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Column #14 ギックリ首との七日間戦争

この回は2019年2月版のマンスリーコラムだけど、ちょっと後から書いている。というのも、首のひどい痛みで思うように文字が打てなくなっていたから。

それはちょうど、友人に対して「数ヶ月ストレッチを全然していないけど、逆に肩や首が凝らなくなったんだよね」という話をしていた頃の出来事だった。本当のところは、ストレッチを少しするだけで身体に痛みが出てしまうので避けていたのだった。でもそれで最近は肩こりに悩まされることもなかったので、深く考えずに過ごしていた。

同じ日に車から機材を出し入れする際に、誤って左足の甲に重いスピーカーを落としてしまった。すぐにコンビニで氷を買って冷やし、2日ほどで腫れも引いたので、大したことがなくて良かったと胸を撫で下ろした。しかし次第に身体の左半身全体に妙なねじれを感じるようになり、肩や首が激しく凝り始めた。

さらに2日ほど経ち、自宅で夜に寝ているときだった。寝返りの際に首の左側におかしな感覚を覚え、「あれ、変なひねり方をしたかな」と寝ぼけながら考えたが、そのまま再び眠った。そして朝。首に激痛が走り、右にも左にもほとんど動かない。そのせいでどうやっても起き上がれない。脂汗が出る。いかん。やってしまったと思った。

もともと持病の腰の悩みも持っているので、午前中のうちに馴染みの整形外科に駆け込む。駆け込むというよりは、平たい板切れのようになった自分を妻のQuinkaに運んでもらったのだが。

首と、ついでに左足の甲もレントゲンで見てもらったが、骨の異常などは特になかった。症状は単純に「ギックリ首のようなもの」とのこと。医者はそれ以上何も言わないが、もともと身体が硬くなっていたところに、足の甲を打撲したことで急激なゆがみに繋がったのではないかと思う。

首はもちろん、まわりに多い「ギックリ腰」の経験もなかったので、ついにそちら側へ足を踏み入れてしまったのか、慢性化しないように早めに入念なケアをせねば、と覚悟を決めた。

首の筋肉を覆う筋膜の癒着を緩やかにするために、整理食塩水を注入する「ハイドロリリース注射」を3〜4回打ってもらう。少しだけ動くようになったが、30分後には元に戻ってしまった。そしてまだ常に激痛を伴っている。歩くたびに「痛い、痛い」と口から出てしまう。

この場合のリリースとは「伸ばす」という意味で疲れ、最近はよくストレッチ用語として出てくるが、元来は「抑えていたものを放つ」という意味。そう、大事に作ったものを世に放つという意味での、ファーストアルバムのリリースツアーが1週間後に迫っている。だから今日のうちに、もう少し何か手を打っておきたい。

というわけで、午後は以前よく通っていた鍼灸院の門を叩き、腰から首にかけて鍼を打ってもらう。右にも左にもほとんど動かなかった首の可動域が、少しだけ広がってきた。今は急性期だから、とにかく冷やした方がいいとのこと。とくに痛い左側の首に氷嚢を当てがいながら、自宅で最低限の練習をして、夜は早めにおとなしく眠った。

翌朝、努力もむなしく首は再び動かなくなった。焦る。とにかく首を引き続き冷やしながら、出来る範囲の仕事をしていると、次第に動くようになってきた。かすかな希望...。

さらに翌朝。ようやく痛みが引き、首も動かせるようになってきた。でも左側にはあまり動かないので、何かあったら右にだけ向く癖を付ける。ライブで生のピアノに向かったとき、客席は常に右側だから良かったと思う。

その日は下調べをして向かった初めての整骨院へ。筋肉の細胞の中のミトコンドリアを活性化させるという「ハイボルテージ」という電気治療を初めて体験。それ自体が結構痛いのだが、かなり効いた。思わず回数券を買ってしまったくらい。

その後も、寝ているあいだに急に左足のスネが攣って、その激痛で真夜中に「ウォーッ」と叫んだり、腰のバランスも覚束なくなったりして散々だったが、首の方はなんとか動くようになり、ライブに影響を及ぼすことはなかった。ツアーのことだけが心配でたまらなかったので、戦争のような1週間だった。

ただしツアー中の長距離運転はすべて自分ひとり。そのせいで、下半身の痛みは時々しんどかった。ホテルやパーキングエリアなどで、暇さえあればストレッチをしていた。

これを機に、当たり前のことだけど、やっぱり普段からストレッチはしておこうと思っている。そして人にもそれを勧めたい。柔らかすぎるくらい柔らかくして、筋肉自体も鍛えて、痛みの出発点から出来るだけ遠ざかっておきたい。なぜなら痛みが出るのはたいてい忙しくなったときで、その痛みを取る時間も忙しくて取れなくなるのだから。こうして考えると、筋肉と時間の概念って似ているなぁ。