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Columnn #12 ファーストアルバムの解説をほんの少し

今年もあと1日で終わる。早いなぁ。でもとても濃密な1年だった。なんだか時間という感覚だけではくくりきれない。ちょっと思い返すだけで、飛び出す絵本みたいに1日1日が蘇ってくる。セルフマネージメント、セルフレーベル。ぶっちゃけしんどい局面がいくつもあったけど、すべて自分の血肉となったと思えば、こんなに意義深い1年もそうないのかもしれない。

自分の本名名義のアルバムがついに出た。これまでしみじみ感じ入る時間の余裕もなかったが、やっぱり感慨深い。誰がどんなときに聴いてくれているんだろう。僕はなぜか、心身ともに疲れたときに聴くと、このアルバムがスーッと身体に染み込む。耳から入ってきているのに、胃に届いている感じ。

このアルバムで青木慶則としての「鋳型」が作れたのかなと思う。この先2枚目3枚目と続くアルバムのことを考えるときも、出発点はいつもここにある。だからと言って、現状のアコースティックサウンドに何をどんな風に足していこうとかは、安易に考えないようにしたい。最低限の楽器で表現する世界をまだしばらくやってみたい。いや、ずっとかもしれない。

ここで1曲ずつの解説をしたいところだけど、イメージが限定されてしまうので、どこかはばかれる自分もいる。どの曲もすごく思い入れはあるし、サイドストーリーを組み合わせれば、1曲ずつ小説が書けるくらいなのだけど。

なんて言いつつ、大雑把に流れについて主観で書いてみたい。まずM1・M2の「支度」「瞬間の積み重ね」は、どちらも今年の半ばごろにスッとできて、アルバムの方向性の決め手にもなった2曲。それまではもっとリズムの要素が強い曲ばかりを作っていた。レコーディングでも最初に歌ったのはこの2曲。

M3〜M6は、ちょっとHARCOっぽくもあるゾーンなのかなと思っている。M3はニューヨークが、M5のインストを挟んでM4とM6は、行く末が正反対だけど「結婚」がテーマになっている。こういう具体的なシチュエーションを設定してたくさん曲を書いてきた。もちろん今でも好きなので収録しているのだけど。

M7以降は再び青木慶則どっぷりの世界(これも勝手に決めつけているだけなんで)。M7「Symphony Blue」はとにかく歌が難しくて、他の曲と平行しつつ、3日かけて歌った。レーベル名をこれに決めてから作った歌なのだけど、そのぶん責任感を持って書いたし、自分の精神世界に通じるものを描けたんじゃないかなと思う。

おっと1曲しっかり解説してしまった。後半でいうと、M8、M11、M12はライブで反響の多い3曲。とくにM11「早春の手紙」は、人の記憶をあえてえぐり出すつもりで書いたし、1番、2番、3番と曲が深まるに連れスペクタクル感が増していく。そのせいか必ずライブのあとにリアクションがいくつかある。収録するかどうかもギリギリまで悩んでいたけど、入れて良かった。

僕の曲は昔から、アレンジの中にも隠れたメロディや仕掛けが多いので、カラオケでも面白い、むしろカラオケの方が面白いとたまに皮肉まで言われたりもしたのだが、今回もピアノは最初から最後まで自由に動きまわっていて、でも歌の邪魔は決してしていないつもり。ピアノにだけ集中して聴いてみるなんていうのも面白いかも。

ここまで書いてみて、ふと気付いた。 HARCO時代に比べると、どの曲も「聴けば分かる」度が高いのだ。弾き語りだからというのもある。すぐそこにある、そこにいる。むしろ距離感ゼロ? そこまで言うと言い過ぎだけど、なるべく肌で感じ取ってもらいたいし、きっと感じ取ってもらえるはず。そのうえで、僕特有の独特の難解さもあると思うので、好みは分かれると思うけど、あとは自由に解釈してもらえれば。

今回、音楽情報誌にはたくさん載せてもらったけど、まだまだ長いスパンで宣伝していこうと思っているので、まわりの人にも勧めてくれたらうれしいな...。

実はここ数日風邪で寝込んでいてた。だいぶ回復してきたけど、この分だとおそらくカウントダウンも今年は一人きり。うむ...。まぁ、それも悪くはない。来年のことにワクワクして笑いながら年を越え、笑いながら眠りに就こう。ビーオールライト!