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死んだじいちゃんと組踊


「大好きな人が死ぬ瞬間」
を目の当たりにしたのは

5歳の僕。


今回は衝撃的だった
その時の経験を書く事で

僕の感情の土台を
再認識したいなと思います。



・死をみた幼稚園児・組踊が好きな理由・歌をうたうとき


死をみた幼稚園児



1999年12月30日の昼


僕は5歳。



電話が鳴った瞬間、


不思議だけど
「あ、おじいちゃんかな、、」

と思ったのを今でも覚えている。


母さんに連れられて
じいちゃん家にいくと


玄関でじいちゃんが倒れてた。


ばあちゃんは何もできずにいて

おばさんと母さんが人工呼吸をして。


僕は一部始終をワケもわからず
見てた。


救急車がきて
病院に運ばれて

死んじゃった。



毎週日曜日になったら

「よーしー、買い物いくよー」

っていつも連れ出してくれたじいちゃん。


アパートの下にあった居酒屋「あしびなー」で
よく焼き鳥を買って


僕がそれを取りに行って
ばあちゃんに渡しに行ったりして。



大好きだったのに



棺桶に入っているじいちゃんをみたら
涙が止まらなくなって


もうじいちゃんと話せないんだ
買い物にもいけないし
もう一生会えなくなる、って


死ぬってなんだろう、
なんで僕は生きてるんだろう


お坊さんがお経を読む横で
ずーっと泣いてた。


5歳の僕は
大切な人が亡くなって
ほんとうに悲しかった。



※じいちゃんが作った三線の完成日が
死んだ日と同じだった偶然。


組踊が好きな理由


大好きな、大切な人が死んでしまう物語って
あるじゃないですか。

『世界の中心で、愛をさけぶ』とか
『君の膵臓を食べたい』とか。

僕も幼い頃に
大好きな人が死ぬ瞬間を目の当たりにしたから


そういった物語を

どうしても他人事で観れなくて


(なんで死なせちゃうんだよ、)
(物語だから生き返らせたっていいじゃん、、)


って観ながら思うんですよね。

物語には
救いを求めたいというか。


それで、、


これはここ数年で気づいたんですが


僕が勉強している組踊なんですが


それが、

ほぼほぼハッピーエンドなんです。


とくに、組踊の創始者
玉城朝薫の創作した五番はそう。


彼も幼い頃に父・祖父が亡くなり
母が家を出たりしたらしい。

だから、


せめて自分の作る物語では


あまり人を
死なせたくなかったんじゃないかな



救いを求めたのかな



そんなことがあって
僕は組踊が好きです。



歌をうたうとき


組踊の劇中で

一生の別れ
気が狂ってしまう
母と子の再会

という感情がじわじわと
だけど激昂するような場面の歌は


5歳の頃の
あの経験を思い出したりします。

じいちゃんと別れたあの日
涙が止まらなかったあの瞬間
じいちゃんに再会できたとしたら。


だから
じいちゃんは


死をもって僕に
色んな感情をくれた
のかな


とも思う
今日この頃です。

そんなじいちゃんが
趣味で作った三線の棹



でも苦手なのが


にぎやかな歌。


こればっかりは
どうやればいいかわからない。


んー。



悲しみから始まった気がする

僕の人生。


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