見出し画像

ジーズアカデミーで過ごした3年半

(この文はデジタルハリウッド運営のエンジニア養成学校G's ACADEMYアドベントカレンダー1日目で、元東京校事務局スタッフ、今は退職して起業した木村が書いています)

東京DEVコース4期の卒業生で、2016年6月から約3年半フルタイムで事務局スタッフをやり、情報処理推進機構( IPA )主催の未踏アドバンスト というエンジニア起業家向けの助成金プログラムに採択されたのをきっかけに法人登記&今年3月に会社を退職。 call.jp,inc. という会社を起業した。( その後10月まで引き続きジーズとも業務委託でお仕事をご一緒させていただくことに  )

今までお世話になった受講生メンバーの方々、神山さん、スタッフの方々。メンター、講師、チューターの方々、山崎先生、児玉さん。

G'sに関わって下さった方へのお礼と、自分の仕事の振り返りと、自分が考えるソフトウェアテクノロジーの魅力を記しておくために、エンジニア養成学校 G's ACADEMYの アドベントカレンダー1日目 としてこの記事を書きました。

主にG'sメンバーの方、キャリアについて悩んでる人、これからプログラミングを学ぼうと思っている人に届けば、と思います。

新卒での大挫折

自分は(株)すららネット という英語や数学などのデジタル学習教材の会社に、新卒1期生として就職した。

教育 x ITという、マネタイズが難しい分野で、社員30名という少数精鋭ながら一昨年に上場した会社で、ここを選んでいなかったら今の社会人としての自分は無い。ただ、当時の自分は会社には全く貢献することができなかった。

当時はアジア2ヶ国向けの算数教材の制作を担当しており、算数ドリルをシンハラ語(スリランカ)とインドネシア語二カ国版、提供するまでのプロジェクト管理を同時並行でやっていた。

1 + 5 = □ 
6 + □ = 8 
↑このような計算問題それぞれの国ごとに何百問とチェックしていた。

しかし、「事務的な作業を、マルチタスクで、計画通りに着実に進める」ということが、僕は恥ずかしながら出来なかった。

googleカレンダーに「面談」とだけ書かれた予定が、副社長とマネージャーから招待され「木村くんは、この会社でやっていくのは厳しい」と言われた時は、正直すごく落ち込んだ。

今になって振り返ると、とても厳しいが、一方でとても優しい判断だったのだと思う。社員と組織にミスマッチがあれば早い段階でキャリアの再検討を促すのは、可能性を残す意味でとても合理的だった。

一連の仕事の不出来に悩んでメンタルクリニックに相談に行き、4ヶ月程の診断期間を経て、ADHD という発達障害の一つの正式な診断を貰った。( これは知り合いは割と知っていることで、隠していないし公言もしていない。 )

この時に処方してもらったコンサータという薬を飲むようになり、症状はかなり緩和された。今もバッグの一番取り出しやすい場所に入れている。

エンジニアスクールに通い始める & 転職

そんな中で、職種を変える時に、色々な選択肢を検討した結果、

1. 仕事の結果が見えるまでの時間が短い&見えやすい構造になっている仕事
2. 専門知識が生かせる & しばらくは需要が無くならなさそう
3. アイデアを形にできる 

という点が良いなと思い、プログラミング関係の仕事が良いのではないかと思った。また、教員免許を持っていることもあって将来的にはプログラミング教育の仕事にも関われたらいいなと思っていた。

更に全く業務は未経験だったので、学校で学ぼうと思い、色々ある中で今のジーズアカデミーを選んだ。

入学の決め手は色々あるが、一番はビジョン。事務局長の児玉さんが説明会で「世界を変えるサービスを生み出すGEEKを養成するんだ、笑いたいやつは笑え、と。」と言っていて、目指している所が他と少し違いそうだなと感じた。

同時に、一番厳しそうな学校だな、教えてもらうのではなく自分がやるための環境が揃っているなと感じたのも大きい。( 同じ場所で学ぶ人の本気度が高そうだったり、教室が24H使えたり )

画像4

(当時の学校説明会に参加した時に残してたメモ)

入学後、G's ACADEMY YOUTH CAMPという中高生向けの講座の立ち上げのお手伝いをさせて頂き、色々とディスカッションしてくうちに、児玉さんから「うちにおいでよ」と誘っていたいた。

(当時立ち上げた事業は今も続いており、親子二世代で通って頂けるコースになった。)

入社してから

1社目の辛い経験から打って変わって、ジーズアカデミーという学校の運営は非常に自分の特性にマッチした仕事だった。

児玉さんは、上司の顔色を伺わずに目的から考えて遠慮なく物を言ったり、自分からやりたい仕事を創り出して実行に移す部下 ( ≒ 空気を読まない人 ) が非常に好きな方で、そんな特性のある自分を面白がってくれ、買ってくれた。(沢山迷惑もかけた)

同じタイミングで入社した神山さんの存在も大きく、営業担当だけではフォローしきれない入学後のコミュニティ運営や、入金担当やローンの審査対応、その他総務、労務、法務、人事周りの業務をマルチタスクで巻き取ってくれた。この体制がなかったら、おそらく今の自分はない。感謝してもし切れない。 ( 東京にいるメンバーにとっては言うまでもない ) 

説明会担当として児玉さんと二人三脚でそれなりの営業数字を作れるようになってからは、既存コースの運営の立て直し、コードレビューの導入、プレイヤーとしてのチューター業務とチューター研修 (ときどきハンズオン講師)、新規講座ユースキャンプの立ち上げ、新規講座プログラマー就職キャンプの立ち上げ、LABの カリキュラム改定、イベントの企画、クレーム対応などなど、色々なことをさせていただいた。

CRMツールを使った営業フローの最適化では、中で説明のリマインドや欠席フォロー、入学試験の面接日調整やアンケートの手入力などの人力でミスが発生しやすい部分を簡単なJavaScriptと他ツールの組み合わせでほぼ自動化させることができて、提供企業の営業担当に驚かれて導入事例に載せて頂いたりした。↓


新規事業である プログラマー就職キャンプ ( 今はEngineer Bootcamp に改名 )や、 G's ACADEMY YOUTH CAMPも規模は小さいものの、0→1のフェーズ終えて、想いのある優秀な後任の方で回せるようになった。

結果、仕事を辞めて通う平日コースは2017年には20人だったが、2018年には2倍の40人になり、5,6,7期と連続で満席に。週末コースも1期から13期まで満席のリレーをつなぐことができた。(現在15期で、満席の記録は更新中)

募集だけでなく、教務の方も安定的に平日コース8~9割、週末コースも7.5割の継続を出せるようになり、改善の余地は当然まだまだあるが、昔に比べると安定したと思う。

あとは、起業のアイデアとなる授業用のチューター呼び出しシステムの開発。結果的に、業務外に自分から取り組んだことが一番今の自分の糧になっている。

ジーズに通う前に、別の1dayのプログラミング体験会に行った時、「ファミレスの呼び出しボタンみたいなものが教室で先生を呼ぶのに使えたらいいな」と思ったこと、卒業制作で作った別サービスの技術が流用できそうなことから、プライベートの時間を使って社内用のシステムを開発した。

2017年の夏頃の週次MTGでプロダクトのデモを発表すると「ここまで出来てるならもう来週の授業から使おう」と承認を頂き、次の週の授業から運用されることになった。

「自分が必要だと思ったものを素早く形にし、アウトプットせよ」というのは主席講師の山崎先生がいつも口を酸っぱくして言っていることであり、本当にその通りだということを実感)

画像4

(これが後の未踏アドバンストの採択、起業に繋がっていく。)

嬉しかったこと

僕は身銭と自由な時間を切ってまで努力する人が好きで、卒業生もメンバーの方々もまた然りである。とりあえずもし自分が力になれることがあったら何でもしたい。

その中でも特に、校務をサポートさせていただいた週末コース7期、13期、プログラマー就職キャンプの1~3期生には特別な思い入れがある。
(冒頭の寄せ書きはつい先月に週末コースの13期の卒業生から頂いたもの。宝物にしている。 )
今でも飲み会に誘って頂いたり、結婚式に誘って頂いたりするのは嬉しい。

もう一つ、講師の松田光秀さんをG'sにお誘いしたのも非常に印象に残っている。

画像2

リクルートのテックラボパークで知り合い、当時は SwipeVideoという自由視点映像のサービスを作っていた、いかにも社会不適合(褒め言葉)な 松田 光秀さん。彼の自宅まで訪問して話を聞くと、教育に元から興味があったようで、プログラミング教育のマーケットに参入することを構想していて、ふたつ返事で依頼を引き受けてくれた。

今は新しい学校を作って独立してしまったが、彼を恩師として慕ってる人も多いし、素晴らしい才能を迎え、ジーズがそれを存分に発揮できる場を提供できて良かったと思う。

他で言うと、「プログラマー就職キャンプ」の立ち上げも大きく印象に残っている。

商品設計の時に僕が駄々をこね、受講生全員に一つずつチャットルームを作り、いつでも講師に質問できるという仕組みを構築した。(自分と講師の森田さんとチューター陣で返していた)

実際の因果関係はおそらく無いが、なぜか開講のプレスリリース後にリクルート株価が高騰して「リクルート株買っておけばよかったね」とその後笑い話の種になった。


この講座の1期生の木村さんは卒業後すぐに未経験枠でリクルートテクノロジーズにエンジニアとしての就職、同じく1期の卒業生の安間さんも未経験から自社サービスの会社にエンジニアに転職でき、キャリアアップして今はSmartHRでRailsエンジニアとして働いている。エンジニア以外の転職も社内転職も沢山成果が生まれた。

余談だが、その1期の木村さんが先日たまたま校舎に来ていた時に、「結婚して、ついにマンション買うかもしれないんですよ」と話していた時は、この仕事をやってて良かったと思った。

(持ち上げるような言い方になってしまうが、スタッフとして仕事のやり甲斐を感じることがこれ以外にも沢山あったのでG'sで働くことに興味がある方はこっそり教えてほしい )

起業する理由

起業する理由については人によって色々あると思うが、毎回学校説明会の場で、「自分の力で世界を変えようと挑戦する人を支援する」と自ら語るうちに、自分とほぼ同世代が起業して、別人のように成長していくのを見るうちに、ゼロから自分も挑戦してみたくなったというのがまず大きい。

(影響を受けた人を具体的に言うと、週末コース1期の中島さん、週末コース2期の望月さん、3期の久保田さん、7期の深野さん、同じく三井さん、平日コース1期岡野くん、LAB3小山さん、講師のキカガク吉崎さん)

次に、去年の8月に経産省主催の未踏アドバンストというエンジニア向けの助成金プログラムに採択されたことで、事業立ち上げにかかる人件費を支援して頂けたこと。

助成金は他の人が払った税金から出ている以上、雇用を生み出したり、社会に対して頂いた以上の価値を還元しなければいけないと思った。

そして最後に、起業以前にプロダクトができて運用に乗せられたこと。

自分が解決したい課題を見つけ、テクノロジーの力を以て解決のアイデアを形にし、それを発信して共感してくれる仲間やお客様を見つけて使ってもらい、人に喜んでもらう。その対価として、お金をいただく。

そのプロセスで堪らなく幸せを感じられたからだ。

そんなこんなが重なって、call.jp,inc. という会社を起業した。

(自社サービス call.jp のPVはこちら。 ファミレスによくある呼び出しボタンをアプリ不要で簡単に導入できる。)

デジハリのstudioが4校舎と飲食店含めて有料導入店舗数はまだ6店舗くらいだが、すでに導入一年で累計18000回以上利用されている。

今は自社サービス「 call.jp 」と受託開発をやっており、受託で足元の現金を作りつつ同時並行でやっている。

(先日700万円のデットによる資金調達を実施をして、その過程をnoteに書いた。これも誰かの参考になれば。)

児玉さんに伝えたい事

ジーズと出会う前はかなりの失意のどん底だった僕が、それなりに仕事を通じて人の役に立ち、ましてやプロダクトを創って起業するなんて全く想定していませんでした。感謝しかありません。

児玉さんから学んだことは、色々ありますが、一番学んだのは事業を構築する際のアートと数字のバランス感です。

勝負所で大胆に張る、愛されるブランドを生み出す等のアーティスティックな所と、1%の粗利を生むためにいかに工夫するか、を数字にこだわって考え抜くバランス感が一番凄いなと思っていました。

児玉さんは間違いなく、僕の人生を変えてくれた人です。残りの一生で「あいつは俺が育てた」と誇りに思って頂けるように頑張ります。

ついでに、長生きして欲しいので、タバコは適度にお願いします。

画像3

(なぜか好評だった去年のハロウィンの写真。真ん中児玉さん、左が自分)

テクノロジーの力で、世界をもっと優しくしたい

そろそろジーズも開講4年半。約1100人の熱量高い人が集まるコミュニティに成長し、14期までは知っている中で、自分と同様に多くの人の人生が変わったのを目の当たりにしてきた。

もちろん、すべての人がプログラミングに向いているわけでは無いし、これを学べば全てがうまくいく万能薬ではないけど、テクノロジーは既存の常識を疑い、自らの力で目の前にある課題を解決しようと挑戦する人の力になってくれると断言できる。

ソフトウェアテクノロジーの魅力は、その再現性の高さから、根本的に人為的なミスを減らせるという所にあると思っている。

丁度上で書いたCRMツールをJavaScriptを使ってデータをカスタマイズして営業フローの雑務の自動化ができた時、ミスが減っただけではなく、結果としてチームの雰囲気も良くなった。

今の自社サービス call.jp も、声を出しづらい人の意思表示をサポートし、店舗の人件費の削減と顧客満足の向上を両立させることができる。

また 「【業務自動化をゼロからマスター】Google Apps Scriptの仕事効率化・自動化をプログラミングで実現」という業務自動化のプログラミング講座 もリリースしているが、これも同じ思いから作成したものだ。

テクノロジーは世界をもっと優しく出来るな、と強く感じた。

少なくともミスが多かった僕は、テクノロジーの力に人生救われ、その無限の可能性に取り憑かれた一人。

この力が無いと生きていけないと思っているので、現状の僕なりのwhy?の答えとして、この領域に残りの人生50年を賭けたいと思います。


長文を最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
皆様本当にお世話になりました。

そして引き続きどうぞよろしくお願いします!!

木村 喜生

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?