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Column #24 ぼくはふりむく

2019年も年の瀬。いきなりですがここでご報告。このマンスリーコラム、毎月更新するのは今回で一旦最後にすることに。ネタに詰まることが増え、書くのにかなり時間がかかるようになってしまいました。というわけで来年からは書きたくなったときに書くことにします。締め切りがないと動かないタイプのなので、もしかしたら今後ずっと書かない可能性も無きにしもあらずなのだけど、ご存知のように文章を書くことは好きなので、次に更新されたときは「よっぽど書かずにはいられない内容」なのだなと思って、読んでもらえたら幸いです。

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さて、やっぱり年が変わるということで、これからのことを書いた方が良いかな。ツアーが終わったあとは、夏くらいにセカンドフルアルバムが出せたらいいけれど、他にやりたいこともたくさんある。

でも今は、他のことはあえて「白紙」と言っておきたい。真っ白な壁面だけのミニマルアートよろしく、ここから下の文章は全部真っ白にしたいくらい。

と書いた瞬間、パソコンの画面上のテキストのカーソルが、突如勝手に下へ移動していき、何も書かれていない真っ白な行だけがどんどん連なっていった。 嘘じゃない。不条理な話題を、得意満面な顔で書こうという気もさらさらない。

実は僕のパソコンのキーボードはかなりの安物で、いくつかのボタンの字が読めなくなるほど、使い古されてボロボロな状態。だからたまにリターンキーが押されたまま引っ掛かるようになってしまい、時折ちょっと目を話した隙に、ひとりでに改行し続けてしまうのだ。自分でも、あーびっくりした。とんだ怪奇現象。

話を戻して...。先月のコラムでも書いたけれど、ピアノ弾き語りの1st Albumのあと「とうぶんこの流れで行く」と散々いろんなところで話して、先日の1st EP「冬の大六角形」で結果的に真逆の方向になったことが、自分の中で大きくて。それを反省するというわけじゃないが、今ここで来年以降のプランを書いても、すぐにまた違う向きへ舵を切りたくなりそうで、どうにも筆が進まないのだ。

このまえ安田寿之さんと、このことについて話をしていて、「そうか、例えば『有言実行』って言ったって、結局は自分で言ったことをあとからなぞるだけなんだな」とふと思った。

道なき道を行くのが楽しみでこれまでやってきたのに、自分で安易に道を作って、自由な環境を狭めてしまってどうする。そんなことにようやく最近気付いた。

もちろんやりたいことはたくさんある。音楽もそれ以外も。

でもその前に、来年は今まで以上に無理しないで行こうと思う。今年は体調面の脆さが出てしまった。4〜5月、まったく声が出なかったあの3週間を思い出すと辛い...。

一昨日の札幌からの帰路の、途中のタクシーでのこと。「忘年会ではっちゃけすぎて、声がかすれてしまったんですよ〜」と言いながら、本来は話好きなのであろう、そのしゃがれ声で必死に話しかけてくる若い運転手がいた。

「だったら無理しないで」と何度伝えてもどんどん話しかけてくるので、「ここで無理すると一生声が出なくなるよ」と伝えたら、シュンと黙ってしまった。よく考えたら、それは自分が医者に言われた言葉だった。 声は僕も運転手も一生ものの商売道具。大事にしてほしくて。

それとは別に、先日、同い年で旧知の音楽ライターと再会し、その後すぐにお酒を酌み交わすことになったときのこと。

彼とは10年近く会っていなかったのだけど、節目節目で僕のCDを買い続けてくれていたそうで、すごく嬉しかった。名義が変わっても積極的に活動してくれて嬉しい、とも言ってくれた。でもコラムを読んだときにさりげなく思ったそうだ。「本人は楽しんでやっているのかな」と。

ギクッとなった。いや、今年の2月のコラムのように、また突然ギックリ首になったわけではない。あの1週間もしんどかった。...じゃなくて。

やはりコラムを頻繁に書くと、ネガティブなところも出てしまうのだなというのが、正直なところ。でもそのおかげで彼のように心配してくれる人も現れるのは救いなのだけど。

名義を変えてからのこの2年は、それなりに楽しかったけど、どちらかと言えばやはり苦しみもがいた2年だったと言える。その果てに名盤とも言えるようなEP「冬の大六角形」が生まれたので、けして後悔はしていないのだけど。

とにかく人に頼るのが苦手なので、なんでも自分で解決しようとして、裏目に出たり、時ばかりが過ぎることが未だに多い。きっと人の手を借りればすぐ終わっていたことはいくつかあって、自分でやるべきことの中でもっと早く済ませられることは、さらにたくさんある。

受難はまだ続く気もする。とにかくちゃんと音楽をやっていれば、そこまでの日々で見つけた小さな光で多くの人を照らせる日が、必ず来ると信じて生きている。要するに、自分なりの開拓時代はまだまだ続く。誰しも根本はそうじゃないか。

ところで昨夜のこと。BSの番組で映画「ララランド」が流れていた。最後まで見てしまったのだが、胸が締め付けられた。

本名名義になってすぐに出かけたニューヨークの旅の帰りの飛行機で見た映画で、ジャズのライブを現地で2週間たっぷり見たあとの、売れないジャズピアニストと女優の卵のふたりを描いたストーリーはたまらなかった。

僕はこの帰りの飛行機で、なぜか2時間くらい声を殺して泣いていた。もともとかなりの泣き上戸ではあるのだが、旅の思い出とこれからのことを重ねたら、どうしようもなく泣けてきた。空いている飛行機でみんな寝ていたからよかったけど。

12時間のフライトで、「ララランド」の他に2つの映画を見たのだが、どの映画のエンディングでもまた泣いてしまった。

今も「ララランド」で場面がジャムセッションになると、自分の中ではニューヨークの夜と完全に同化しているので、いろんな想いが猛スピードで交錯する。

ただジャズに浸りたいという素朴な夢ではあるけれど、いろんな人のおかげで、なけなしの金で実現できた。あれは遅れてきた青春だったのではと思う。10代でデビューして青春バンドと言われたけど、仕事をこなすことで精一杯で、結局青春を通り越してしまった気でずっといたから。

そして今のこの悩みや苦しみも、青春の苦しみなのだ。あと1年くらい、いや、もっと続いたとしても、いいじゃないか。どんなことも辛いんじゃなくて、甘酸っぱいと思えば、ポジティブに捉えられる。

それにしてもせっかく2年かけてここまで辿り着いたのに、結局スタート地点まで戻ってきてしまった。でも「tobiuo piano」でカバーさせてもらった松任谷正隆さんの「夜の旅人」じゃないが、迷ったときはあえて過去を「ふりむく」のもいい。そして自分を知るのだ(ちなみに作詞はユーミン)。

というわけで、こんな思い付きばかりのコラムを、今まで毎月読んでくれてどうもありがとう。

僕はこれから、コラム第1回の「何もない台がひとつだけある店」にいったん戻ろうかなと。あのとき号砲が聴こえなかった理由が、今なら分かるなぁ。