見出し画像

Column #9 短編を閉じてまた次の短編を開く

初出掲載日 2018.09.29

これまでの地道な曲作りや、いろんな方面の音楽仕事の日々から打って変わって、今月は自分のためのレコーディングが始まった。それは終わりのない旅の始まりでもある。完成して自分の手を離れたように思える曲でも、積み重ねるライブによって成長していくし、誰かの心のなかでも形を変えていく。いったん世に出た曲とは、必ず長い付き合いになる。

先々月のコラムで書いた通り、ピアノと歌だけのシンプルな音楽だけを書きたいという想いが強くなって、聴く音楽もアコースティックなものばかりになった。リズムがグイグイ来てるようなものしか好まなかった自分にとって、大きな心の変化が起こっている。

なかでもジョニミッチェルの「BLUE」は耳に馴染む。もう歌は引退して今は絵を描くことに専念しているらしいけれど。以前は中期のジャズを積極的に引用したアルバムの方が好きだったけど、「BLUE」はギターとピアノの弾き語りがメイン。1971年作、けれど古さをまったく感じない。

服の趣味も少し変わった。今まではわりとシュッとしたフォルムのシャツやパンツが好きだったのだけど、自然なシワが似合うような、いくらかふんわりとした服も着たくなった。

ただ、いろんなことに挑戦したいという想いは変わらない。とくに歌のない音楽は、まだまだ作れるのに作っていないような音像がときおり頭の中から聴こえてくる。そのときは名義を変えたらいいのかなぁ。とにかくこの本名では、当面シンプルなままで行きたいのだ。

そうなると自分の体以外はピアノだけが頼りだ。僕のピアノの音の積み方は、楽器を重ねたアンサンブルのように聴こえると言われることが多い。不思議なのだが、1曲を通して弾き終わると、自分でも思いもよらないフレーズになっていることもよくある。これからも気の利く相棒でいてほしい。例えばポケットから手帳やカメラ、ときにはあんパンをサッと出してくれるような。

歌は、ダブルトラックといって2回同じことを歌ったものを重ねることが多かったけど、今回はそれをまったくしていなくて、コーラスも入れないつもりだし、なるべく重なるところを作らない方針。つまりはライブと一緒ということなのだけど。

だったらレコーディングで歌もピアノもせーので録ればいいのだけど、それはしたくない。何故だろう。時間にとらわれずに曲を構築する作業にまだ未練があるのかもしれないし、度胸がないだけかもしれない。

HONDA N-BOXのCMをはじめ、ナレーションを今までいろいろと担当させてもらったけれど、あの素の感じをアルバムで表現できたら。もっと言うと、素描や素焼きのような。単純なようで、難しい。構築する、加工する世界の方が好きだったのに。そんな心の変化が、自分でもやっぱり面白い。

10月に入ったらすぐにいろんなことを発表する。11月、12月もいろんな動きがある。月ごとにステージががらりと変わっていく。ゲームに例えたいけどあまり詳しくないので、自分としては短編を閉じて、また開くを矢継ぎ早に繰り返すといった感じ。すべてがつながる群像劇を、僕が気付かないところで誰かが面白がってくれるのが、一番いい。