見出し画像

藤原基央の「生きろ」を食らった夜

※この文章は「BUMP OF CHICKEN TOUR ホームシック衛星2024」広島公演2日目(3/21木)のネタバレを含みます。




「生きる力を借りたから 生き抜くことで返さなきゃ」


2024年3月21日、ホームシック衛星2024の広島公演2日目で、藤原基央は『花の名』の歌詞をこのように言い換えた。オリジナルの歌詞は「生きる力を借りたから 生きている内に返さなきゃ」である。

「生き抜くことで返さなきゃ」この言葉を聴いた瞬間、胸がぎゅっと締め付けられ目からは涙が溢れ出した。まっすぐな言葉と魂の込もった歌声が、グサリ、グサリと心に刺さって痛かった、苦しかった、感情の全てを持って行かれた。この時の状況を一言で言い表すとしたら「食らった」という表現が最も的確だと思う。藤原基央の全身全霊の「生きろ」を食らってしまった。

藤原基央は、「生きろ」のような重たいメッセージを、できるだけ負担のない言い回しで伝えることに長けている人だ。少なくとも私はそう思っている。

また明日の中に 君がいますように

Gravity / BUMP OF CHICKEN

なんか食おうぜ そんで行こうぜ
これほど容易く日は昇る

HAPPY / BUMP OF CHICKEN

その腕でギュッと抱えて離すな
世の中にひとつだけ かけがえのない生きてる自分

ダイヤモンド / BUMP OF CHICKEN

私は正直、生きることに対してあまり前のめりではない。できるだけ早く死にたいと思っているし、いつでも好きな時に死ねる状態でありたいから、パートナーや子供はつくりたくない。側から見たら何が不満なのか理解できないほど良い環境で育ってきたし生きてきたと思う。だけれど私には私の辛さがあって痛みがあって、これ以上人生を続けたくないと思う瞬間がたくさんあるし、きっとこれからもたくさんある。そんな「生」より「死」を意識している人間にとって、「生きろ」というメッセージは時に説教臭く重たい。生きろと言うのは理解できるが、じゃあ生きる上での苦しみに対してお前は責任をとってくれるのか?と思う。

そんな捻くれた私という人間にとって、藤原基央が音に乗せる”””遠回し”””の「生きろ」は何よりも私を死から遠ざける言葉だ。

あの夜、藤原基央が歌った「生きる力を借りたから、生き抜くことで返さなきゃ」という言葉は、歌詞だけを聴くと藤原基央の、彼自身の、決意の言葉のように聞こえる。「皆に力を借りたから、恩返しができるように俺は生きて歌い続けなければいけない」、そんな意志が伝わってくる言葉だ。けれど、この言葉が藤原基央の口から放たれた瞬間、BUMP OF CHICKENの音に乗って私の耳に届いた瞬間、それは私の言葉になる。彼らの音楽はいつだってそういうものだ。

藤原基央は、自分の決意としてこの歌詞を歌ったのかもしれないけれど、あの会場でこの歌を聴いた私は、まるで自分が「生き抜くことで返さなきゃ」と自ら決意したかのような感覚に陥った。だから涙が溢れた。顔をくしゃくしゃにしながらツアータオルに顔を埋めて号泣した。物凄く苦しくて辛くて、でもどこか熱い感情だった。「生きなきゃ」なんて、何があっても思いたくなかった。生きることを義務として背負いたくなかった。生きることからずっと逃げたかった。けれどそんな私が「生きて行かなきゃ」と思ってしまった。思わされてしまった。ステージの上の藤原基央に、「逃げるな」と言われているようだった。そして、決意を通り越して迂闊にも「生きたい」と思ってしまった。だって今まさにBUMP OF CHICKENに生きる力を借りているから。生きて、BUMPの音楽にまた会いたいと思ってしまったから。

生きる力を借りたから 生き抜くことで返さなきゃ

花の名(ホームシック衛星2024 3.21 広島) / BUMP OF CHICKEN


藤原基央は全ての感情を歌声に乗せて、彼自身への言葉を歌った。だけれどそれは会場に放たれたBUMP OF CHICKENの音に乗って、私の歌に、言葉に、なった。それは藤原基央が魂をこめて放った、遠回しだけれど強烈な「生きろ」というメッセージだった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?