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異なる価値観に触れ、自身の価値観を再考する - 生まれも育ちもオランダのご家族との食事【Aflevering.24】

 先日、娘が通う学校の友達家族と一緒に食事をする機会がありました。
一緒に食事をした家族のご夫婦は、どちらもオランダで生まれ育った夫婦です。
2人とも日常生活ではオランダ語を話しており、英語は少し話せるという感じです。

オランダ語と日本語の話者が「英語」で歩み寄って通じ合う

 私が英語で会話をする時、上手く会話に入りたくても、自分だけ会話のスピードについていけないという経験ばかりでした。
話したいことを思いついた時には、悲しいことにみんな次の話題に行ってしまっているという状況です。

 今回は、お互いが共通して話せる言葉が英語です。そのため、妻以外は不慣れな言語でのやりとりとなり、会話のペースが非常にゆっくりでした。
 また、旦那さんは英語で話すことがあまり得意ではなさそうだったので、オランダ語も上手く活用しながら話すことにしました。とはいっても、私から聞けるのはとても単純な質問ばかりですが。

 私は海外に暮らしてようやく1年が経ったものの、オランダ語や英語の勉強は思うように進んではいません。しかし、日本語以外の言語が飛び交う中でやっと落ち着いて話が聞けるようになってきました。少しずつ、外国語の環境への抵抗がなくなってきたということです。

子どもはお構いなしに話しかけてきてくれる

 友達のお家に遊びに行かせてもらうと、とても嬉しいことがあります。それは、子どもたちが積極的にガンガン話しかけてきてくれるところです。多くの子どもたちは目が合って、こちらがニコッとした瞬間から、積極的にオランダ語で話しかけてきてくれます。
 大人であれば遠慮してくれるのですが、子どもたちはお構いなしに全力で自分の言いたいことをぶつけてくれます。笑
 これは本当にありがたいことです。

 昨年、公園で男の子に急にサッカーを一緒にやろうと言われた時もそうでしたが、子どもたちは自分の気持ちを伝えるのが精一杯なので、それをそのままぶつけてくれます。

 また、子どもの語彙の数は限られており、簡単な質問ならこちらもできます。
そのため、いつも娘のプレイデートに合わせて話しかけてみることにしています。
 また、単純に子どもと会話ができるととても嬉しいです。言語習得は、必要性とモチベーションが大切なんだとつくづく感じさせられます。


私が出会ったオランダの人たちの家庭を見て思うこと

 オランダに暮らす人のお家へ行かせてもらったり、娘を学校の送り迎えや公園での親子のやりとりを見ていると、いろんな気づきがあります。

 私が見けかたり出会ってきたオランダに暮らす人々は、とにかく大らかで冷静だという印象があります。そのおかげで、私もこの1年で子どもとの関わり方が大きく変わりました。
 特別危険なことをする場合を除いて、大人の都合で必要以上に子どもの行動に制限をかけたり、口うるさく何かを言っている光景をあまり見かけません。例えば、子どもが走っていて転んだ場合、優しく歩み寄ってハグをしたり、優しい言葉をかけています。私はつい「ほら言ったじゃないか」と思って責めてしまいそうになるのですが、それは大人の勝手な見方であり、子どもは今まさに学んでいる最中だということを思い出すようにしています。

 子どものことをついつい心配し過ぎてしまう私にとっては、オランダに住む方々の子どもへの接し方は良い模範であり、いつも勉強になります。干渉し過ぎず、とにかく冷静で、子どもの話をよく聞いています。

 また、家の中でも日本だったらすぐに「危ないから(または、家が汚れるから)やめなさい!」と言われそうなことでも、寛容な態度で子どもたちに接します。

 コップに水を入れて歩いていてこぼれたりしたら、そっとふいてあげたり、家にあるチョコレートのお菓子をみんなにたくさん配りながら何個も食べようとすれば、何回かは見守った後に、そっと「もう十分ね」という感じで優しく話しかけてやめさせていました。

 今回お邪魔したお家でも、姉弟喧嘩をした時、親がジャッジして姉を一方的に責めたりするのではなく、泣きまくっている弟の方に行って優しく声をかけて抱き上げたりしてスキンシップをしていました。
 私が初めオランダに来た時は、「放任」かなと思ったこともありましたが、今は「寛容」という言葉があてはまるのだと感じています。

「本質を見極める難しさ」

 オランダの人々と過ごした後、私たち夫婦はいつも子どもへの接し方について、振り返りをすることにしています。日本とは違う文化の中で暮らし始めてから、夫婦での子どもへの接し方について、さらに妻と話し合うようになりました。
 自分たちはどこに価値基準を置いて子どもに接しているのか。私たちが育った「日本人らしさ」なのか、娘の友達や学校のような「オランダ人っぽさ」か、それともその間を取るような「オランダに住む日本人」としてなのか、とても悩みます。
 もちろん、完全にどの方針で貫いていくというわけではなく、この時はどう考えれば良いのだろうという、ケースバイケースでの話し合いです。

 食事をする時、公園で遊んでいる時、友達と遊ぶ時など、いろんな場面でいろいろと考えてしまいます。

 「危ないからやめときなさい、汚れるからやめときなさい、他の人の迷惑になるかもしれないからやめときなさい。」

 何かをしようとする時、「子どもにとってはとても大切な学びの瞬間なのかもしれない」と考えると、子どもにさせてあげることがもう少しあっても良いのかなと思いました。しかし、その判断が私にはとても難しく感じます

 この問いに関して、どうするべきなのかという「答え」は存在しません。
 子どもが将来幸せに生きていくために、私たちが親としてどうありたいか、をはっきりさせないといけないのです。
 日本の外に出たことによって、新しく気付けたこともある反面、日本にいたら悩まなくてもよかったこともあります。
 基本的に「何でもきっちりさせよう」という姿勢から、「子どもらしくいる」ことを尊重することが、大切なのは分かるけれど難しいのです。

 私が知っているオランダに暮らす人々の子育ては「なんでもかんでもオッケー」というわけではなく、スクリーンタイムや子どもの行動に制限をかけるべきところはしっかりとかけています。
 私たちがよく求めてしまう「こうすべき」というのはなくて、子どもの自主性や自尊感情は傷つけず、子どもではまだ理解できないけれど大人が制限をかけないといけないことは大人の言葉で説明するしかないようです。
 その一方で、子どもに迎合するというわけでもなく「子どもらしさ」をなるべく保ちながら、子どもを1人の個人としての見方があるからこそ、オランダで暮らす人は、寛容でありつつポイントをおさえることができるのかもしれません。
 集団優先で同調圧力の中で育ってきた私にとっては、理解するのが難しいですが魅力的な価値観だと思います。
 だからこそ、夫婦で常に話し合って、判断基準を共有する必要があると思いました。オランダの夫婦もよく話し合いをするという話も聞きます。

「子どもは子どもらしく」
 私にとっては難しいけれど、そのシンプルなことを私が出会ったオランダの人々は実行しています。親はこうあるべきという理想の親みたいなプレッシャーもあまりないのかもしれません。

 ここまで述べてきたことは、オランダ人はこうだというステレオタイプな見方ではなく、私が見たり出会ったりしてきた範囲での考察です。

 最後までお読みいただきありがとうございました。

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