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Column #7 切り替えること、切り替えないこと

初出掲載日 2018.07.31

本名名義での初のライブが9/9に決まり、10/1にこのホームページもリニューアルする。まだいくつか報告したいことはあるのだけど、このとてつもなく暑い夏が過ぎた頃、ようやく本格的なスタートといった感じだ。

もちろん自分の中では曲を作り始めた時点からスタートしているのだけど、ライブをして人前に出ないと、どうも足元がおぼつかない。ライブを減らしてクライアントワークを増やそうと思っていたのだけど、今はたくさんライブをしたくてしょうがない。いったいどっちが本心なんだか、自分でも分からなくなってきている。

でもひとつあらためてはっきりしたのは、僕にとって音楽は人に伝えて初めて成立するものということ。歌ったり弾いたり創作したりするときの喜びはあるのだけど、どんな音が鳴っているか、誰も知らないと思うと、そこはかとなくむなしい。だから少し明かそうかな。

1度は方向性を固めてひたすら作っていたのだけど、1~2ヶ月ほど前から徐々に、流れが変わってきている。春ごろまでは結構リズムが立っていてアレンジも派手な曲が多かったのに対して、最近はピアノ弾き語りを前提とした曲ばかり、当初の曲も雰囲気を入れ替えたりしている。初ライブがStar Pine’s Cafeで弾き語りスタイルになったことも、要因にあるかもしれない。

振り返れば、HARCOとしてのアルバムは、いろんな楽器で構築しているものがほとんどだった。そうなるとバンド編成のライブが、アルバムに近いいわゆる完成形。一番多くの人に見てもらいたいライブだったし、そんなステージを思い浮かべながらいつも曲を書いていたと言っても過言ではない。でもライブの本数で言うと、僕の場合は小道具もよく使っていたけれど、鍵盤の弾き語りが圧倒的に多かった。

おそらく今後も変わらないだろう。その一番の理由はやっぱり現実的なことで。いろんなミュージシャンにタダで演奏してもらうわけにいかないし、それなりのお礼を払うに値するミュージシャンとやっていくべきたと思っていた。しかし、なかなか予算的に回数を重ねられない。とくに遠くにいけばいくほど。

たとえ弾き語りのライブだとしても、それが作品から遠ざからないためには、弾き語りの作品を作ればいい。でもそうしてこなかったし、多くのシンガーソングライターも同じだ。作品とライブは違うこと、それはお客さんも同じように楽しんでいるのだろう。

でも今の僕は、そこに一貫性を持たせたくなっている。例えばこれはどうだろう。ライブで聴いても、家で聴いても「青木慶則」は同じ。つまりライブが弾き語りなら、アルバムも弾き語り。もしバンドでコンスタントにできるようになったら、初めてそういうアルバムを作る。ムムム、いつになることやら。

しかしこれだと賭けの要素が強くて、本来のやりたい音楽性から離れる可能性も大きいし、本質的ではない。ただ、生活に根付いているといった部分で、人間くさくはある。自分を大きく見せず、小さくはならず。

場面場面で人はスイッチを切り替える。話し方、服装、聴きたい音楽。僕も作りたい音楽をそのたびに切り替えてきたけど、そろそろわざと錆び付かせるのもいいかもしれない。どんなときもあえて切り替えない、というのも人間の選択肢。でもそれがいちばん難しい。

自分でも不思議なくらい、今はピアノと歌だけでやっていきたい気持ちが強まっている。果たしてどこまで続くかな。たぶんピアノの方が、僕のことをよく知っていると思う。

Photo by 清水奈緒