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melancholic days 『オレンジ』

俺は俺のコトが大嫌いだった。

チャチャっと27歳くらいで終わらせる予定だった俺の人生も、もうすぐ41年目を迎える。

顔も体型もファッションセンスもギターや音楽も今こうして書いている文章も。自分を取り巻いてきた人達や仕事、全てがキライで毎日訳もなくイライラしていた。その感情の原動が何処にあるのか確かめたくて、結局今日まで生きている気がする。

とにかく1人になりたかった。

幼少期のいつからか、月と星の光に俺は幸せを感じることができる。音楽をヘッドフォンで聴いたり本や映画の世界に入り込んだり空想の中で一時の幸せと安堵を覚えていった。

俺は7歳から母親の仕事の都合で夜を1人で過ごしていた。託児所よりはマシというのが1番の理由。母子家庭の一人っ子のボロアパート暮らしに、よくある中流家庭の一軒家の託児所の2階の子供部屋に馴染めるはずがない。今思えばただ寝るだけのタコ部屋のような感じだ。俺は二段ベッドに魅力を感じたことが無い。

俺の憂鬱はかなり小さな頃のストレスから始まっているんだろう。そして秋の地元のお祭りの縁日に母親と2人で出かけ、母親はえらく機嫌がいい。高い値段の変形するロボットのオモチャを買ってもらった。その後母と別れ託児所へ。託児所は祭りの場所から一本奥に入った道にあった。

夕陽が照らす母の背中とガキの俺の影の長さの距離がとても淋しかった。子供ながらに少し大きくなった俺は寂しいという言葉さえ伝えるコトが出来なくなっていた。その時初めて自分の欲しいものを母親に欲しいと言った。今でもなかなか言えない…。本当に欲しいものを欲しいと誰かに言うことが俺はとても苦手になってしまった。

俺はこの時、淋しいという感情を捨てた。あの託児所の2段ベッドの下で。

変形ロボットと母親は俺の気持ちをわかっていたんだろう。母親も生きるのが大変でお互いにこれが精一杯の愛情だった。

つづく。




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