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がん治療は選択の連続

乳がんの手術から1ヶ月が過ぎ、すっかり元通りの生活を送れるようになっている。手術当初は左胸から脇にかけての痛みがあったけれど、今ではほとんど消えてしまった。

手術前からの日課だったジョギングも再開できているし、甲子園での高校野球の観戦の際には、五号門まで猛ダッシュして銀傘下の涼しい席をゲットできた。元気があれば何でもできる。

こうして元気でいられるのは、私の体がメキメキと回復しているのはもちろんだけど、家族や友人、知人たちがさまざまな面から支えてくれることで、メンタルが安定しているおかげでもある。

私の病気を知っている方々は、みな「無理しないでね」「体調第一でね」などと、やさしい言葉をかけてくれる。ありがたい。中には「ところで進次郎と滝クリの結婚ってどうよ」と訊いてくる人もいるけど。結婚、いいんじゃないの。

人様の結婚の話題よりも、私には大事なことがある。そう、いよいよ今後の治療方針をがっちりと決めなくてはならないのだ。それは、手術で摘出した腫瘍と乳腺組織の病理診断をもとにして決められることになっている。

手術から4週間後に判明した病理診断では、腫瘍の大きさは12ミリ。リンパ節への転移などのもろもろの悪い要素はなし。サブタイプは術前の針生検の結果と変わらない。ホルモン受容体とHER2の両方が陽性の「トリプルポジティブ(トリポジ)」と呼ばれる、抗がん剤と分子標的薬を使った全身治療(抗HER2療法)を必要とするタイプだ。

「……で、抗がん剤、どうしようかって感じなんですよね」

主治医のH先生は、病理診断がプリントされた紙の「12mm」という文字をマルでくくった。

「リンパ節への転移もなく、腫瘍の大きさが1センチ未満なら、抗がん剤を使った抗HER2療法を省くことも可能なんですよね。1センチ以上なら必ず実施するんですけど」
「でも、12ミリって1.2センチですよね? 1センチ以上ですよね?」
「ですが、1センチ未満に近いでしょう? こういう場合、死ぬほど抗がん剤が嫌っていう方には、無理に抗HER2療法をおすすめしないんです」

いつも冷静な表情のH先生が、心もとなさを滲ませてこちらを見た。……似てる。やっぱり窪田正孝に似てるなぁ。似ているうえに、明らかにこちらの様子を伺っているぞ。飼い主に怒られたときの犬みたいだ。うーん、これは『東京喰種』じゃなく、『ラストコップ』や『アンナチュラル』のときの窪田正孝だな。

……まぁ、H先生が私の顔色を見るのもわかる。「こいつは抗がん剤を泣いて拒否するタイプかどうか」って思っているんだろう。抗がん剤を「絶対にやらない」と拒否する人も多いらしいし。

それに、抗がん剤を拒否したくなる人の気持ちもわかる。怖いもんね。体の機能を半殺しにするような薬だから、劇薬だから、怖くて当たり前だと思う。

その後H先生は、私に適用される抗HER2療法について詳しく説明してくれた。

抗がん剤のパクリタキセルを週1×12回。分子標的薬のハーセプチンは1年間。脱毛や手足の痺れといった、抗がん剤による副作用は避けられないこと。そこそこの治療費がかかること。そして、この治療をすることで、再発・転移の多いこのタイプのがんの再発率を大幅に減らすことができること。

「じゃあ、やります。抗がん剤が死ぬほど嫌なことよりも、がんで死ぬほうが嫌なので」

私が言うと、H先生はハハハと笑って「わかりました」と答えたあとで、次の難題を繰り出してきた。

「で、抗がん剤治療のために、CVポートは入れます?」

点滴で抗がん剤を投与すると、その際に使用した血管は「一時的に死んでしまう(H先生談)」。なので次の投与では他の血管を使い、また死に、そしてまた他の血管を……といったことを毎週くり返していると、投与に使える血管がなくなってしまうことが多いらしい。

そこで、静脈にカテーテルを入れて、そこに直接抗がん剤を流すための「ポート」を埋め込めば、そこから直接薬剤を入れられるので、血管はいちいち死なずに済む。なので、そのポートの埋め込み手術をするかどうかを、H先生は訊いてきたのだ。

「12回の抗がん剤なら、両腕から6回ずつ血管を取ればいける気がするんですけど……」

そんな甘っちょろい私の考えを、H先生は「あ、手術した胸のほうの腕は使えないんで」と軽く吹っ飛ばした。

「ってことは……右腕から12回……12回血管が死ぬ……」
「そうですね(キッパリ)」

マジかよ。ジェームズ・ボンドだって2回しか死なないじゃん……と、面倒くさい映画ファンのようなことを考えながら、私は「じゃあ……CVポートを埋め込みます……」と小さな声で答えた。

機械の血管を手に入れる銀河の旅の鉄郎となることが決定したとたん、H先生はCVポートの留置手術の説明をイラストでサラサラと描き始めた。

「右腕を少し切開して、そこにある静脈からカテーテルを入れ、心臓まで届けます」
「し、心臓!?」

この日、一番の大きな声を上げた私に、H先生は冷静なままで「そうです。それで、中心静脈に直接抗がん剤を流し込むんです」と話を続けた。

「中心静脈は腕にある末梢静脈より丈夫で血液の流れも速いので、抗がん剤をスムーズに体内に送り込めますし、抗がん剤が血管に触れる時間が短くで済むので、血管の炎症が起こりにくいんですよね」
「それって、抗がん剤の副作用を減らすことにはつながりますか?」
「それは言い切れないですね。でも、血管に炎症が起こらないことは、体への負担がかなり減ると考えていいと思います。だから、CVポートを入れるのは、いい選択だと思いますよ」

選択かぁ……。がん治療って、選択ばっかりだよなぁ。病院選びとか手術の方法とか、術後の治療法とか心臓に管を突っ込むかどうかとかさあああああ!

そんな風に叫びそうになりながら、とりあえずCVポートの埋め込み手術の予約を済ませた。H先生が言うには「局所麻酔で行う簡単な手術」らしいので、手術室の中をがっつり観察しながら手術を受けることにしよう。

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