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自立型自習に必要な「読んで理解する基礎的な力」⑤ - 教育のための科学研究所のRSTから学んだこと【Aflevering.160】

 前回の記事では、今私が運営している日本語教室の「学習の在り方」について、新井紀子氏の著者を読んで考えたことをまとめました。
 そして今回は、もう少し具体的な学ぶ方法として、「理解する過程」がいかに大切だと思ったかについて、私の日本語講師としての経験に基づいてお話しさせていただければと思います。

読める子と読めない子の違い

 私は日本にいる子どもたちのオンライン学習サポートもしております。小学生から高校生まで、全国各地の日常の学習から受験勉強まで幅広く見させていただいています。

 日本語教室でもオンライン学習でも、小学生でも高校生でも、読める子と読めない子の差は、授業外の時間でどれだけ自分で学習を進められるかというところにおいての差が出てきます。
 読める子の大半は、学習の主導権が学習者にあることが多いです。私は、初めの授業では、入念に学習の進め方について打ち合わせをしますが、その後、授業外でも自分で学習するという基本的な取り組みを自分で進めることができます。そして、自分自身の力では把握できないようなこと、例えばゴールまでのペース配分や、自分一人では理解できないような評価や入試の制度や学習内容など、をこちらにアウトソーシングしてきます。そのため、大抵授業の内容は、生徒と学習の進め方についての確認作業から始まります。生徒からは「このゴールまでにこういう風に進めていこうと思っているのですが、先生はどう思いますか?」という様な感じです。それに対して「その場合、こういうことがあった時にうまくいかなくなる可能性もあるから、この時期までにこのタスクは仕上げておいた方が良いね」と、こちらが考えるリスクなども伝えて本人が納得のいく学習方法を作り上げていきます。あとは、学習内容で分からないことや講師側から伝えておかないといけない補足情報などを足していきます。

 その一方で、自分で読めない子に関しては、基本的に自分で学習を進めるのが苦手な傾向があります。その原因は、情報収集力などと関係するのかもしれません。学習方法や学習内容について、継続的に全部こちらが説明しないといけなくなるため、学習に要する時間が余計にかかってしまいます。

 このように授業の質も異なりますし、授業とその次の授業の間でも取り組みの内容や質に差が出てしまいます。もちろん、宿題などである程度の量を補うことができたとしても、質のカバーはそこまでできません。

 また、自分で読める生徒は、「自分で学習している」という自信もあり、またその方が効率よく学習が進められると感じていることが多いです。また、生徒に学習の主導権があるので、自立に繋がりやすいと思います。

 さらに、読めると読めないとでは、相手の説明を理解できるかどうかにも関わってきます。それが、勉強方法を見直すという作業の時に大きく影響してきます。
 例えば、同じ間違いを繰り返してしまう子のパターンの1つとして、国語の問題を見直す時に、「なぜ解説だけを読んで納得して終わらせてはいけないのか」「問題を解く際に不安だった選択肢を再度吟味する必要がなぜあるのか」をこちらから説明しても理解してもらえず、頑なに急いだやり方を続けてしまう子もいます。そういう場合でも、その子が理解できるまで何度も説明をするようにして、少しずつ変化が現れるのを待つことにしています。私は待てるのですが、試験などは待ってくれないのでサポートする側としては悩むところです。

 この本に書かれていることは、私たち大人も「学び」について考え直す機会を与えてくれ、子どもとの向き合い方も考え直すきっかけを与えてくれました。
 私たちがこれまでに学校教育で受けてきたものと、情報化がかなりのスピードで進む現代社会の中で、これからの私たちに必要なものは何かを示唆してくれるのが『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』『AIに負けない子どもを育てる』の両著でした。

海外での日本語の丸暗記の勉強はほとんど意味がない

 今の日本語教室での授業においても、私の教室に通うまでに漢字テストを丸暗記で乗り切ってきた子たちにとっては、考えることには少し抵抗があったように思います。小学生の場合、少しずつ考える頃には慣れてくるのですが、それまでに無理矢理暗記させられた漢字は結局覚えておらず、1年生ぐらいで止まってしまっているのが現状でした。私の日本語教室では、漢字をまずイラストや意味で捉えることから始めて、「漢字」と「読み」の間に「意味、イメージ」を介入させるようにしています。中には、私も含め現代の生活を行なっていると理解できないものがあったり、進むスピードも日本の国語の進め方と比べると時間がかかってしまうのですが、丁寧に着実に進める方が子どもたちも安心して学べると思っています。日本語教室で学ぶ子どもによっては、数年後に帰国を予定しているということから日本のカリキュラムに合わせて学ぶことが求められることもあります。その場合でも、なるべく少人数の学びを活かして丁寧に学習を進めることを意識しています。

論理的に読む力と文学的作品を味わう力

 私はIBDPの日本語Aのサポートもしているので、文学的な文章を読む魅力も子どもたちに伝えたいと思っています。新井氏の著書は、主に論理的な文章に関する読む力について書かれています。それは人間社会で生きていく上では非常に重要なことだと思います。その正確に読む力に加えて、文学的な文章を読み、自分の生き方について考えてみたり社会について広く考える視野を養う機会も大切にしていきたいと思っています。

親として取り組んでいること

 学習は押し付けられてやるものではなく、自ら学びたいと思った気持ちを大切にしてほしいという思いで子育てをしています。もちろん、子どもに全てを任せるという意味ではなく、必要な環境設定をして子どもが学ぶことに対して前向きになるようにサポートするようにしています。
 また、子どもの話は極力面と向かって聞くように心がけ、親同士の会話、親子の会話、家族の会話を大切にしたいと思っています。

ICTでは測れないもの

 先日娘の懇談で、計算や読み書きのiPadでの勉強の結果を見せてもらいました。計算や文字のドリル的な力はそれで測れると思います。しかし、本当にその単元を理解できているかという意味では不十分だと感じました。実際にクラスメイトの保護者も過剰に画面上での学習を進めることに反対している保護者もいます。手を使って実際に文字を書いて、紙に書かれた文字に触れることも学校では行われているので、そういった力も大切に家庭でも育ててあげたいと思っています。日本語教室では、タブレット学習は行なっておらず教科書とノートを中心にアナログ授業を大切にしています。家庭や学校でタブレットなどを使用している子どもたちが多いので、あえて手間のかかる方法で授業をしています。



 私が今回まとめるきっかけとなった本のタイトルにもあるように、AIに負けない子どもを育てるという観点からも、日本語の勉強はただ処理する対象になるのではなく、自分を成長させるものであってほしいと思っています。

最後までお読みいただきありがとうございました。

<参考文献>
新井紀子『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報、2018)
新井紀子『AIに負けない子どもを育てる』(東洋経済、2019)

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