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Column #17 急性声帯炎のこと

関東では5月ごろの気候が一番好きだ。日によって違いはあるけれど、ほとんど上着のいらない、過ごしやすい適度な気温が続く。多少暑くても風は涼しいし、湿気もまだそんなにない。花粉の飛散も落ち着いている。

ラジオでDJが「毎日気持ちいいね、サンディエゴみたいだ」と言っていたので、サンディエゴにいることにする。この街にサーファーは見当たらず、のんびり歩くおじいちゃんやおばあちゃんばかりなのだけど。

今回はもちろん、先日お騒がせした急性声帯炎の話。医者がパソコンに打ち込むカルテが目に入り、そこには「声帯浮腫」と書いてあったけど、口頭では前者の方の説明だった。

4月の下旬、疲れなのか風邪なのか、喉の調子が万全ではない日が続いていたなかに、歌ったり喋ったりして声を出しすぎてしまう日があって、あっという間に声帯を痛めてしまった。しかも最終的には3週間ほど声が出ない日が続くという、最悪な状況が待っていた。

耳鼻咽喉科のファイバースコープで声帯を見た直後の、医者の諦めたような顔がすべてを物語っていた。頼むからそんな顔はしないでくれと心底思ったが、たしかに画像を見させてもらうと、発声しないときは本来やわらかな曲線を描いているはずの声帯が、極度の緊張でまっすぐになっていて、炎症によるヒダ状の荒れも散見できた。

本来なら長期間の安静となるが、ゴールデンウィークとその直後に5本のイベントが決まっていたので、さきほどの病院へ毎日通って注射を打ち続け、強めの内服薬も続けることに。しかし1週間経っても声はまったく出ない。鍼に通ったり毎日たくさん眠るようにもしてみたが、なかなか改善の兆しは見られなかった。

「この先さらに1週間、一切の会話を禁止。ヒソヒソ声もダメ。無論、歌うことはかさぶたを剥がしてしまうくらい、さらに危険な事態を招く。ここで徹底して制限しないと、90%が治っても残りの10%を治すのに1~2ヶ月かかってしまうこともある」とのこと。

僕はそれを「ここで気を付けないと、残りの10%が一生かかっても治らない」と言われているように感じた。そのくらいの危機感を持たねばという意識と、焦りもあって。

最終的には声帯炎を発症してから3週間先まで、いずれのライブも歌を歌わなかった。出演キャンセルという道もあったが、僕の持ち曲に多いインストゥルメンタル楽曲の演奏をメインにして、何曲かゲストボーカルを呼び込むという形のライブにさせてもらい、有料のイベントは払い戻しの希望があった際の受付をお願いすることにした。声が出ないということはMCもできないので、パソコンの読み上げ機能というのを用いて、ロボットボイスで喋るという形式を取り入れた。

実際のライブでは、キンモクセイ・伊藤俊吾くん、Quinka,with a Yawn、GOMES THE HITMAN・山田稔明くん、近藤研二さんにゲストボーカルとして助けてもらった。とくにまほろ座での共演時に加え、VIVA LA ROCKという大きなフェスにも急遽出演してサポートくれたイトシュンには、本当に感謝している。

声が出なくなって5日目くらいに、先輩のミュージシャンからスマホに間違いのショートメッセージが届いた。僕は姓がア行なので、いろんな人が誤って住所録の一番上を押してしまうのだろう、間違い電話も含めてすでに慣れっこなのだが、今の自分の状況を伝えたところ、さりげなく温かい励ましの返事をいただいた。そのときはひとりでレストランにいたのだけど、周りに悟られないようにしながら、小さく泣いた。それくらい憔悴しきっていた。SNSで発表したときの、たくさんの励ましの声も本当に嬉しかった。

結局、まるまる1ヶ月間は歌を歌わないで、できるだけ喉を休ませることにした。それから1日につき10分、20分、30分と少しずつ歌う時間を増やしていき、今ではようやく問題なく声が出るように。ひとまずホッとしている。声質や声域も問題ない。ただ、余計な不安が先走ると自ら喉を狭めてしまうので、歌うときはなるべく自信を持つようにして、それでも違和感があればすぐに練習を止めるようにしている。

そういった具合なので、やはり当面、無理をするのは避けようと思う。それこそイトシュンもそうだったけど、まわりのヴォーカリストが同じように声帯炎で苦労しているのを、嫌というほど見ているせいもある。喉というこの世で一番デリケートな楽器を、今までの何倍も大切にしたい。そして自己管理の甘さを反省するいい機会をもらったと考えたい。

(今回の件で、本来のライブを楽しみにしてくれていた皆様、ライブ内容の調整などでご迷惑をおかけした皆様に、あらためてお詫び申し上げます。)