歴史と経済24〜熱帯医学〜

日本はかつて台湾や南洋諸島を統治していた時代があった。
気候の異なるエリアでは、日本とは異なる風土病が発生する。
戦争では、戦死者の数もさることながら、風土病感染による死者も懸念されてきた。

世界の歴史においても、植民地支配の対象として搾取されていた地域では、感染予防のために住民を隔離したこともあった。
かつてのイギリスによるケニアの支配がそうであった。
これは支配者側の感染を防ぐことに主眼が置かれており、実際的にも免疫を獲得していた現地住民は重篤化を免れることができるるけれども、植民者側には免疫がないため感染リスクが高いということも「人種衛生」を正当化することとなった。
しかし、やがて労働力として現地住民を必要としたことで地域の「開発」が必要となり、公衆衛生の考え方を現地に浸透させていく形の統治へと変化していくこととなる。

日清戦争後、日本では帰還兵の帰国が問題になった。
中国大陸ではコレラが蔓延していたからだ。
後藤新平は公衆衛生の知識を活かして、帰還兵全員の検疫を実施し、症状のある者は隔離するなどして流行を阻止したのだ。
いわゆる、感染症の水際対策を実施したのであった。

日本は島国であるため、海外の文化や病気などと日常的に接触する機会を持たず、あくまで「日本人の感覚」で海外に出かける。
だからこそ、驚きや発見も多いのであるが、そこで思わぬ病気をもらうこともある。
免疫は心理的にも肉体的にも一朝一夕で獲得されるものではない。

日本が植民地を抱えていた時代には、熱帯圏の感染症と遭遇することがあった。
あるいは戦地で罹患することもある。
軍事の遂行には医学が必要とされ、軍医は軍隊の構成員であった。
当時、熱帯医学に関する知見を蓄積した軍医は、のちに帝国大学教授となることもあった。

アフリカなどの熱帯圏では感染症が流行しても、経済的な発展の遅れから医学的な解決が図られず、根絶できずにここまで来ている。
現地の人々は感染症の免疫を獲得し、感染症と共存している場合もあるが、死亡者がゼロになるわけではない。
免疫を獲得していない労働移民の感染も見られる。
根絶計画が不首尾に終われば、現地住民の免疫が失われ、かえってその後の被害を拡大する恐れもある。
アフリカの「マラリア根絶計画」はこの「免疫獲得」の問題もあり、その対策は停滞してきた。
しかし、2000年以降、対策が構想されて風向きが変わりつつある。

日本でも奄美諸島・沖縄・八重山列島は亜熱帯気候に属するし、野口英世はガーナで黄熱病を研究し、非業の死を遂げている。

歴史的に見ると、日本人にとって熱帯医学はそれほど遠い存在ではないのかもしれない。
そして、感染症に悩まされる現代なら、尚のことである。

経済によるグローバル化は、私たちの目に見える形となって現れることも多い。
しかし、世界が繋がることでウィルスの移動も確実に起こる。

無関心になりがちな熱帯圏の感染症が関心の射程に入ってくるようになると、現代の感染症への見方もきっと変わる。

コロナが猛威を振るう今だからこそ、関心を向けるべきテーマである。
参考文献:『人口と健康の世界史』

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