見出し画像

#Column 20 海外ドラマの愉しみ:FARGO

普段、あまりドラマを見ることはないのだけど、なにか海外ドラマにハマってみたいなと思った。今年の自分に必要なのは「適度な息抜き」なので、何も考えなくても良い時間をさらに増やすために。

今はインターネットでなんでも観れる。でもあまり派手な設定や演出だったり、お決まりの勧善懲悪ものなどが好きではないので、できるだけ地味で文学的傾向の強いドラマを探す。

うーん、なかなかない。あれこれ選んだ末に見始めたのは「FARGO(ファーゴ)」。「ビッグ・リボウスキ」などで有名なコーエン兄弟監督の、1996年の同名映画から派生したもの。その映画は、かつて仕事をした映画監督の大川五月さんに、サウンドトラックを勧めてもらったのをきっかけに観ていた。

中心となるのはごく一般の市井の人々ではあるが、展開はけして地味ではない。ふとしたきっかけで、数々の殺人事件に巻き込まれていく。猟奇的なシーンが多いので、苦手な人にはオススメしない。僕もやたらに怖さを助長するホラーものは苦手だけど、この映画くらいなら大丈夫だった。

舞台はアメリカのミネソタ州。一年の半分は雪が積もっている。かつてOCTOCUBEのレコーディングでたびたび滞在していたので、街の雰囲気を思い出しながら見るのもまた楽しかった。

そもそも自分は、舞台が現代のアメリカ郊外のものであれば、ある程度良質な小説や映画なら、たいてい好きになってしまう。都会よりも閑散とした街が好き。そもそも人は街を作りすぎているのだから。

話が脱線するが、普段自分のための曲をつくるとき、詞をまだ付けていない曲の仮タイトルに、アメリカ郊外の都市の名前を付けることにしている。無限にあるように感じるアメリカの大地のように、曲も無限に作れたらと思って。

FARGOには、とびきりの美人が登場することもない。シーズン1なら、いちばん視聴者に寄り添う、マトモな意識を担う側の主人公である女性警官は、かなりぽっちゃりしている。イケメン俳優たちは、おしなべて不幸な結末を迎える、もしくはとてつもなく頼りない。そういうところもいい。

全編に及ぶ皮肉めいた描写も好きだ。シーズン1〜3の30話すべて、冒頭から「THIS IS A TRUE STORY.(これは実話である)」と言っているが、これがすでに真っ赤な嘘なのだ。

とにかくシーズン1が面白かった。話が進むたびに次の展開までハラハラした。本当に普段からドラマを見慣れていないので、次回が気になるというのはこういうことなのかと、深夜の真っ暗な部屋で、子供のようにワクワクしていた。

シーズン2では一気に時代が遡る。キルスティン・ダンストは好きな女優なのだが、いつのまにか中年役も似合うようになったものだ。これまたシーズン1以上にハラハラ。

シーズン3は再び現代に戻るのだが、混沌とした描写も多く、ドラマというよりは映画のようだった。ちなみにそれぞれのシーズンは時系列で繋がっているが、別個のストーリーとしても楽しめる。

30話までのあいだ、ついついカウチポテトやカウチかりんとうが進んでしまった。ときおり食事どきの炭水化物を抜いたりして、調節していた。

どれも展開が激しいのに、内省的な気持ちを持って観れるのは、音楽が主張しすぎていないからだ。気付かないうちに見ている側の深層心理を操るという意味では、巧みなスコアの書き方だと思う。

映画版はコーエン兄弟とよく仕事をしているカーター・バーウェルだが、ドラマではジェフ・ルッソなどのクレジット。

映画の意志を引き継いでいるのか、チェロなどの低めの弦楽器の音が印象深い。街の下に敷かれた真っ白な雪とその音色が、通奏低音としてリンクしあう。だからどのシーンを見ていても、感情を押し付けられることはなくて、自発的に入っていける。

そう、没入感。先々月のコラムの野球にしろ、ドラマにしろ、時間を奪われることってこんなにも楽しいのだな。趣味がない人間なので、そういうことを味わったことがあまりなかった。若い頃はお酒の場にばかりいたせいもある。

それにしても昨今の海外ドラマは、みんながネットで見るようになってから制作費が潤沢になっていて、必然的にクォリティも一段と上がっている。映画なら2時間だが、連続ドラマならこんな風に約30時間、引き込まれてしまう。そのくらいの魅力はある。

日本のドラマも負けてはいない。話題性だけでなく、内容で勝負するドラマが増えている。やはり最近、ネットで日本のドラマを一気に見た。それは「おっさんずラブ」。演出の瑠東東一郎さんという方に、ヨーロッパ企画の打ち上げでお会いしたのがきっかけ。

方向性としてはFARGOとは対極的なのだけど、全7話と意外に短く、とくに3話くらいまではヨーロッパ企画のように笑える小ネタの応酬。劇判作家の河野伸さんという巨匠の方のお仕事も堪能でき、これまた満足できた。

息抜きなのに息が荒くなってしまう、ドラマとはそんな狂おしい恋愛のような存在なのかもしれない。次回、また次回と会いたくなるように仕向けるわけだし。それでもいい。また新しいドラマに出会いたい。