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STOP!DRUNK DRIVING PROJECT LIVE SDD 2023

2月18日に大阪城ホールで行われたSTOP!DRUNK DRIVING PROJECTのLIVE SDD 2023に参加させていただきました。

有難うございました。

当日、音声メッセージを寄せてくれた小倉智昭さんに質問されました。

「なぜ飲酒運転はなくならないのですか?」


僕なりに考えてみました。

僕は飲酒運転の事故で友人を亡くしています。初めて組んだバンドのメンバーで、僕以外の全員が乗るワゴン車で道路脇に止まっている大型トラックに猛スピードで追突し、メンバーは全員即死、後部座席に乗っていた後輩二人は麻痺が残りました。
飲酒運転と居眠りだろうと言われました。

「海を見に行こうぜ」「ワリイ、俺、明日仕事だから」こんな会話が最後でした。

19歳でした。
馬鹿です。

グチャグチャの死体を前に最後の愛情を見せたお母さんの姿が忘れられません。

飲酒運転は簡単にはなくなりません。
飲酒運転に対する罰則は近年、急速に厳罰化されていますが、それまでは本当に緩いものでした。
そしていまだに「ある程度は仕方ない」「事故が怖くて仕事ができるか」そんな意識が根強くあるのです。

僕の育った田舎では居酒屋やスナックに駐車場が当然のようにありました。
僕が中学の頃、生活指導の先生の歌声が毎日の様に聞こえるカラオケスナックの駐車場には、その先生の車がよく止まっていました。

冠婚葬祭などで人が集まるときも、みんな車で来るし酒を飲んで運転して帰るなんて普通の事でした。

かつての映画「トラック野郎」では冒頭で一升瓶をラッパ飲みしながら運転していますし、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の様な少年漫画でも飲酒運転のシーンは「面白い演出」として当たり前の様に描かれていました。

今では考えられませんが、かつてタバコはどこでも吸えました。駅のホームや飛行機内、病院の待合室ですら灰皿が常設されていましたし、政治家がタバコをふかしながら取材を受けている姿をTVで見るのも当たり前でした。

それが普通でした。

平成に入り、長い時間をかけて「分煙」が進んできました。
「嫌煙家」の方はタバコを完全に無くしたいのでしょうが、それは無理です。
なぜなら、「タバコに罪はない」からです。
タバコは人類が長い時間をかけて作ってきた文化です。
世界中に生産者がいて愛煙家がいます。
「タバコは人体に害があるから無くせ」という人がいますが、害のないものの方が少ないのです。
醤油だって飲めば死にます。砂糖だって塩だって死にます。車の排気ガスや工業製品、化粧品や香水の工場だって様々な公害や環境破壊を生み出しています。

用は「使い方」です。
「マナー」であり「モラル」です。
「他人を認め受け入れる心」です。
それを選ぶのはいつだって「人」なんです。
ただの排除は争いや恨みしか生みません。

酒も同様です。
「酒に罪はない」のです。
人類が6000年以上かけて作ってきた文化なのです。
そして「飲酒運転」も長い間培ってきてしまった“悪しき文化”として残ってしまっているのです。
この根の深い問題は簡単に解決はしません。
なぜなら、そこに「酒」があり「車」があるからです。
そこに「心の弱い人間」がいるからです。
これが「飲酒運転がなくならない理由」だと思います。

「心の弱い人間」を恥じることはないんです。それが普通なのですから。
だから、せめて「飲酒運転はしない」「飲酒運転はするな」と胸を張って言える人間でいたいと思います。

最後に
「酒」も「車」も悪くないんです。
悪いのは「酒を飲んで車を運転する人間」なんです。

2023.2.18
黒柳能生

音に想いは込めました

みなさんのお気持ちは毛玉と俺の健全な育成のために使われます。