないか。シャンパンタワーじゃなく、生食タワーをやりたくなるじゃないか。それとも、もっと保険点数が高いもののほうがいいかしら?

「なんだかんだ言っても早期がんですから、しっかり治しましょう」

最後にH医師は、やさしさよりも厳しさを含んだ声でそう言ってくれた。私が「はい。よろしくお願いします」と答えると、にっこり笑ってくれたので、ドンペリ5本お願いします。

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