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たまには真面目に感謝しよう。

俺の世代、それも田舎の人間でも珍しい話かもしれないが、俺が幼少の頃は愛知県豊田市に住む爺ちゃん婆ちゃんの家は自給自足がメインだった。特に母方の家は味噌も梅干しも漬物も野菜もみんな自家製だったし、カマドも火鉢も現役だったし風呂は五右衛門風呂だった。当然、トイレは汲み取り式だ。と言うより、畑の肥料にしていた。

春にはタケノコを掘りに行き、夏は梅をもいで土用干しをし、野菜を育て、秋には椎茸や米を収穫し、冬は火鉢と掘り炬燵で暖を取った。
法事や年中行事、節句に合わせて料理を作り、お供えや飾りつけをし、大勢の来客をもてなす。
男共は酒を飲み、飯を食うだけ。※その分、男たちは外で目一杯働く。

お婆ちゃんはいつも着物に割烹着で、朝から晩まで家事をしていた。
俺が生まれる前は早朝から8人分の朝食を作り、6人分のお弁当を作る。
その後は大きな屋敷の掃き掃除と水拭き・空拭き、洗濯板での大量の洗濯。
五右衛門風呂の掃除に薪割り、裁縫やアイロンがけ、それ以外にもやることは毎日山積みだった。

晩飯の時間ともなれば育ち盛りの子供たちの飯とおかず、お爺ちゃんの晩酌の肴作りで大忙し。そこに「おかわり!」と次々に言われれるのだから尚更大変だ。

俺の母親が18歳で結婚し独立したが、次いで長男が結婚し三人の男の子が生まれた。
子供とお嫁さんが増え、お婆ちゃんの家は最大で10人になっていたから本当に大変だっただろう。
俺が小学生の頃はしょっちゅう泊まりがけで遊びに行っていたが、いつも家事をしていてお婆ちゃんと遊んだ記憶がほとんどない。
よくよく思い返してみると、お婆ちゃんと一緒にご飯を食べたことがない。
なぜなら…

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