見出し画像

一直線に進まない人間

目標達成に向けて無我夢中で走っている時、実は大きなカーブを描いていたということはある。
振り返ってみると、それは一つの時代であったことを実感する。
何も考えないでも、本能の赴くままに動けてしまう時期は努力を努力とも思わなくなるだろう。
走り続けている時、ゴールを持ってはいるものの、事の成否に関わらず得られる学びは多い。
ゴール達成へのプロセスに色んな人が入ってきて、また思わぬ方向に展開するのが人生である。
こう考えると、極めて非論理的に、断続的に進むのが人生なのかもしれない。


たとえば、成功できると確信した瞬間に行動し、次々と点が繋がり、線となり、面となる。
自分の勢いが他の人にも跳ね返り、相乗効果を生み出すという展開もある。
タイミングが合い、リズムに乗っている時、本人は主体的に動く。
そして、物事というのは時機が来て初めて成るということも往々にある。
だからこそ、主観に従うのは一理ある。
勝ち馬に乗っているからといって、その全てがある種の宗教だったりすることもある。
それは、違う発想や人、世界と出会い、自分の過去をメタ認知できた時に理解できるだろう。
達成したゴールが果たして成功だったかどうかというのは、後付けの解釈によって変わりうる。
それは、失敗にも言えることだ。
失敗が思わぬ副産物を生むといったことは、よくある。
本当はゴールを達成しない程度にやっている方が他者から見ると声をかけやすいのかもしれない。
達成してしまうと、本人もある種の満足感があり、見ている人間も冷めてしまうのではないか。
言うなれば、その姿勢、態度、本気度などを評価する際に、人は必ずしも達成のみに引き付けられるわけではないということだ。
努力する姿勢が人を突き動かすということも、一方ではある。



一直線に進まずとも、色々試行錯誤の過程において、他の人と関わる。
その中で、遅ればせながら、昔の夢が達成されていくという不思議な道程を辿ることもあるだろう。
やっている本人からすると、釈然とせず、何とももどかしいものであるが、それでもやはり大きなゴールというのは簡単に掴めないということなのかもしれない。
それでも、このような達成のある種の迷走性のような法則を知っていることで、自分とも付き合いやすくなるし、人生の様々な困難に諦めずに立ち向かっていくことができるのではないだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?