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老いるとは、輝きを「成果物」に移行していくこと

めずらしくカフェ巡りの取材なんて、女子っぽいコトをやっている。

でもスイーツ分野もそれはそれで面白くって、畳職人とか石瓦職人みたいに求道者としての狂気にふれたとき、身体の芯から興奮するのだった。豆を濾してペーストにするとか、そんな作業のひとつひとつに。

ずいぶん前だけど、当時日本でただ一人「標本士」を名乗っていた相川稔さんに剥製づくりを教わりに行ったときは、ドキドキしっぱなしだった。雪の積もる神奈川県相模原市の博物館。カメラバック引きずって泊まり込みで行ったよな。鳥の肉体の神秘、再現性と保存性にこだわるに相川さんご自身の姿勢がまぶしかった。たぶんもう念願のドイツに行かれてるんだろうなぁ。なぜか相槌を打つときは、uh-huh、とか欧米風味で、奥さんの大切にしていたペーパーナイフ(だったかな)も、こっそり剥製づくりの道具に改造してしまったとか、そんなところにも、のめり込んだ人間の無邪気さを感じて、ただただ微笑ましかった。指先がきれいな人だった。

(相川さんの剥製づくりについては、『狩猟生活』という雑誌に10ページぐらいで書いてます。この出版社さんは残念ながら倒産してしまったのだけど、創刊からやらせてもらっていて、愛されてた雑誌。編集長とともに絶対復活すると信じてます。だから読んで、狩って…いや、買ってね!)

そんなこんなでケーキの取材だ。

ここは、わたしが住む瀬戸内海のしまなみ海道エリアでは、群を抜いて洗練されたケーキをつくるカフェだった。唇に含むとスッと入ってきて、舌を滑らかに楽しませ、飛ぶ鳥跡を濁さず的な感じでサッと去っていく。でも、鼻腔には淑女の香水のように忘れられないほのかな余韻を残す、また逢いたくなるんだよ。銀座の一等地でも闘えると思う。なんでこんな凄腕がここで店をやっているのか分からないぐらいだ。いや、今の地方には、そういう事例がゴロゴロしているのは知っているけど。

ありがたいことに、お店の方はとても協力的で、すべてが上手くいった。しかし、どーーしてもオーナーパティシエだけは写真を撮らせてくれなかった。撮られるのが心底苦手なんだということ、マスクを外さずにおっしゃった。「あなたの、あなたの、ケーキに惚れたんです!」と泣きついてもダメ。それなりにお年を重ねた方で、イケメンとか写真映えしまくり!というタイプの方ではない。味のある風貌でわたしはいいと思うのだけど、いろいろ考えた上でのことのようで、わたしは諦めた。無理強いはしたくない。

一方、彼のつくったピスタチオのケーキは、誇らしくキラキラと宝石のような輝きを放っていた。繊細に濾したクリームに、シロップをまとうイチゴとベリー。海を背景に撮影したら、月を受けて光る人魚姫のようだった。乙女のぴちぴち感ハンパない。

オーナーはいろいろ事情があって、28歳からパティシエの道にのめりこんだそうだ。まったく異業種、営業職からの転身。フランス語を学ぶことから始まったそうだ。そして今、「円熟」の二文字が頭をよぎる。

取材の後は、どうしても神経が高ぶる。

造船場をのぞむ港で時間をつぶす。

で、なんとなく思う。

老いるということは、単に劣化するのではなく、本人が持っている輝きを何か「別のモノ」に移し替えていく作業なんじゃないかと。オーナーパティシエのケーキとか、夏木マリのコンテンポラリーダンスとか、谷川俊太郎の詩とか。成果物みたいな何か。子どもいる人は、生物的にもそう。


あぁ、絶対もっといい例えあるはずなんだけど、焼酎ぐび呑みしていて今は思いつかん。許してくだせぇ、バッカスの神。

わたしは、あなたが作ったものを見るのが好きです。

カラス雑誌「CROW'S」の制作費や、虐待サバイバーさんに取材しにいくための交通費として、ありがたく使わせていただきます!!