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ドリフトだけが人生だ

北野武さんが以前、こんなことを言っていた。

「俺は映画監督になろうと思ってなったわけじゃない。次は映画かな、と思って映画を撮っただけ」

私は北野監督の足元にも及ばないどころか、足元の地面にめり込んでいるような人間だけれど、この言葉の意味はよくわかる。目標や希望を掲げても、それを100%達成できることは少なくて、目的地にたどり着こうとして試行錯誤してたら、ぜんぜん違う場所に着いちゃって、そこが意外と居心地がよかったりするヤツだ。

そこで、私も北野監督のマネをして言わせてもらおう。

「私は大学に進学しようと思ってしたわけじゃない。高校を中退してしまって、他に道がなかっただけ」

私は高校を半年ほどで中退している。直接の理由はいじめ、間接的な理由は、まったく私に合わない高校を選んだせいだ。

私の地元は、女子が四年制大学に進学することはとても稀な地域だった。ごくたまに、いいとこのお嬢さんが札幌や東京の四大に進学するぐらい。小さい頃はそこそこの「いいとこのお嬢さん」だった私だったが、10歳で父を亡くしてからは、紆余曲折を乗り越えガールになっていたため、四大に進むなんて1ミクロンも考えていなかった。高校を卒業したら、家を継いで商売人になるのかなーとしか思えなかった。

そのため、高校は普通科ではなく、商業科を選んでしまった。「しまった」というのは、それが100点満点でいえばマイナス500万点の、大きな間違いだったからだ。

私が進学した商業高校は、地元で悪い名をとどろかせていた。万引きの常習犯が多く、異性関係は乱れに乱れている。ある店では、その高校の制服の生徒が入ってくると、お金を盗まれるのを防止するように店員がレジの前に立ちはだかると評判だったほどだ。

そんな高校で、文学少女系の私は浮きまくっていた。浮いて空を飛んでもいいほどだった。夏休みに入ったらパーマをかける話や、どこの店が万引きをしやすいかという話が飛び交う教室の中で、私は友達も作れずにひたすら本を読んでいた。

そのうち、「あの子、キメェ」と言われ、いじめられてしまった。露骨なシカトや、わかりやすい陰口が日に日にひどくなり、一年の二学期に入った頃には、高校に行けなくなってしまっていた。

朝になっても布団から起きられず、ひたすら泣いている私を見て、肝が据わっている母は「辞めたいなら辞めちゃいなさい」と高校中退を認めてくれた。そう言われて、なんだかホッとしたのを覚えている。そうか、辞めていいのか、と。

でも、辞めてしまったら、自分はどうなるんだろうと思った。高校中退を決められないまま、数日が過ぎた。ネットもパソコンもスマホない当時、中退後にどんな出口があるのかの見当もつかなかった私は、ふと立ち寄った本屋で雑誌を立ち読みをしていたら、ある記事を見つけた。

「大検が大学受験の足がかりになります」

どうやらこの世には、高校を中退しても大学を受けられる仕組みがあるらしいと、このとき初めて知った。おかげさまで勉強することは嫌いじゃないし、孤独にも強かった私は、まずは独学で勉強して大検を受けて、大学に進学しようと決めたのだった。

つまり私は、高校を中退したからこそ、大学に進学できたんだと思う。状況が状況を作るというか、置かれた場所で咲きなさいというか、まぁ人生ってそんなもんよね。

「流されるな 流れろ」

これは先日連載が終了したマンガ『重版未定』で、主人公が務める出版社の壁に貼られている言葉であり、マンガ自体のテーマでもあった。

この言葉どおり、自分からあえて流れてみることって悪くないと思う。流れてみれば、漠然としていた目標がはっきりしたり、やりたいことが見つかることもある。それに、流れの中で経験したことが、後になって意外と役立つことが多いのが不思議なんだけど、どうしてなんだろうね?

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