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Column #18 プロ野球と父の感嘆詞

5年ほど前から、近所に暮らしたまに夕食も共にする父との会話をもっと増やそうと、プロ野球情報をこまめにチェックするようになった。しかし自分の方がだんだん野球に詳しくなってしまい、年々その度合いを増し続け、今年はその想いが爆発。今までの何倍も、テレビやネットで毎日好きなチームの動向を追っている。

そのチームとは、ずばり巨人。父は東京出身というのもあるかもしれないが、少なくとも祖父の代から受け継いでいる。幼い頃の夏の家族の風景といえば、青く透き通った羽根の扇風機と、微かなビールの匂いと、テレビに向かって巨人を応援する父の声。小学生の頃、まだ東京ドームができる前の後楽園球場や、神宮球場、横浜スタジアムでも、何度か父と観戦した記憶がある。

その巨人の今年の監督は、原辰徳。僕の世代では固定の4番打者で、言わずもがな、少年たちのヒーローだった。21世紀に入ってからの原は、すでに巨人監督を2期勤め、12年間で7度のリーグ優勝と3度の日本一に導き、WBCではイチローなどと共に世界の座も射止めた。すでに名将と言われる原の、これが3期目の初年度とはいえ、期待は高まった。

ひるがえって昨年までの3年間、巨人の監督を勤めていたのは僕と同い年の高橋由伸。しかし、実際に采配を取っているのかいないのか分からないほどの、ベンチからの指示の少なさ、周りへの引き立ての弱さが、どうにももどかしくてしょうがなかった。無論、優勝の気配もほとんど感じられない3年間だった。

今年は原がなんとかしてくれるのではと思うと、さっそくシーズンオフ、つまりストーブリーグ期間中のキャンプ情報が例年以上に気になった。選手がそれぞれどんなトレーニングをしているのか、原はどんな言葉で選手を鼓舞しているのか。

そんなわけで、冒頭に書いたようにペナントレースに突入しても事細かに追っているうちに、久々に球場へも足を運んでみようと思い立った。10年ぶりくらいだろうか。6月は交流戦の月。セ・リーグはパ・リーグの各チームと、パ・リーグはセ・リーグの各チームと、それぞれ3試合ずつを戦う。川崎から慣れない路線を乗り継ぎ、西武ライオンズの本拠地である埼玉・所沢のメットライフドームへ。

ドームといっても、球場と屋根のあいだにほどよい隙間が空いていて、外の気温を感じられる気持ちの良い球場だ。昭和の野外の球場に親しんだ自分としては、この方が嬉しい。野球界の慣習で、ベンチも客席も1塁側がホーム、3塁側がビジターのチームとなるのだが、この球場だけはそれが逆。というわけで1塁側の、思い切って前から3列目で観戦した。

この日は先頭打者の亀井がホームランで先制。一旦はパリーグ本塁打トップの西武・山川に逆転タイムリーを放たれるものの、最終的には巨人が9-4で快勝した。この日は高木京介のロングリリーフがとくに冴えていたのと、もともと西武に在籍していたキャッチャーの炭谷が攻守で大活躍したことが印象的だった。上位から下位打線までバランスよくヒットも生まれていたし、いい日に見に行けたなと思った。

交流線では、広島からフリーエージェントで加入した丸佳浩が、著しく打率を伸ばしていて絶好調。丸は自分の打席が終わると必ずベンチでメモを取っているくらい、野球選手には珍しい極度の几帳面タイプ。相手投手の癖を少しずつ捉えられるように、日頃から努力を重ねている。

しかし交流戦は、普段戦い慣れないパ・リーグの投手たちに対して、丸流のいわゆるデータ野球は通用しにくいはずなのだが。でも考え方を変えれば、普段が綿密すぎることの反動で、あまり深く考えず思い切りスイングできたというのもあるのかもしれない。とにかくどの打席もそんな潔さや、テンポの良さを感じた。

今回はかなり長くなってしまったので、小休憩を。野球用語が分からない人は全然分からないだろうし、逆に野球ファンには甘めな解説にはなっていると思う。いつも以上に好きに書かせてもらっているが、どちらに対しても面目ない気持ち。でも、もう少し続く。

僕は、ただなにげなく野球を見ているだけではなく...。

メモ魔なところは自分と似ているので、やはり丸の集中力だったりルーティンは参考にしたくなってしまうし、巨人のスターティングメンバーになるだけでも相当な努力の賜物だと思うので、日頃から各選手がどういうところに気を付けているかというのは、いつも自分の仕事に対する考え方などの参考にするようにしている。

なにより、常に批判にさられながら戦っている選手陣のメンタルは、心底見習いたいと常に感じる。とくに1軍と2軍を行き来している、レギュラーになりきれていない選手たちへ世の中が浴びせる言葉は、とても辛辣だ。

いわゆるYahoo!ニュースのヤフコメなんぞを見ていると、誰もが自宅や帰宅途中のスマホで観戦しているのもあるが、人の目を気にしない、気が急いたようなコメントが目立つ。昨今の野球ファンはさながらチャットのように、ネット上の各チーム専用掲示板などでも熱くやり合っているという。(だから掲示板は廃れないとも思う。)

しかしメットライフドームでのこと。僕のすぐ右側は、ビールを売り子のお姉さんから何杯もお代わりしながら、ずーっと何かを叫び続けている男性だったのだが、その内容は温かいものばかりだった。昨年から調子の上がらない田口投手に対しての「大丈夫大丈夫、球が定まってきてる!」とか、ライナーでアウトになった打者に「コースがたまたま悪かった、打球良かったぞ!」だとか。

応援すると同時に冷たい視線も持てる僕らは、すでにひとつのメディアだ。たとえば退き際を言葉で迫られるのはいつも35歳前後の選手。しがない打率で代打ばかりの彼に、今すぐ2軍へ帰れという記事を書くのか、まだお前はやれるという見出しで鼓舞するのか。正直、僕も短絡的で、前者になってしまうことの方が多い。でも原監督は常に後者だろうし、そうでなければならない。

そういえばあの日、まだ昭和の頃の父は、食卓からブラウン管に向かってどんな言葉を投げかけていたっけ。「よっしゃ!」とか「なにやってるんだ!」とか、感嘆に限りなく近い言葉しか覚えてない。でも父も、置き換えて考えるのが好きな僕のように、選手たちやコーチ陣の動きを、自分や自分の仕事と照らし合わせて、あれこれ想うこともあったかもしれない。

もしそうだとしたら、そういう瞬間は、選手を心から励ましたい気持ちになるだろうし、重ね合わせている以上、その言葉は自分を励ます言葉でもあったはずだ。まだ幼い僕や妹を食べさせていくための。